VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(306)続・そもそも「暴力的支援団体」の何が問題なのか

やっぱり今日もひきこもる私(302)」からのつづき・・・

 

by ぼそっと池井多

 

1980年代、世界はエイズ (AIDS) という新しい病気に恐れおののいていた。いうまでもなく、HIV陽性から起こる疾患である。

当時は治療法もなく、一度かかれば死ぬものだと考えられていた。

こんにちの新型コロナと似て、人々は恐怖心からさまざまな差別も生み出した。

 

そのころ、私は「そとこもり」の真っ最中で、死に場所を求めてアフリカ大陸を彷徨していた。

アフリカの田舎町には、どこも同じポスターが貼られていた。

子どもたちがこちらへ向かって逃げてくる、というマンガの図柄であった。

地平線の向こうからモンスターが入道雲のように大きくなり、こちらへ襲ってこようとしている。

モンスターの胴体には、公用語が英語の国ならばAIDS、フランス語ならばSIDAと書かれていた。

おそらくWHO(世界保健機構)あたりが主導で各国にばらまいていたのだろうが、

エイズは怖いものだ」

ということを人々に啓蒙しようというポスターであった。

このようなポスターのおかげで、アフリカの子どもたちは、誰もがエイズを恐れていた。

 

ところが聞いてみると、彼らはエイズとは何かを知らないのであった。

知らないというよりも、あいまいに

エイズとは、お化けのようなもので、向こうから襲ってくる」

と認識していただけである。

 

そして、そういう子どもたちが青年となり、田舎町から都市部へ出てくると、真っ先にHIVに感染する人口層となっていた。

これは、エイズという病気が、恐怖の表徴となってしまった結果であると言える。

 

 

 

 

同じようなことが、私たちひきこもり界隈で「暴力的支援団体」をめぐって起こりつつある。

といっても、「暴力的支援団体」が表徴するものは恐怖でなく、悪である。

悪の表徴として「暴力的支援団体」という語が独り歩きを始めており、とにかく「暴力的支援団体は悪だ、悪だ」と言っていれば、それだけでひきこもり界隈に居場所を与えられる。

「暴力的支援団体」という仮想敵がいるから、ひきこもり界隈が団結できる。

ちょうど、麻布村で私、ぼそっと池井多の存在が精神科医齊藤學さいとう・さとるによって「敵」と指定されたことにより、患者たちもJUSTも元気になって結束し、よろこんで無償のご奉仕をおこない、麻布村が存続しているようなものである。

 

しかし「暴力的支援団体」が悪の表徴とされているかぎり、人々はそもそも「暴力的支援団体」の何がいけないかという思考へ入っていくことはないだろう。

そのために私は、先日「やっぱり今日もひきこもる私(302)」のような問題提起をさせていただいたわけである。

 

そこで(「暴力的支援団体」ではなく)「自立支援団体」を支持する立場をつらぬいた桐山忠一郎さんは、私にとっては論敵であったが、誰かも言っていたように、アウェイな場所で圧力に負けずしっかりと自分の主張をされて、まことに立派だったと思う。

彼のような立場になると、とかく人は黙ってしまったり、あるいは黙ることで鬱憤をためこみ、ややもすれば川崎登戸通り魔事件のような形で爆発するかもしれないが、桐山さんはそんなことはせず、あくまでも言葉によって、自らの考えを主張し続けた。

こういう人を、ひきこもり界隈はもっと大事にしなければいけないと私は思う。

そして、それは「暴力的支援」を支持し、推奨することとはちがう。

 

 

 

 

そもそもここで「暴力的」と称されることは何かを考えてみると、それは当事者の主体を剥奪しておこなわれることだと言える。

何が何だかわからないうちに、「暴力的支援団体」叩きをやっているような当事者は、それこそ現在のひきこもり界隈によって主体を剥奪されているようなものである。

これを暴力的界隈と呼ばずして、何と呼ぼうか。

 

 今のひきこもり界隈は、「暴力的支援団体」側の人と話をしようとするだけで、

「あいつは、あちら側に寝返った」

などと言われ、こちら側のSNSの友達関係を切られる。

知識人である専門家先生が、率先してそんな反知性主義的な行動を取っている。

ひきこもり界隈に「対話」を呼びかけている張本人が、「暴力的支援団体」側の人と対話することはまったくない。

 

指定暴力団ならぬ、指定暴力的支援団体の一つであったアケボノバシのように倒産へ追いこむと、そこへ多額のお金を払った当事者の親御さんも資金が回収できなくなる。

「暴力的支援団体」は、攻撃して倒産へ追いこむよりも、私たち当事者が望む団体に生まれ変わってもらったほうが、相互によって利があるのではないだろうか。

彼らを「暴力的支援団体」と呼び、対話を拒絶しているかぎり、彼らに変わるチャンスを与えない、ということである。

 

 

 

 

そこで私は次回、10月4日の庵-IORI- で、オンライン参加の立場で次のようなテーブルを持たせていただくことになった。

 

そもそも「暴力的支援団体」の何がいけないのか

~「暴力」という語を使わないで語り合ってみよう~

 

コロナ下での庵-IORI- は、オンラインとリアルのハイブリッド開催なので、地方にお住いの方でもオンラインで参加できる。入場料もかからない(献金は歓迎)。

そのかわり定員があるので、10月2日(金)までのメールで申し込みをしなければならない。

もちろん「自立支援団体」を支持する方々や、その関係者の方々も、なんら引け目を感じることなく、安全に参加できて、自由に議論できる。

詳しくはこちらである。

https://iorihiki.wordpress.com/2020/09/21/第45回ひきこもりフューチャーセッション「庵-iori-」

 

 

 

 

 

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