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スパゲッティの惨劇(88)続・「親は親の人生を生きてください」の虚実 ~ 母の塾経営と自己実現

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by ぼそっと池井多

 

しばらく前に「やっぱり今日もひきこもる私(333)」で、ひきこもりの親の会や家族会などでまるでお題目のように繰り返される

「親は親の人生を生きてください」

というアドバイスが当てはまりそうもない例というものを振り返ってみた。

 

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かくいう私が育った家庭もそうであった。

 

母は、自宅で塾をやっていた。

以前は中学や高校の教壇に立ち、英語を教えていたようだが、私が生まれるころには教職をやめ、自宅の台所で生徒たちを教え始めたようである。

 

そのため、私が育った空間はそのまま母の仕事場であり、「生徒さん」たちの教室であった。

母はやがて英語だけに留まらず、数学や国語も教えるようになった。

対象は、下は幼稚園児から上は大学受験生までである。

母のスケジュール帳は週7日、午後から深夜までみっちりと「クラス」の予定が入っていた。

収入も莫大になっていった。

それが母の自己実現だったのである。

 

しかし、それが母のスケジュールであるということは、私たち家族のスケジュールでもあった。

母が教室に使っているのは、私たちが食卓を置く居間であった。

私たちが食卓で食事をしようとすると、最後の「クラス」である、大学受験生の「生徒さん」たちが帰る夜11時すぎとなる。

私が小学生のころから午前2時まで寝られない習慣がついたのは、ひとえにこのような家の生活時間帯のためであった。

 

 

 

 

時間だけではない。

「生徒さんはお客さま」

ということで、何をおいても「生徒さん」が優先される家庭生活であった。

 

小学校低学年のころから、私は「生徒さん」たちが帰ったあとの教室の掃除を命じられていた。

「生徒さん」たちは汚らしくガムなどの類を家じゅうあちこちに貼りつけて帰った。

少年の私は、毎日それをねばりづよく掃除しなければならなかった。

文句を言うことは許されなかった。

なぜならば、それは家にお客さまとしてやってくる「生徒さん」がやったことだったからである。

 

「生徒さん」の中には、私の同級生もいた。

このような同級生が、私が「先生の息子」ということで文句が言えない立場であるということを知ってか知らずか、帰るときに私の私物を盗んで帰っていったりした。

 

「○○くんに、ぼくのお気に入りの消しゴムを盗まれた」

と親に訴えても、

「○○くんは生徒さんなんだから我慢しなさい」

と母はいい、母の言いなりである父も、

「そうだ、そうだ」

というだけであった。

 

母が塾という自己実現をしていることからやってくる、このような小さなストレスは連日やってきた。

それが何年、十何年も蓄積すると、かなりの量になる。

それらに押しつぶされて私がひきこもりになった側面がある。

 

 

ここまで親が好きなように自分の人生を生きたためにひきこもりになった私が、どうして親に

「親は親の人生を生きてください」

などと言えようか。

 

私が東京郊外の今にも崩れ落ちそうな貧居にあえいでいる今、この母親は横浜港が見える高級マンションで左団扇の生活を送っている。

まさに「親は親の人生を生きて」いるのである。

 

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