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やっぱり今日もひきこもる私(340)式典のない人生

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by ぼそっと池井多 

 

先日「海外ひきこもりだった私(30)」で、私には成人の日というものがなく、それはひいては「そとこもり」になっていったことにつながっている、という話をさせていただいた。

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しかし考えてみると、成人式にかぎらず、私は式と名がつくものとはおしなべて縁のうすい人生を送っている。

少なくとも「ふつうの人」が式典というものに対して持っている関係性を私は持っていないし、またどうやら持ちたくもないようなのである。

 

 

 

 

小中高の入学式や卒業式はさすがに出たが、それは生活が親の管理の元にあったからであった。

大学の入学式は、何か特別な服を着なければいけないとは知らず、ふだん着ていた黒の革ジャンのままで行った。

すると、周りはみんなブレザーや背広だったので、一人だけ浮いてしまった。場違いな空間へ来てしまった、やはり来なければよかった、と思った。

大学の卒業式は、私が海外を放浪しているあいだに終わっていた。

 

結婚式は経験がない。

「いつか結婚式を挙げるときが来たら、そのときには親類縁者がみんな集まるだろうから、その場で幼いころから母親から虐待されていた事実をぜんぶ暴露してやろう」

という夢想を長らく持っていたが、結婚式そのものを挙げる機会もないままに、親類縁者とは母親に切り離されて音信不通になってしまった。

このままいけば独居老人として孤立死を迎え、特殊清掃のお世話になるから葬式もないだろう。

 

しかし、社会とは異なる人生の時間を生きていると、式典というものと縁がなくなってくるのは、いわば必然かもしれない。

冠婚葬祭は、世間体を気にする者たちが集合し、みんなでその価値観を再確認しあう場である。

そんなところへ行きたくないのは当然だ。

 

そのように世間が設定した通過儀礼をとおっていかないから、「ひきこもり」のような独自な時間を生きているのかもしれない。

 

 

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