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治療者と患者(340)主体の剥奪と幽体離脱

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遠雷  Photo by PhotoAC

治療者と患者(339)

スパゲッティの惨劇(76) 」からのつづき・・・

 

by ぼそっと池井多

 

 

「おなか痛い」と「死んでやるからね」

 「スパゲッティの惨劇(76)」で述べたような、母が放つ

「おなか痛い」

という言葉は、事あるごとに母が私をおどかした脅迫の言葉、

「お母さん、死んでやるからね」

と、私の中で一直線につながっている。

 

なぜならば、

「お母さん、死んでやるからね」

という言葉の前に省略されているのは、

「わたし(母)の言うことを聞かないのなら、わたしの思う通りにならないのなら、わたしは死んでやるからね」

という主旨であり、母は自分の潜在的な「死」を、私を思うがままに支配し操作する道具として使っていたからである。

 

都合が悪くなると、その場に倒れこんで

「おなか痛い!」

とうめきだすのも、「腹痛」という症状で私が思うがままに支配し、操作しようとする企てであった。

 

母が「おなか痛い」と倒れこんで見せるたびに、母の死という、私の恐れている概念が遠雷のようにとどろいた。

 

 

祖母の記憶

母の母、すなわち私にとっての祖母は、私が5歳のときに胃がんで亡くなっていた。

しかし、私が憶えているかぎり、祖母はけっして私の目の前では患部である胃が痛むような仕草は、一度たりとも行わなかった。

それは、祖母が我慢づよかったせいというよりも、祖母の胃がんがひどくなったときには、もう祖母が私の側に現われなくなっていたためかもしれない。

 

当時の私は、まだ「死」というものが何であるかわからず、祖母の死にとくに悲しみもおぼえなかった。

けれども、しだいに成長の齢を重ねるにつれて、

「おばあちゃんは、お腹が痛くなって死んじゃったんだ」

というように理解するようになっていった。

母親にそういうふうに教えられて、そのような理解になったのだろう。

 

したがって、幼い私にとって「おなか痛い」というのは、激化すればそのまま「死」に通じる現象に思えたのである。

これを、幼児の妄想として捨て去ることは決してできないだろう。

じっさい「おなか痛い」と言っている人が、やがてそのまま腹部の疾患で亡くなることはよくあると思われる。

 

それでなくても、母が「おなか痛い!」と倒れこみ、身体の底からうめき声を絞り出して苦しんで見せる姿は壮絶であった。

ふしぎなことに、母はこの「おなか痛い!」を、家族以外の人がいる場所ではけっして発症しなかった。

もし、家族以外の人が一度でも母の「おなか痛い!」を見たら、大いにあわてると思う。

ともかく、それほどの姿であったので、幼い私が「おなか痛い」とうめく母がそのまま死んでしまうのではないかと怖れたのは、私に妄想癖があったとかそういう問題に帰せられるべきではなく、しごく妥当な反応だったと言える。

 

 

幽体離脱の分析

 「スパゲッティの惨劇(76)」でも述べたように、こうして脅かされた状態になった私は、もはや何でも母のいうことを聞くのであった。

何も悪いことをしていないのに、母の望むとおり、土下座でも何でもした。

このように、母の「死んでやる」「おなか痛い」が始まると、けっきょく私は自分を放棄しなければならなかった。

私は私でいられなかった。

 

土下座する私の頭を、母は嬉々として足で踏んづけた。

寒い冬などは、スリッパのまま踏んづけることもあった。

いま思えば、母は正真正銘のサディストだったのだろう、と思う。

 

母とはついぞ性欲にまつわる話をしたことがない。

一般の母と息子でも、あまり性欲にまつわる話はしないものだろうが、それにも増して我が家の場合は、母親はツンと冷たく鼻高々のインテリ然とした女性であり、あたかも、

「わたくしには性欲なんて、はしたないものはございませんわ」

とでも言うような態度で世間向けの顔をつくっていたからである。

 

しかし、多くの年月が過ぎ去って、この歳になった私が往時の母の私への虐待ぶりをふりかえると、

「母は、性欲を持て余していたのではないか」

という想念に思い到るのである。

 

おそらく父ではエロスが弱く、母のエロスを受け止めきれなかったのではないか。

そのため母のエロスは、家族内にいたもう一人の人間存在である私へ向かったのである。

エロスによって描かれる三角形は、娘が父親の近親姦の対象となる家庭と、構図は同じであったのだ。

ただし、私の母の場合は、その器質的な必然性から、対象を侵襲するエロス的行為が性器を媒介とする行為にはならなかった、というだけの話である。

自分の娘を姦淫する父親は、往々にして娘という人間存在が、父親である自分から切り離れた一個の独立した精神を営む主体的存在である事実に思いが至らない。

それと同じように、私の母親は、彼女がエロスを向けてきた対象(=客体)である私が、一個の独立した精神を営む主体的存在である事実に思いが至らなかった。

そこで私がその事実を主張すると、今度はそれが受け容れられなかった。そのため、それを否定するために、母は私を土下座させ、その頭を踏んづけたのである。

それは母にとって、私の精神を屈服させ、私から主体を剥奪はくだつし、私を客体に押し戻し、自分と息子との関係性をむりやりに自分が考えているものへと復元させる儀式であったのだ。

 

 

こういう時に、私は私でなくなった。

私は主体でいられない。

しかし母親の客体にもなりたくない。

それでは、私はどこに居たらよいだろう?

