VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(315)東京のひきこもり、北海道へ向かう<4>海峡という舞台

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青森駅のホーム この先は津軽海峡



by ぼそっと池井多

 

福島を出て、奥羽本線の全駅に停まりながら、ほぼ12時間で終点の青森に着いた。

東から来る旧・東北本線も、西から来る奥羽本線も、共に北の海を目指すかたちで合流し、青森駅へ流れこむ。

上の写真は、私の乗った列車が到着したホームから北の方向を眺めたものだ。

なにやら「無駄に長い」、誰もいないホームが延々と北へ伸びている。 

これこそは国鉄青函連絡船を運航していた時代の名残りである。

高校3年生のとき、私は東北本線の夜行急行「十和田」で青森駅に降り立ち、このホームを進んで、そこから青函連絡船に乗った。

煩雑な手続きは何もなく、まるでベルトコンベアーに乗ったように人の流れに身を任せていると、いつのまにか船上の人になっていた。

当時の突堤には、青函連絡船に使われた「十和田丸」が、国鉄のJNRのマークを煙突に残しながら、博物館となって停泊している。 

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青森駅の北側にも、鉄道の線路が退避線のように伸びているが、8本が4本、4本が2本、2本が1本としだいに減っていくところが、なんとも「北の果て」を感じさせる。

下の写真は、最後の2本が1本になるところ。

この近くに「津軽海峡冬景色」の歌碑がある。

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北海道新幹線などという代物ができて、人は乗り換えることなく鉄道に乗ったまま津軽海峡を越える時代になった。

そんな現代において、昭和の時のように船で函館に渡ろうとすると、えらい手間暇をかけなければならない。

まずは青森駅を出て、駅前のバスターミナルから本数の少ない市営バスに乗り、フェリー乗り場を目指す。

フェリーの発着場は、なぜか連絡船の発着場だった青森駅から離れているのである。

 

  ♪ 北へ帰る人の群れは誰も無口で...

 

という石川さゆりが歌った「津軽海峡冬景色」とついになるのが、北島三郎の「函館のひと」であった。

 

  ♪ は~るばる来たぜ、函館ーっ!

   さかまく波を乗り越えてー

 

という始まりでおなじみの、だいぶ能天気な唄である。

 

あれは昭和の日本人のジェンダー観を示しているのではないだろうか。

津軽海峡冬景色」では、女がしおらしく傷ついて北へ帰っていくのであり、「函館の女」では、陽気な男が恋する女性に再開したくて北へやってくる。

そこでは、函館に暮らす女は、津軽海峡を渡ってくる男を、今でも熱い想いをもって待っているという設定になっている。

少なくとも、男の頭の中ではそうだ。

 

ところが、そこがどうもリアルではない。

勝手に女が自分を待っているとナルシストの男が思い込み、胸をときめかせて彼女の住所を訪れたら、そこには別の男と住んでいる女がいたり、あるいはそこまで行かなくても、女には迷惑そうな顔をされて、海を渡ってきた男の内的世界に破滅カタストロフが始まる、という話のほうがはるかに現実的である。

 

 

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青森港から見る津軽海峡。海の向こうに見える山影は、おそらく北海道ではなく、下北半島だろう。

 

高校3年生でこの海峡を渡ったときと、初老とも言われる年齢でふたたび同じように海峡を渡る私のあいだには、はたして何があったのだろう。

地獄のような孤立を味わった大学時代。

絶望して死のうと思い、いつのまにかアラブやアフリカを放浪していた20代。

アフリカ大陸の南端、喜望峰を眺めたときには、なかば乖離しているような状態だった。

それから日本に帰ってきて、今度は「うちこもり」の年月が過ぎていき、麻布村の精神医療に生活も人生もからめとられて15年近くを浪費した。

気がつくと、すでに身体のあちこちが老朽化しはじめ、人生は「まとめ」の段階に入ってしまっている。

私の心も頭も、あのころ海峡を越えた高校3年生と何も変わらない気がするのだが・・・。

 

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ごらん あれが龍飛岬と  見知らぬ人は指をさしてくれない

 

この津軽海峡を舞台にして、多くの物語が書かれ、歌が唄われてきた。

連絡船やフェリーというものが、物語や歌を成り立たせる小道具として必要であるならば、それは本州と九州を結ぶ関門海峡でも、岡山と香川を結ぶ宇高連絡船でも、はたまた対馬隠岐の島や小笠原諸島へむかうフェリーでもよかったはずだ。

しかし、それではどうも「画」にならない。

やはり津軽海峡でなくてはだめだ。

作者たちは、そう考えたのにちがいない。

 

理由は何だろうか。

まず片道約4時間の航路という、時間的な長さが適切なのだと思われる。

10分で着いてしまっては夢や物語が展開しない。かといって、一日かかる行程だと間延びしてしまう。

 

そして、航路の両端に、同じくらいの規模の都市空間が存在していることも重要だ。

これが隠岐の島や父島となると、一方が「離島」、もう片方が「本土」となって、格差が生じてしまうので、

「あちらの世界へ行ったり、こちらの世界へ来たり」

という双方向の関係性が変わってしまう。

 

さらに、何といっても海峡が東西に横たわり、それを横切る航路が南北一直線に延びていることも要件の一つだろう。

「北へ帰る」「北へ行く」

といったベクトルがここに生まれる。

「は~るばる来たぜ 函館!」

という能天気な男が放つ威勢のよいナルシズムも、北へ一直線のベクトルから発せられている。

 

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はるばる来たぜ、函館。

 

 

 

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