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やっぱり今日もひきこもる私(326)ドラマ「こもりびと」を見た。

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NHKスペシャル「ドラマ こもりびと」より


by ぼそっと池井多

 

前回、「やっぱり今日もひきこもる私(325)」でお知らせしたように、11月22日にNHK総合からひきこもりに関するドラマ「こもりびと」が放送され、東京近辺のひきこもりのコミュニティはこの話題で持ち切りである。

 

しかし、ひきこもり当事者はテレビを持っていない人が多く、「見られなかった」という声もたくさん挙がっている。

私はNHKの回し者ではないから、こんなことを宣伝しなくてもよいのだが、いちおうテレビで見られない方々のためにお知らせすると、インターネットでNHKの放送が無料で見られる「NHK+」というサイトでも一週間見られる。

 

ドラマ「こもりびと」がインターネットで見られるサイト

(11月29日 22:13まで有効)

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2020112211567

 

けれども、このサイトも日頃から登録していないと、いざこのような番組を見たいと思っても、登録確認のはがきが郵便で届くまで、視聴を待たなければならない。

 

また受信料を払っている本人か、その家族でないと登録できない。

親と同居しているひきこもりの方は、受信料を払っているのは親であろうから、それこそ親とのコミュニケーションがうまくいっていないと登録すらも申し込めないことがあるだろう。

 

というわけで、結果的にひきこもり当事者の中には、このドラマが視聴できないという方が続出した。

こういうときのために、NHKもヨーロッパの国営放送なみにYouTubeへ無料で流すとか、もっと視聴者に広がるように制度を規制緩和してほしいものである。

なお、11月24日今夜23:45~、NHK総合再放送があるらしい。

 

 

 

 

 「ひきポス」の名前はクレジットに出なかったようだが、

「資料提供」

という役割で末尾に出てきた石崎森人がひきポス編集長である。

彼は、ドラマの中にも出演している。

 

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これは武田鉄矢さん演じる父親が、ひきこもり対話交流会「囲炉裏 -IRORI-」に参加して、自分がひきこもっている息子に対してどうしたらよいかについてひきこもり当事者・経験者の生の声を聞きメモを取るシーンのことであった。

もちろん「囲炉裏-IRORI-」とは、「庵-IORI- 」をモデルにしている。

庵-IORI- がかつて開かれていた東京・練馬区の季楽堂でロケをしたのか、と思ったが、よく見ると違うようでもある。

 

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 囲炉裏-IRORI-の会場とされた古民家

 

石崎さんのほかにも、東京のひきこもり界隈ではおなじみの方たちが、このシーンで多く登場した。

 

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ひきこもり当事者・経験者が自分の体験を語るこのシーンは、セリフはすべてアドリブであったという。

 

 

 

 

現実のひきこもり当事者の家庭に起こったことをドラマ化したらしいが、一つの家庭を舞台としたドラマであるから、一つの事例しか描かれない。

そういった手法的な限界は理解しながらも、このドラマで扱われているのは父ー息子関係であり、母ー息子関係はざっくりと無視されていることが、私のようなひきこもり当事者には物足らなさとして残った。

同じように、女性のひきこもり当事者の方々も、やはり自分の当事者性がこのドラマの埒外に置かれているような感覚を持ったのではないだろうか。

 

このドラマのような家庭でも、きっと何かが母子関係であっただろうと想像する。

私の原家族のように、母が強烈に表に出てくる家庭はともかく、一般の日本家庭のように母親が家庭の奥に引っ込んでいても、けっきょく子どもにとって母親は「第一の他者」であることに変わりはない。

だから、このドラマの主人公にも、ひきこもりになった遠因には、たとえば

「父親が厳しいから母親が甘やかしすぎた」

といったような、母親との関係に由来する問題が何かあったのにちがいないと私はにらむのである。

 

ところが、このドラマの脚本は、母子関係というひきこもり問題の本丸へ斬りこむことから、初めから全面的に逃げてしまっている。

そこがなんとも残念であった。

 

一方では、父親が教師であり、教え子は褒めるけれども、自分の息子は褒めないという人間であったために息子がひきこもりになった、という描き方は大変リアルであったように思う。

私の母も、塾で教えている子どもたちは褒めるけれども、自分の息子である私はけっして褒めなかった。

たとえ教え子たちよりも、息子である私の学業的な到達が高くても、私だけは褒めないのである。

それが、私がひきこもりになった遠因の一つであることは間違いない。

 

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松山ケンイチさんの顔色の悪さと、ひきこもり当事者らしい怯えた表情は、とてもリアルであった。

彼の演じる主人公は、ドラマが始まってから前半はほとんどセリフがないのだが、中盤を過ぎたあたりで、北香那さんの演じる従妹へ向かって、とつぜん

同調圧力……」

などとしゃべりはじめる。

就職活動で苦労した従妹が自分に共感してくれたことが、しゃべり始めるきっかけとなっている。

ようするに、「日本の社会が悪いからひきこもらざるをえない」という、ひきこもり原因社会論を主人公はしゃべりつづけるのだが、このあたりのセリフは非常に不自然で、とってつけた感じが否めない。

また、ひきこもりであったなら、従妹の就職をあんなふうに喜ばないのではないだろうか。

 

そもそも私は、ひきこもり原因社会論そのものに否定的である。

私自身は就職氷河期になる以前、バブル経済の時代からひきこもっている。

それだけを考えても、就職氷河期の到来が日本のひきこもりたちの本質的な原因でないことは明らかである。

 

また作者はこの主人公に、

「効率ばかり求めて、やさしさがなくなったこの国で、

おれたちの居場所はどこにあるんだろうね」

などとクサいセリフを言わせている。

この主人公はひきこもりで訥弁であるという設定なのに、なぜここだけいきなり三流詩人のような言葉がすらすらと出てくるのか。

 

「効率主義」は、産業革命のころから始まったものであり、日本というよりも近代という大きな時代全体の問題である。

そんなに「この国」に居場所がないならば、銃社会アメリカへでも、インフラの整っていないアフリカへでも、どこでも外国へ行けばいい。

そんなことでひきこもりは「解決」しない。

私は、かつて日本から逃げ出してアフリカで過ごしていたが、けっきょく私の「ひきこもり」は、私の中にあることがわかっただけだった。

今も、日本社会ではない外国にも、やはりひきこもりがいることを、私は拙著『世界のひきこもり』で書かせていただいている。

 

労働環境や雇用情勢の悪さは、たしかにひきこもりになる表層的なきっかけでありえるが、延々とひきこもり続ける原因の深部にはやはり成育歴、家族関係、親との関係、とくに母子関係があると考えるのが妥当である。

一つの職場を辞めたぐらいで、人生に深く絶望するからには、きっとその人の人生の根幹にかかわる問題が何かあるのだ、と考えていただかなくてはならない。

もし根幹に何もないのならば、一つの職場をクビになったり、あるいは自分から辞めたりという体験があっても、しばらくしてまた求職をはじめ、次の職業に就くだろう。

ところが、ひきこもりはそうはしない。

雇用情勢が悪いと言っても、仕事を選ばなければ、どんな職だってある。

げんに、外国人労働者の方々はよろこんで日本でそういう仕事について稼いでいる。

そういうことができない私たちひきこもりの心の根底に何があるのか、労働環境や社会風土のせいなどにしていないで、真正面から明らかにして行かないことには、ほんとうの意味で前に進んでいかないし、ひきこもりも救われないのである。

 

 

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