by ぼそっと池井多
前回「治療者と患者(342)」では、いままで存在しないと思ってきた、精神科医
2000年6月に「噂の真相」に発表された、西田健というレポーターによる「『アダルト・チルドレン』精神病院で儲ける齊藤學の宗教的独断治療法の危険度」という記事である。
その記事の中には、さらに先行する記事としてこのような言及がある。
「齊藤學がおかしくなったのは、97年ごろですよ」(齊藤學の知人の精神科医)
そして、それは、当時、ジャーナリストの与那原恵が『諸君!』でリポートした「齊藤學の『アダルト・チルドレン』は新宗教か」の掲載がきっかけだったと指摘する。
ところが、である。与那原の記事を読んでみたが、タイトルは煽情的だが、内容はいたって穏健。「ちょっと宗教っぽさがある」といった内容で取材も書き方も十分に注意を払ったものだ。にも拘わらず、斎藤の怒りは凄まじかったという。
「記事が出るや、編集者にクレームの電話を入れ、与那原と編集者にクレームの手紙を出した。それでも謝罪しないと分かると編集長宛に手紙。文藝春秋の書籍部を通じて圧力をかけ、二度と文春には出ないといきまいたともいいます」(文藝春秋関係者)
それでは、その与那原恵による記事とはどのようなものか。
そちらは、これである。
「諸君!」といえば、一般には右翼雑誌と考えられている代物であった。
いっぽう「噂の真相」は左翼と見なされていた。
そういうレッテルは必ずしも真実ではないのだが、少なくとも右から見ても左から見ても、齊藤學の精神医療はすでに1990年代から怪しい新興宗教としてマークされていたわけである。
与那原恵の記事が出た1997年といえば、まだ私が麻布村につながる前である。
そのとき、私はまだ齊藤學を知らなかった。
たしかその翌年、1998年あたりに斎藤がNHK教育テレビ(現在のEテレ)の「市民大学講座」なる番組に出ているのを見て、初めてその存在を知ったのである。
私はガチこもりの最中で、外界を遮断したおちついた環境を活かしてフロイトなどを耽読していた時期だったこともあって、齊藤學がアメリカから持ってきた「アダルト・チルドレン」という概念に強く惹かれていった。
「噂の真相」の記事のなかで、筆者の西田健はこのように与那原恵の記事によって齊藤學が1997年に変わり始めた、としている。
しかし長年、患者として齊藤學の近くにいた者として、いずれ詳しく述べることになるだろうが、2001年にも大きな変化があったように思うのである。
さらに、私に「助成金をかき集めてこい」と命じた2008年ごろにも、一つの区切りがあるように思うし、私を麻布村から追い出しにかかった2013年には、近親姦至上主義を露骨に打ち出し、リカバリング・アドバイザー制度を導入するという明らかな変化があった。
誰しも初めは高邁な理想を抱くものだと思う。
1995年のさいとうクリニック開院の当初、おそらく彼もそうであったことだろう。
ところが、1995年当初の「アダルト・チルドレンを救う新しい精神医療」とでもいうべき理想のもとに始められた齊藤學の治療共同体の経営は、1997年、2001年、2008年、2013年といくつかの段階を経て次第に変容し、結果として当初とはまるきり反対の強権的なカルト王国になっていってしまったのである。
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