VOSOT ぼそっとプロジェクト

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当事者活動を考える(39)ひきこもりのテレビ出演で噴出する、ひきこもり当事者間の「隔絶」問題

by ぼそっと池井多

 

やっぱり今日もひきこもる私(325)」でお伝えしたように、11月下旬から12月上旬にかけて、ひきこもり関係の番組が集中的に20本近くNHKから放送されている。

私が「NHKひきこもり祭」と呼ぶシーズンである。

 

番組には、さまざまな形でひきこもり当事者が関わっている。

なかには、ひきこもりが出演する番組も多い。

先日、11月22日に放送されたドラマ「こもりびと」もそうであった。

私自身も、やがて12月5日と8日に放送される番組に出演させていただくことになっている。

 

出演者は、ひきこもり当事者の中から広く公募された(*1)

 

*1. たとえば以下の記事。

www.hikipos.info

 

したがって、「出たい」「関わりたい」と思うひきこもり当事者の方は、原理的に誰しも平等に機会があったのだが、実際にはインターネット環境を持っていないなど情報弱者の方や、さまざまな家庭の事情なども抱えておられる方もいるから、当事者たちの願いがすべて叶えられたわけではないことは想像にかたくない。

そのため、NHKひきこもり祭が始まるやいなや、ひきこもり界隈の中で嫉妬が渦巻き始めている。

 

それは「出る」側の私からしても、十分に理解できる感情である。

 

ひきこもりではない一般社会の方々から見れば、奇異なことに聞こえるかもしれない。

「え? ひきこもりはそういう社会の表に出たくないから、ひきこもっているんじゃないの」

と。

 

実際には、そんな簡単なものではない。

多くのひきこもりには社会の表に「出たい」「出たくない」という両方の気持ちがあり、それらが葛藤している磁場が「ひきこもり」という現象を生んでいる。

葛藤は、本人のなかで処理しなければいけない問題ではあるが、なかなかそうは行かず、葛藤を外に投射することはいくらでも可能である。

 

 

 

 

そういう嫉妬の問題をさておいても、ひきこもり当事者の一部がテレビに出ると、出ていないひきこもり当事者が、ふだんよりももっと社会から自分が取り残されたかのような、あるいは、同じひきこもり当事者のあいだで自分だけ「隔絶」してしまったかのような感覚を抱かれがちである。

 

しかし、だからといって、ひきこもりがいっさいテレビ番組に関わらないようになると、以前のようにひきこもりに関して勝手な像を、ひきこもりとは関係ない人たちが外部から作るようになり、それが社会へ浸透して、ひいてはひきこもり当事者たち一人ひとりが社会からダメージを喰らうことになってしまう。

 

だから私は、近所さえ怖くてまったく顔を合わせないようにひっそりとひきこもって暮らしているのにもかかわらず、メディアのような大舞台には努めて「出る」ことを選択している。

 

先日も、

「なぜ、ひきこもりがテレビに出ているのだ」

とも読めるコメントがあったため、私が、

「まったく外へ出てこられないようなひきこもり、すなわち『ガチこもり』は、全体のひきこもりのごく一部であり、近年は3%にすぎないという研究もあって、実態はひきこもりはもっと活動的なものであることがわかってきている。
ひきこもりがテレビに出ていても何の不思議もない」

という主旨をお答えしたところ、別の方から以下のような理性的なコメントをいただいたのでご紹介する。

引用の際に、改行などの細部は編集させていただいた。

 

観覧者

これについて以前から感じているんですけど、「ひきこもり」といっても要因や症状の程度、家族関係、学歴、こもった期間でまるで別の状態なんですよね。
これをひとくくりにすることがまず無理あるんです。


僕は3%の重度部類になるんですが軽度の人の話をきいても

「なんでそれだけ環境に恵まれてひきこもってんの?」

って思いますもん。

この隔絶はテレビなどでひきこもりの露出が増えて行くごとに深まっていきます。

 

一くくりの問題にすることはもう限界ですよ。

支援者や団体の人はそうしてより大きな社会問題としたいみたいですけどね。

 

無論ぼそっとさんがこのひきこもりの隔絶をブログに書かれていることも承知であえて失礼ながら書かせてもらいました。

 

これは的を射た指摘であった。

 

ここで私が思い出したのは、以前ひきポスに出した、このような図である。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/V/Vosot/20180925/20180925180229.jpg

HIKIPOS「当事者発信の不可能性」より

https://www.hikipos.info/entry/2018/10/04/070000

 

「なんでそれだけ環境に恵まれて ひきこもってんの?」

という問いが発せられる根底には、

 

人は 自分の絶望だけは しっかり感じられる

 

という法則があると思った。

 

裏返せば、

「人は、他人の絶望は、自分の絶望ほど切実に感じられない」

のである。

いくら想像力だの共感能力だのといったものを総動員しても、他人の絶望をわが身に引きつけて感じるのには限界があると思う。

だから、ひきこもりの人はふつうの人に、あるいは重度ひきこもりの人は軽度ひきこもりの人に、それぞれ悩みや苦しみがないように見えてしまうことが起こる。

 

 

すると、まるで一般社会でバリバリ働いていて、ひきこもりに批判的な人がひきこもりにぶつけるのと同じような

「なんでそれだけ環境に恵まれてひきこもってんの?」

という問いを、重度のひきこもりが軽度のひきこもりに背中からぶつけることになる。

 

ロシアの文豪トルストイは、

「幸福のかたちは一つだが、不幸のかたちは人の数ほどある」

と言ったが、その応用編で

「ひきこもりが、ひきこもりから出ていけない理由は、ひきこもりの数ほどある」

といえるだろう。

 

お返事を書いた。

 

