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やっぱり今日もひきこもる私(300)コロナでひきこもりは「ふつうの人」より楽をしているか

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路上に打ち捨てられたマスク Photo ぼそっと池井多

 

 by ぼそっと池井多

 

前回「やっぱり今日もひきこもる私(299)」では、イギリスの美人女子大生レベカさんからリモートでインタビューを受けた話を書かせていただいた。

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彼女も質問の一つに入れていたが、

「コロナで、ひきこもりはいったいどのような打撃を受けているか」

ということが、なにやら世界中の関心事であるらしい。

 

コロナによって、世界中の「ふつうの人々」がひきこもりになることを社会から要請されるなか、もともとそういう生活をしていたひきこもりたちは何の苦労もないではないか、と考えるためだろう。

 

ひらたくいえば、

「コロナ下では、みんな困っているのに、ひきこもりだけは水を得た魚だ」

といったイメージを、多くの「ふつうの人々」は持つ傾向にあるということである。

 

 

こうしたイメージを持たれると、ある種のひきこもりは慌てる。

なぜかというと、その種のひきこもりは社会の「ふつうの人々」に蔑まれることには慣れているが、逆に妬まれることには慣れていないからである。

 

ひきこもりという看板には弱者性がある(と思っている)がために、ひきこもりというアイデンティティを選択しているタイプである。

そういう人は、ひきこもりとして蔑まれ差別された経験よりも、ひきこもりであるがゆえに珍重されケアされた経験を持っている。

そういう当事者は、ちょうど妊産婦がその弱者性を示すためにマタニティ・マークを身につけるように、ひきこもりを名乗っているうちは、

「ボクは弱いんです。責めないでください」

というマークを身につけているのと同じだと思っている。

 

ところが、コロナになって、いつのまにかひきこもりは「ふつうの人」ほど苦しんでおらず、むしろ「ふつうの人」よりもラクをしていると見られる機会が多くなってきた。

 

それで慌てるのである。

 

そこで、

「ボクだって、ひきこもりとして、コロナ下でこんなに苦しいことがあります」

と、身の回りの苦労を列挙するのだが、それらはたとえば、

「好きな時に出かけていけない。」

「イベント(当事者会・家族会)が開催されない。」

「友達と会合や飲み会が持てない。」

「家族がみんな家にいるので、家族内の衝突が激化している。」

といった苦労だったりする。

 

 

すると、「ふつうの人」にしてみると、それらはみな、ひきこもりでなくても、「ふつうの人」である自分も味わっている苦労ばかりなので、それらがひきこもりに特有の苦労として納得することはない。

 

そこで、

「やっぱりコロナでひきこもりだけが楽をしているんじゃないか」

という疑念を膨らますのである。

 

 

 

 

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