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スパゲッティの惨劇(86)家族旅行という地獄

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Photo by PhotoAC

 

by ぼそっと池井多

 

前回「スパゲッティの惨劇(85)」では、私がアフリカへ「死にに行く」と思い定めた1988年に、家族で山梨県へ旅行したことを書かせていただいた。

 

家族旅行へは、私の幼いころは、年一回ていど出かけていた。

 

これだけを聞くと、

「年一回、家族旅行へ出かけるような、仲の良いしあわせな家族」

に聞こえるかもしれない。

 

まさに、それが母の狙いだったのだと思う。

 

「年一回も家族旅行へ行っているのだから、この家は不幸であるわけがない」

「幸せでないわけがない」

そのように人は考える。

だからこそ母は、ちょうど犯人がアリバイをでっちあげるように、年一回の家族旅行へ行っていた。

 

 

 

 

家族旅行は苦しいものであった。

 

ただでさえ陰湿なサディズムを内に秘め虐待的であった母は、なぜか家族旅行が近づいてくると、その異常性や虐待性がエスカレートしていくのであった。

そして、家族旅行の決行そのものを盾に取り、私たちに無理難題を突きつけてくるのである。

 

それは、このように起こった。

もうすでに家族旅行が計画され、列車や宿が予約されているという時点、たとえば出発の3日前あたりから、まずは母の機嫌が悪くなっていく。

そして、平生であれば、私が抵抗を示して受け容れないくらいひどいことを要求してくる。

 

子どもであった私は、その時点ではすっかり家族旅行へ行くものだと思っているから、その予定を楽しみにしている。

すると、私のこの「楽しみにしている」という気分を人質に取って、母は、

「もし、~~~しないなら、家族旅行に行かない」

といったことを言い始め、取り引きを始めるのである。

 

この「~~~しないなら」という部分に、とてもではないが「できないこと」や「したくないこと」が入る。

 

もし今の私であったなら、

「ああ、そうか。ならば行かないでくれ。

 そこまでして家族旅行なんか行きたくない。

 その方がこちらも助かる」

と突っぱねて、母の脅迫を無視できるだろう。

 

ところが、子どものころの私はそうは行かなかった。

それが未熟であるゆえんなのだが、

「家族旅行へ行けなくなると大変だ」

などと思うから、けんめいに母の要求を受け容れようとしてやった。

 

ところが、私が受け容れようと努めれば努めるほど、母は要求を釣り上げるのである。

 

かろうじて家族旅行が取り止めの難を逃れ、行くことになっても、出発の朝はきまって母は不機嫌であった。

けっして気持ちよく行こうとしない。

あたかも、自分が楽しい気分のところを家族に見られたら、その楽しい気分を人質に取られるかと警戒しているようでもあった。

それは、母自身が他者の楽しい気分を人質に取るものだから、人は皆そうやって相手を攻め合って生きているものと考えていたのかもしれない。

おそらく母においては、人は楽しくあってはいけないのだ。

 

こうして出発の朝も、母は不機嫌なまま、

「家族旅行へ行ってやる」

という尊大な態度を取りつづけたままであり、私や父などは

「申し訳ございません。家族旅行へ行っていただきます」

という低姿勢で出発し、その力関係のまま旅行が進んでいく。

 

だから、なんにも面白くなかった。

 

ずっと、すねた母の相手をしつづけなくてはならず、その意味で地獄だった。

私は、家族旅行で面白かった思い出は一つもない。

 

しかし、帰ってくると母は、近所や親類などに、

「家族旅行へ行ってきたんですのよ、オホホホホ」

と言わんばかりに自慢をする。

 

まさしく我が家の家族旅行は、母親が対外的に「しあわせ家族」を演じるためのアリバイにすぎなかったのである。

 

 

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