ぼそっと池井多

観覧者さま コメントをどうもありがとうございます。

 

おっしゃるとおり、「ひきこもり」というのは状態像の呼び名から始まっているので、「要因や症状の程度、家族関係、学歴、こもった期間でまるで別の状態」であるのはその通りです。

 

「これをひとくくりにすることがまず無理ある」というのもまったくその通りであり、「ひとくくりにしないためにはどうしたらよいか」という問題提起を、私もあちこちでさせていただいてます。


たとえば、次回の庵-IORI- のために、
「もしも"ひきこもり"という語が使えなくなったなら」
という仮定で話すテーブルを開かせてほしい、と私は運営会議に諮ったのですが、これは廃案になってしまいました。

 

一方では、ほんとうにガチこもりの人(私のいう「サバルタン的当事者」)はインターネット接続環境も持っていません。


なので、軽症のひきこもりがテレビに出ようと映画に出ようと、はたまた当事者会を開こうと、そういう情報がそういう重度の方たちの耳に入ってくることすらないのです。
こういう方たちのことをどう考えるかが重要だと思います。

 

あなたは私が「隔絶」を問題視していることをよくご存じのうえで投稿されているようですから、私としてはもうこれ以上申し上げることもなさそうです。


しかし、
「では、どうしたらいいのか」
となると、誰からも有効な対案が出てきていないのが現状だと思います。

 

観覧者

ぼそっとさん、失礼な物言いに対しても返信有難うございます。恐縮致します。

>一方では、ほんとうにガチこもりの人(私のいう「サバルタン的当事者」)はインターネット接続環境も持っていません。

 

失念してましたが、そうなんでしょうね。

僕は自立できるほどじゃないが、所得税を払う程度にはネットで完結した形で収入も得ていまして、そういう意味でも経済的にましな部類ではあります。


支援に対する僕の考えとしては、ひきこもりの状態の軽重に関わらず、まずは収入の支援が最優先じゃないかな、と。

 

収入の問題は、軽重に関わらずひきこもりの人の抱える悩みですし、収入を得ることで選択肢も自然と増えてきます。


一方、家族関係や健康状態の個別解決は、10年単位か、最悪一生どうしようもない事なんですよね。後者に合わせた支援では待ってる猶予がもう残されていません。

 

収入というのは、生活保護障害年金ではなく work という意味ですね。

社会保障自体は否定してないですが、今後それに頼らない形の収入支援を創出しないとじり貧にしかならないです。

 

 

ぼそっと池井多

観覧者さま コメントをどうもありがとうございます。

あなたはきちんと議論の礼儀をご存じなので、私はあなたをまったく失礼だと感じません。
ただし、私も議論の礼儀を踏まえて反論があれば書かせていただきます。

 

お察しのように、理路整然とご自分の主張をインターネット上で展開できる方は、3%のガチこもりには入りません。

しかもネットで完結した形で収入を得られているとなれば、もう立派に「働いている」範疇に入っていらっしゃるわけで、ほんとうのガチこもりからは、あなたも「恵まれている」と言われると思います。

 

しかし、いくら外から「恵まれている」と見えても、本人は内的に苦悩や、外へ出ていくことへの困難をかかえているものですよね。それは、あなたから見て「軽症のひきこもり」に見える者たちも同じです。

 

支援に対する僕の考えとしては、ひきこもりの状態の軽重に関わらず、まずは収入の支援が最優先じゃないかな、と。
収入の問題は、軽重に関わらずひきこもりの人の抱える悩みですし、収入を得ることで選択肢も自然と増えてきます。

 

「従来のひきこもり支援は要らない。
もし、ひきこもり支援をしたいのなら、金をくれ

というひきこもりは多いですね。

 

しかし、おっしゃるとおり、
「収入の問題は、軽重に関わらずひきこもりの人の抱える悩み」
であるわけですが、その一方では
「収入の問題は、ひきこもりであるかないかに関わらず人の抱える悩み」
でもあるために、
「ひきこもりへの支援はお金にする」
という案がなかなか実現されないのだと思います。

 

観覧者

>お察しのように、理路整然とご自分の主張をインターネット上で展開できる方は、3%のガチこもりには入りません。

しかもネットで完結した形で収入を得られているとなれば、もう立派に「働いている」範疇に入っていらっしゃるわけで、ほんとうのガチこもりからは、あなたも「恵まれている」と言われると思います。しかし、いくら外から「恵まれている」と見えても、本人は内的に苦悩や、外へ出ていくことへの困難をかかえているものですよね。それは、あなたから見て「軽症のひきこもり」に見える者たちも同じです。

 

耳の痛い限りですね。理屈はわかっても感情はそう割り切れないものでして難しいものです。

 

>しかし、おっしゃるとおり、
「収入の問題は、軽重に関わらずひきこもりの人の抱える悩み」
であるわけですが、その一方では
「収入の問題は、ひきこもりであるかないかに関わらず人の抱える悩み」
でもあるために、
「ひきこもりへの支援はお金にする」
という案がなかなか実現されないのだと思います。

 

これに関しては汗水たらして労働するのが美徳という価値観も大きいんでしょうね。


僕が得ている収益形態は他の引きこもり当事者にも可能なもので作業時間や一定の技術は必要であっても肉体的な負担や対人関係の負担も少ないという利点があるんですが、こういうものはきっと会社に勤めて給料を得るという価値観からは楽してるように見えるかもしれません。

 

最後に長々とコメントをしてしまったことをお詫び申し上げます。ここまでぼそっとさんに返信の負担を与えるような連投は避けたかったのですがついしゃべりすぎてしまいました。また一読者として静かに拝読、応援させていただきます。

 

 

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