VOSOT ぼそっとプロジェクト

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スパゲッティの惨劇(75)夏休みの宿題の絵<1>

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中禅寺湖ロープウェイ 2003年に廃止 絵画風に加工 原画・PhotoAC


by ぼそっと池井多

 

一昨日は「治療者と患者(339)」において、小学校の担任であった女性教師にも性的虐待を受けたことを書かせていただいた。

虐待の内容は詳しく書かなかったが、教育にかこつけて性的に少年を辱める、というものであった。

 

この渡辺先生という女性教師と、私の母親の絆はじつに強固であった。

そのために、学校へ行けば渡辺先生に、家へ帰れば母に、それぞれ出口をふさがれ、私は精神の逃げ場がなく、息の詰まるような日々を送っていた。

 

このとき、私は小学校2年生。母は34歳で弟を産んだ。

26歳で私を産み落としたあと、母は30歳のときに次の子どもを作ろうとして流産していた。

当時は34歳でも「高齢出産」などと呼ばれ、これがのちに私の家庭で、弟だけが可愛がられ、長男である私は家族から放逐されていく遠因にもつながっていく。

 

母の出産に、渡辺先生はお祝いの産着を学校で私に持たせ、私はそれを入院中の母へ持っていき、母が産院のベッドで礼状を書き、また私がそれを翌日に学校へ持っていった。

そのころ児童の親は、たとえ母親でも「父兄」と呼ばれていたが、担任している学級のすべての父兄と、渡辺先生がこのような緊密な交流をしていたとは思えない。

つまり、渡辺先生にとって母は、そのころまだ1学級40人以上もいた児童の母親の中でも、もっとも密接に関わっていた者にちがいないと思うのだ。

なによりも母はPTAとしても権力を持っていたし、息子は教師たちが「模範生」などと呼んで持ち上げるほど優等生であった。

それだけでも十分に関係を深めるに値したのであろうが、何といっても、まだ四年制大学を出た女性の数が少なかったため、同じ齢のインテリ女性同士であるということが、二人の結びつきを強固にしたものだと考えられる。

しかしそのことは、二人のあいだに、反転したライバル意識があったこともまた物語るのである。

 

 

*

 

 

1997年に14歳にして神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗は、

「親の描いた宿題の絵で賞を取ったところで、自分の人生はどこにあるのか」

といった一文をどこかに書いていたと思うが、まさに同じことが私の身にも起こっていた。

 

私は、絵は下手だが、描くのは好きである。心の掃除になるからだ。

夏休みの宿題の絵も、できれば自分でやりたかった。

しかし、私が描くと、母が横にやってきて、

「お前! そんなに下手な絵じゃ、いったいどうするつもりなの。また図画工作の点数が下がっちゃうじゃないの。

そこをどきなさい。お母さんが忙しい時間を縫って、わざわざ描いてあげるから」

と、こちらが頼んでもいないのに、恩着せがましく描き出すのであった。

 

小学校2年生の夏は、日光中禅寺湖へ行った思い出を描いた。

絵の中では、湖の上をロープウェイが近景と遠景に2台渡っていた。

このロープウェイを描くのに、母は近くのものは黒で縁取りをすることで近くであることを表現し、遠くにあるものは輪郭をぼかしたのであった。

二学期が始まり、私がこれを学校へ提出したところ、渡辺先生は採点したあとで、私の絵を、いや、私の母が描いた絵を、「悪い例」として皆の前に示した。


「はい、みんな。よく見て。……

これは近くにあるロープウェイを黒で縁取りしちゃっているでしょう? 

近くにあるものと遠くにあるものを、こんなやり方で区別しちゃだめ。これはゴマカシだね。

だって、景色っていうのは、本当はこんなふうには見えないでしょう? 

本当は近くにあるものは大きく、遠くにあるものは小さく見えるだけでしょう?

近くにあるものに黒い縁取りがあるかどうか、みんな、見てごらんなさい」


そう言われると、二年五組の児童たちは、わざとらしく手元にある筆箱や教科書に顔をくっつけて、

「ほんとだ。ないよ!」

「縁取りなんか、ない!」

とてんでに声をあげた。


渡辺先生は、こう思ったのではないか。


「これは、どう見ても大人の描法だ。池井多くんのお母さんは過保護だから、きっとこの宿題もお母さんがやったんだろう。

池井多くんがやってほしいと頼んだのか、それともお母さんが自分から勝手にやってしまったのか、それはわからない。でも、お母さんがやったことは間違いがない。


困るのよね、こういうことされると。

母としたら、おそらく息子の点数を稼ぐつもりでやっているのかもしれないけど、こんなことをしたら、結局子どものためにならないことぐらいわからないのかしら。
でも、池井多くんのお母さんは、PTAの中でも力があるし、私もいちおう個人的に親しくしている人だから、


『池井多くん。この絵、お母さんが描いたんでしょ』


なんて訊きただすわけにいかない。

 

あのひとは敵に回したくない。


よし。それじゃ、あくまでもこの絵は池井多くん本人が描いた、と認めるふりをして、純粋に美術的な講義だけを子どもたち全員の前でしてやろう。

もし、それで池井多くんが素直に批判を自分へ向けられたものとして受け容れるのなら、それはそれでよし。

あるいは逆に、思うところあって、家に帰ってから母親に何かを言うのなら、それは池井多くんの家の問題として、わたしの手を離れるから、それもまた、それでよし。……」

 


いっぽう、その絵が徹底的に批判されるのを聞いて、私はしょげて、うなだれる立場にいた。

なにしろ、「私」が描いた絵が、他の児童たちの前で酷評されているのである。

それを描いた人間は、がっくりと肩を落とすべきなのである。

だから私は、不器用ながらも、できるだけそんな落胆を演じていたが、心の中ではひそかに溜飲をさげていたのであった。

 

「ざまあみろ」

と思ったのだ。

 

「渡辺先生、もっと言って。もっとひどいことを言って!」

と少年の私は強く心の中で願った。

 

自分が刃向かうことのできない母親に、渡辺先生が代わりに口をきわめて罵ってくれることは、胸のすく思いであった。

 

家に帰ると、絵が担任の教師に酷評された事実を、私は母に告げた。

私が母を悪く言っているのではなく、あくまでも担任の渡辺先生が母を悪く言っているのだから、私は胸を張ってこの事実を母に告げることができた。

 

すると、母は驚くべき復讐に出たのである。

 

 

・・・「スパゲッティの惨劇(76)夏休みの宿題の絵<2>」につづく

 

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