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三島由紀夫を読み返す(31)他人の救済

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Mishima_Yukio_1970.jpg/800px-Mishima_Yukio_1970.jpg

1970年11月25日 自衛隊市ヶ谷駐屯地バルコニーで演説する三島
この直後、方面総監室に入り割腹自殺した。
photo by Wikimedia/CC BY-SA 3.0 nl

 

by ぼそっと池井多 

 

今日は、三島由紀夫の割腹自殺からちょうど半世紀に当たる日である。

 

私は高校から浪人のころにかけて、三島由紀夫にどっぷりと首まではまった。

そのため、自分の男性としての意識の持ち方は深く三島に影響されているということを、30代をすぎてから自覚するようになった。

 

そこで、三島の言葉をときどき振り返るべく、本ブログでもちょうど5年前、2015年11月25日より、この「三島由紀夫を読み返す」と題したシリーズを始めたのであった。

 

ところが、記事内容へコメンターの投稿なども掲載しているうちに、当初の目的から大きくはずれ、文芸評論のような領域をひたすら漂流することになってしまった。

読者参加型のインタラクティブなブログ作りという面ではおもしろかった側面もあるが、そういうことがやりたいわけでもなかったのに漂流を許してしまったのは、ひとえにブログ運営者としての私の不徳のいたすところである。

 

漂流の果てに大海のかなたへ消え去ったこのシリーズだったが、三島由紀夫没後五十年の日に復活させてみようと思い立った。

それというのも、

三島由紀夫など、ジジイたちが読む物だ」

と、最近の若者たちが考えていると勝手に勘違いして、私は若い人たちと話をするときには、三島に耽溺した過去をあまり話さないようにしていたのだが、じつは今の世代にとっても三島はある種の新しさを以って燦然と輝いていることが知れてきたからである。

 

それだけではない。

50年前と違って、やはり歳月というフィルターによって濾過されてきたのか、今の世代の人たちの方が三島の本質をとらえている点もある。

たとえば、自衛隊で割腹自殺した直後は、三島は右翼の軍国主義者という肩書きで語られることが多かった。

私は、

「いや、三島は右翼だの左翼だの超越したところで、一人の過激派であっただけだ」

と説明したのだが、あまり相手にされなかった。

私の解釈は、澁澤龍彦に大きく負うている。

澁澤のように、三島の近くにいた人も、やはり

「三島と右翼思想は、関係あるようで、じつはあまり関係ない」

と考えていたようだった。

 

こんにち「過激派」という語は死語のようだが、人々は「根本的な思考を持つ人」という表現で同じことを語る。

先日、11月21日に放送されたNHKスペシャル三島由紀夫 50年目の“青年論”」でも、そうであった。

 

 

 

 

今日、取り上げるのは、三島のこの言葉である。

 

他人の救済ということを信じなくなってから、彼はかえって弁護士として有能になった。

情熱を持たなくなってから、他人の救済に次々と成功を納めた。

暁の寺』 

 

暁の寺』は、三島の最後の作品となった四部作「豊饒の海」の第三巻である。

 

ここでいう「彼」とは、四部作をつうじて「視る者」として主人公のような存在である本多繁邦ほんだしげくにを指している。

 

本多は、この作品に先立つ第二巻『奔馬』において、純粋な魂を持つがゆえに右翼のテロリストとなり、世俗的な意味では破滅していった飯沼いさおを救済しようとする。

今の言葉でいえば、

「ふつうに働ける人」

にしてやろうとしたのである。

しかし、勲の純粋さがこれを凌駕し、勲は財界の大物、蔵原を刺殺して、崖の上で割腹自殺してしまった。

 

この体験が、本多にとっては今でいうトラウマになり、彼は他者を救済することに興味を示さなくなったのである。

上に掲げた文章で「他人の救済」とは、そういうことを指している。

 

これは、三島に耽溺した18歳や19歳のころとは打って変わって、「ひきこもり」としての当事者活動などということを手がけている私には、痛切に突き刺さってくる言葉だ。

 

他のひきこもりを「救済」しよう、などというのは、浅はかで傲慢な考え方である。

そんなことを思っているうちは、自分を含めてたった一人のひきこもりも救済などできないだろう。

他のひきこもりを蹴落とし、踏んづけ、奈落の底へ落としてやろう、というくらいに思っていた方が、かえってひきこもりの救済ができたりする。

自分にエゴがあるという真実に目を向けられない者は、この真実に気づかない。

 

 

 

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