VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(324)本日「ひ老会」をリアル開催します。

f:id:Vosot:20201111182352j:plain

photo by チームぼそっと

by ぼそっと池井多

 

本日、第20回「ひ老会」を開催させていただく。

「ひ老会」は、以前は和室でおこなっていたが、コロナ感染予防で3密回避のためにただっ広い洋室で開催するようになった。

換気のために、窓をいくらか開けっ放しでおこなわなくてはいけないが、これからの季節は会場がそれによって寒くならないか気がかりである。

窓を開けながら暖房をかけるなどというエネルギーの無駄遣いは、9年前の計画停電のころには考えられなかったが、今やいたしかたない。

 

 

今年コロナ禍が始まって、「クラスター」「ロックダウン」「濃厚接触」などなど、いくつもの新しい語彙が出てきたが、「リアル開催」「オンライン開催」などといった用語もその中に入るだろう。

今年の三月までは、「開催する」といえば「リアル開催」に決まっていた。

それをわざわざ「リアル開催」と言わなくてはならないところまで、世の中が変わってしまったわけである。

 

 

居場所やイベントの主催者たちは誰もが悩んでいる。

「ひ老会」も、緊急事態宣言が発出されたころは何回かオンライン開催し、それはそれなりに人々が孤立を免れる一助にはなったと思うが、やはりリアルで開催するのに勝るものはない。

そのため、夏以降はリアル開催に戻っている。

 

リアルとオンラインを同時に行なう「ハイブリッド開催」というのもあるが、これはリアルならリアル、オンラインならオンラインに専属のスタッフがそれぞれ一人以上ついていないとできないということが、庵-IORI- などの経験からわかっている。

そうしないと、ハイブリッドとは名ばかりで、リアルとオンライン、別々の二つのイベントが同じ時間帯に行なわれるだけになってしまうのだ。

 

コロナ禍の開催についての悩みを、『週刊女性』2020年11月24日号で取り上げていただいた。

f:id:Vosot:20201111183827j:plain

週刊女性』2020.11.24号 p.116

 

そこで記者の亀山早苗さんが書いている。

「何度かオンラインでの集まりに参加してみたが、画面の向こうに人はいるのに、その肉体の重さや存在感をリアルに感じることができずにいた。言葉だけが上滑りしていくのだ。

(……中略……)

会うというのは、互いの肉体の存在を感じ合うことなのかもしれない。」

 

まさしくそうだと思う。

オンラインで開催すると、遠方のかたでも参加できるという捨てがたいメリットはあるものの、交流をすべて言葉というチャンネル一つに還元させなくてはならない。

向こうから言葉以外のチャンネルから発せられる信号が嗅ぎ取れないために、受け手としては疲れる。

また、発信する側にしても、

「向こうは私の言葉しか聞いていないのだ」

と意識して、すべて言葉に翻訳しようとするから、これまた疲れる。

このように疲れたすえに、

「人々と会った」

という満足感はそれほど得られない。

 

そこへいくとリアルな開催は、たとえ相手が言葉で何を言ったか忘れてしまっても、たたずまいや吐息やわずかな動作から、相手が存在したことが体感的に残るのだ。

 

 

 

 

All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020