自分の身体の中に留まっていたら、母親に土下座した頭を踏んづけられ、あらんかぎりの屈辱を受けている私に同意したことになってしまう。

そういうときに「私」は、私の身体から抜け出し、高みから私を眺めたのである。

そうすることで母親に凌辱されている自分を他者化したのだ。

他者化しないことには、あまりにみじめで、私は私としての一貫性が保てなかったからである。

 

それが「スパゲッティの惨劇(76)」の末尾でも書かせていただいたように、同じ部屋の天井近くの高いところから、自分が自分を見下ろしているような、おかしな光景を見ていたときの真相である。 

 

 

 理解できない精神科医

はるか後年、精神科医 齊藤學さいとうさとるの営む東京・港区のさいとうクリニックで、父親から近親姦などの性的虐待を受けた女性たちが、精神医学的には「乖離かいり」と呼ばれる、この幽体離脱ゆうたいりだつの症状をよく訴えるのを聞いた。

 

父親から性交を受けている間じゅう、自分は自分から抜け出て、天井から自分を見下ろしていた、というものである。

 

そして、齊藤學はいうのだった。

幽体離脱は、性器の侵襲をともなう性的虐待を受けた女性に特有のPTSD症状である、と。

 

私は「ちがう」といった。

幽体離脱という乖離症状は、性器の侵襲を受けた女性の被害者に特有のものなどではなく、主体への著しい蹂躙じゅうりんを受けた場合に男性にも発生する一般的な症状なのだ、と。

 

しかし、齊藤學は私の言っていることが理解できなかった。

いや、理解できないわけがあるまい。

私は今ここに書いているように、誰にでもわかる日本語で説明していたのだ。

齊藤學は理解しようとしなかったのである。

意図的に私の証言を認めなかったのだ。

なぜならば、それを認めては、彼の精神科医としての一世一代の理論が崩れるからである(*1)

 

*1. のちに齊藤學は、ある非公開の場で「男性の性被害というのはすべて誤報です」とまで言っている。

 

やがて齊藤學は私を「いちばん悪い患者」と吹聴するようになった。

麻布村のNPO法人JUSTでおこなっていた性虐待に関するプロジェクト「SAFE」は、それまで私が主任であったが、その私を排除するために、江青を首班としてあらたに「SIAb.」を作らせた。

 

「SIAb.を作った目的は、ぼそっと池井多を排除することにあった」ということを、齊藤學は次の音声記録にあるように、はっきりと明言している。

 


シワブは池井多を排除するために作った団体

 

この流れを見て、私を排除・攻撃すれば、治療者として権力を持つ齊藤學に気に入ってもらえると踏んだ多くの転移患者たちが、こぞって麻布村で私を迫害するようになった。

まさに、学校などで起こるイジメの構造である。

 

これで迫害された私は、一時期は精神的に追い詰められ、自死を考えたのである。

「何をバカな」と思う方もいるかもしれないが、社会で打ちのめされてボロボロになり、救いを求めてたどり着いたはずの精神医療機関でこのような組織的な迫害を受けたら、私でなくても、けっこう誰でも自死を考えるのではないだろうか。

げんに、麻布村では私よりも前に何人もの患者が自死している。

心を癒すはずの精神科医療機関で、このようなイジメと迫害が起こっているという事実は、いったい一般社会でどのくらいの人が知るだろうか。

 

そうこうするうちに、やがて流全次郎(*2)のように、何が議論の焦点になっているかもわからないような患者が横から出てきて、次のような宣言を高らかにおこない、私を麻布村から追放したのだった。

 

流全次郎
> ぼそっと池井多

塞翁先生のおかげで命を存(ながら)えている人間にとって、

あなたはです。

[ 流(ナガレ) 全次郎 ] 2018/1/19(金) 午後 10:54
 

*2. 流全次郎に関しては以下を参照

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こうして私は、「ひきこもりを治そう」と志して1999年に通い始めた精神医療機関から追放され現在に至っている。

麻布村の精神療法は、私の状態をけっして良くはしなかった。それどころか、はるかに悪くした。

だから、私はこんなものを、精神症状で苦しむ他のひきこもり当事者に勧めようとは、まったく思わないのである。

 

 

 #齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 

 

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