VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(78)責めてくる存在としての母 

by ぼそっと池井多

 

先日「しゃべれない男たちの叫び(27)」で、さだまさし(クレープ)が唄っていた「無縁坂」という歌詞の一部を挙げ、日本の歌謡曲において「息子から見た母親」というものが、どのようなイメージで描かれてきたかを書いてみた。

 

べつに、さだまさしでなくても良かったのである。

森進一おふくろさん」というのもある。

 

おふくろさんよ おふくろさん

花を見つめりゃ 花にある

花のいのちは短いが 花のこころの潔さ

強く生きよと教えてくれた

あなたの真実 忘れはしない

 

さだまさしにしても森進一にしても、今の若い人たちから見ればすでにジジイであるから、

「昭和の時代には母親はそうだったんだね」

などと解釈されてしまう恐れがある。

 

私が申し上げたいことは、そうではない。

だから、もっと若い世代のシンガーの歌から「母親」のイメージを拾ってみよう。

 

AIママヘ

世界で一番厳しくて
世界で一番優しい人
理由も知らないくせに
いつも一緒に泣いてくれてた

 

吉田山田母のうた

あなたがもしもいつか私を忘れてしまっても
私が覚えている
私はずっとあなたのワガママな子

 

back number手紙

嬉しい事があった時に
誰かに言いたくなるのは
自分よりも喜んでくれる人に
育ててもらったからなんだろうな 

 

KG母へ

あなたがいるから
僕は今こうして笑えてるよ
あなたがいるから
苦しくても顔を上げて歩いてるよ

 

大橋卓弥ありがとう

頼りなかった僕も少し大人になり
今度は僕が支えていきます
そろそろいい年でしょう
楽して暮らしてください

 

謡曲というものは、一般大衆の最大公約数的な感情を代弁することで成立するから、これらの歌詞の中に日本人の息子が母に向けて抱く感情が代弁されていると考えていいだろう。

 

どれもこれも、弱々しく、やさしく、息子が困っているときはそれを遠く外からそっと包みこむ母親の像が浮かび上がってくる。

私には、口が裂けても言いたくない甘い言葉の数々である。

そんな言葉を言おうとすれば、私の場合、言葉より先に嘔吐が出てきてしまうことだろう。

 

私にとって、ひと言でいえば母とは「責めてくる存在」である。

 

まぶたを閉じて、母を思い浮かべようとすると、とにかく私を責めて責めて、向こうから猛烈な勢いで迫ってくるあの女の像が浮かび上がる。

私はとたんに緊張して全身が硬直し、頭をふって脳裡の母の像を振り払うのだ。

 

とにかく責める母。

私のやることなすことすべて否定し、責めて責めて責めるだけの存在。

私を謝らせ、土下座させ、その頭を踏んづける母。

たとえそこで私が謝っても、その案件は解決するわけではなく、何日経っても、何ヵ月経っても、何年経っても、母が思い出すたびに蒸し返されて、同じように私をふたたび謝らせる母。

 

母の願うことを叶えても、けっして私を褒めず、けっして私に感謝することはなく、とにかく責める母。

しかし母である以上、関係を切り、私の脳裡から完全に振り払うことができない存在である母。……

 

それが私にとっての母だ。

 

 

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