VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(285)仮面問題としてのひきこもり

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by ぼそっと池井多

 

前々回「やっぱり今日もひきこもる私(283)」において、

「8050問題は孤立死の問題ではない」

ということを書かせていただいた。

 

それでは何か、ということになる。

 

同じく8050問題を象徴化するようなフレーズとして、

んだらうする」

という言い方がある。

じじつ、それを頭文字につけたOSDという団体も存在する。

私がときどき講演させていただく団体の一つであり、チームぼそっとで開催している「ひ老会」を、支援者や親御さんの側から開いておられる所である。

 

たしかに、「親が死んだらどうする」というのは、8050問題をかかえる当事者の多くから聞こえてくる言葉である。

 

それを聞くと、

「親が死んだら、生きていくお金はどうするのか」

「親が死んだら、飯は自分で炊けるのか」

といった意味かと思うが、それだけではない。

 

なかには、親が死んでもほんとうは経済的には何ら困ることがないのに、親が働かない子どもにハッパをかけるために、やたらと

「お前、親が死んだらどうするんだ」

と言っているケースもある。

 

そういう場合、「親が死んだらどうする」はほんとうの問題ではなく、ほんとうの問題は、

「お前は働いてくれないと、親である私の、親戚や近所への面目はどうなるんだ」

ということであったりする。

 

このように、ほんとうの問題ではないことが、まずは問題として出てきたとき、私はそれを「仮面問題」と呼ぶ。

 

私は参加したことはないが、上流階級には仮面舞踏会というものがあるらしい。

参加者は皆、仮面をつけて参加する。

そこで、恋やら諍いやらが生まれる。

やがて、仮面が脱がれる時が来る。それで

「じつは、こういう人を相手にしていたんだ」

と、それぞれが気づくのである。

 

同じように、ひきこもり問題という舞踏会に、「親が死んだらどうする」という仮面をつけて登場する問題がある。

しかし、仮面を脱いでみると、じつはそれは親の虚栄心だったり、あるいは何か他の問題だったりする、というわけである。

 

 

こうしたことを「仮面問題」と呼ぶわけだが、考えてみれば、およそ問題と呼ばれる多くは仮面問題なのかもしれない。

 

「ひきこもり」そのものにしても、じつは両親の夫婦関係の悪さが、子どものひきこもりという仮面となって問題化しているだけかもしれない。 

 

ところでOSDは、最近は「んでも丈夫」の略号ということにしたらしい。 

 

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