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やっぱり今日もひきこもる私(316)東京のひきこもり、北海道へ向かう<5>蝦夷地共和国の幻影

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五稜郭の中にある箱館奉行所

 

by ぼそっと池井多

 

こうして、40年前と同じように船で北海道に上陸した私は、函館の寒さに身をすくめた。

わずか4日前、東京を出たときは陽気は夏に近かったが、東北に入って秋が始まり、北海道ではもう冬である。

 

函館は、会津若松とならんで戊辰戦争の聖地といってよい。

どうも今回の私の北上の旅は、戊辰戦争を軸に進んでいる。

 

城のようで城でない、世界にもめずらしい五角形をした五稜郭という土塁建築は、いわば「函館城」のようなものかと思っていたら、そうでもないようだ。

函館の中心と五稜郭は、函館市民の感覚からすれば、少し離れている。

もしこの街に地下鉄が通っていたら、2駅ほどの距離になるだろうか。

この距離が存在することが、あとで述べるように、歴史の中では重要な役割を果たす結果となるのである。

 

 

 

 

五稜郭は、戊辰戦争で有名になったから、榎本武揚土方歳三など旧幕府軍がつくったものだと思っている方が多いようだが、そうではない。

それは、戊辰戦争よりも十年以上前に、江戸幕府が北方の防衛を固めるために設置した役所である。

函館(当時は「箱館」)の中心街は、海と接した函館港や函館山のあたりにあるが、そこに役所を作ったのでは、敵国が攻めてきたときに軍艦からの砲撃でやられてしまうと考え、わざわざ内陸に入った場所に函館奉行所を置いたものらしい。

設計したのは、北海道とは縁もゆかりもなかった四国は大洲藩士の武田甲斐三郎という武士だが、これがまたすごい理数系の頭の持ち主だったと思う。

ふつう四角形につくる土塁を正五角形にするなどという技は、並大抵の建築技術ではなかったろう。正六角形だって難しいだろうに、正五角形なのである。

フランス人の建築技師に手ほどきを受けたらしいが、江戸時代に日本で独自に発達した数学「和算」の知識も動員されたのにちがいない。

 

こうしてつくられた五稜郭は、戊辰戦争が起こったときに、すぐに戦場となったわけではない。

京都で大政奉還がおこなわれると、遠く離れた北海道(当時は蝦夷えぞち)では、五稜郭に置かれていた箱館奉行所が、いったん新政府へ一滴の血も流されずに委譲されたのだった。奉行には、京都から清水谷公考というお公家さんがやってきて箱館府知事として就任した。

ところが、そのあと本州から土方歳三榎本武揚旧幕府軍が落ちのびてきて五稜郭を獲ろうとしたものだから、いくさに慣れないお公家さんはさっさと五稜郭を明け渡し、津軽海峡を渡って青森へ逃げていった。

その後、土方歳三たちはこの五稜郭を政庁として「蝦夷地共和国」の構想をいだくのである。

明治日本とは別個の日本を北の大地に建設しようとしたわけだ。

 

しかし、やがて新政府軍が北上してきて北海道に上陸し、現在の函館山函館駅のあたりを占領する。

土方歳三は、函館山に取り残された友軍を救出するべく、わずか50名の兵を率いて五稜郭を出て、箱館市中へ斬りこみをかけようとした。

 

函館市街と五稜郭が少し離れているからこそ、こうしたことが起こったわけである。

そのとき土方歳三は、この道を行ったと考えられる。

 

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手前が五稜郭、向こうに見えているのが函館山である。

 

とちゅう、新政府軍の占領地区である箱館の町へ入る手前に関所が設けられていた。

こんにちの「一本木関門」である。

土方歳三は、ここを馬で突破しようとして新政府軍の銃弾を浴び、落馬して絶命した。

そこは、今では函館市の総合福祉センターの庭となり、このようになっている。

 

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土方歳三の最期は、幕末を舞台にした多くのドラマで取り上げられてきたが、なんといっても劇画のようにドラマチックである。

花神」ではたしか、長塚京三の演じる土方歳三は、新政府軍に誰かと問われて、こんな最期の言葉を吐いていた。

「何用か、だと? 新撰組の副長が、わざわざ新政府軍の陣中に罷り越すとなれば、それは斬りこみに行くだけの話よ!」

それを聞いた新政府軍側の銃砲が、土方をめがけいっせいに火を噴いた。

 

 

 

 

ここで私の空想は、彼らが考えていた「蝦夷地共和国」というコンセプトに向かう。

もし、土方歳三榎本武揚箱館で新政府軍を追い返していたら、北海道に共和国という政体が誕生していたことになる。

そこでは、内地(本州)から渡ってきた旧幕府軍と、先住民であるアイヌとのあいだに、いったいどのような関係性が築かれたであろうか。

中国の国共内戦で台湾に渡った国民党政府のようになっていたのだろうか。

明治新政府天皇を頂点に据えた、いわば帝政であったことを考えると、それよりも遥かに歴史的に進化した政体を、旧幕府軍は実現しようとしていたわけである。

政務を執る者も選挙でえらぼうとしていたそうだから、明治政府が22年後に天皇の名で公布する憲法や、57年後に施行される普通選挙法などを先取りしようとしていたことになる。すごいじゃないか。

 

土方歳三自身、尊皇の志もあったようだが、蝦夷地共和国ともなれば、もはや天皇は関係なくなる。そのへんはどう考えていたのか。

 

インタビューしてみたい。

 

 

 

 

函館を出発し、北海道駒ケ岳を右に見て北上する。

原生林の中を進む函館本線の各駅停車に揺られて札幌をめざす。

 

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ふいに列車が急停車した。

 

録音された女性の声でなく、運転士の肉声が車内放送で説明する。

 

「線路内にシカが立ち入りましたので、急停車いたしました」

 

はじめギャグかと思ったら、車内は誰も笑っていない。

どうやら本当らしい。

北海道に来たな、と思った。

 

長万部おしゃまんべでは、次の列車への接続まで2時間あったので、海岸へ行って過ごした。

北の海でも、ここは渡島半島にぐるりと囲まれた内海であるためか、波は静かである。

  

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どこかから牛糞のにおいが流れてくる。

牧場が近いのだろう。

 

沖縄の海岸では豚のにおいがしたが、北海道では牛というわけだ。

 

足下に目を落とすと、落ちている貝殻の種類が、これまた沖縄とまるきりちがう。

ホタテ、ホッキ、ハマグリ、……ごていねいにもズワイ蟹の足まで流れ着いている。

まさに居酒屋の台所とみまがうほどであった。

 

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