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やっぱり今日もひきこもる私(350)続・カルフーン実験が物語るもの ~「ひきこもりの原因」再考

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Photo by Tibor Janosi Mozes

by ぼそっと池井多

 

先日「やっぱり今日もひきこもる私(346)」でお伝えしたカルフーン実験が物語るものの続きを考えている。

vosot.hatenablog.com

 

カルフーンの実験そのものについては、まだ見ていない方は、こちらのひきポスの記事をご参照いただきたい。

www.hikipos.info

 

もしカルフーンの動物実験で証明された行動様式が人間にもあてはまるならば、人間が現生人類ホモ・サピエンスとなる前から「ひきこもり」はいたことになる。

いや、もっと前、類人猿だったころも「ひきこもり」はいたことになるのだ。

 

すなわち「ひきこもり」は、食物の摂取や排泄、生殖行為などと同じように、哺乳類の動物として取る当然な行動の一つであって、いまさら騒ぐことではない、ということになるだろう。

「資本主義の世の中だから、ひきこもりが出てきた」

などという言説は、ここではスケールの小さい話として吹き飛んでしまう。

 

 

 

それでは、そのように考える中で「文明の発展」はまったく関係ないだろうか。

ところが、そうは行かないのである。

 

カルフーンの実験は、ネズミが「食うのに困らない」理想的な環境でおこなわれた。

生存のために食べ物を争わなくてよい環境になったら、動物はどのように暮らすだろうか、ということを解明しようとした実験であった。

 

すると、食べ物を争わなくてよい環境になっても、やっぱりネズミは争いをはじめ、その結果、ひきこもりが出現した、というのである。

いわば、食べ物を争わなくてよくなったら、他に争いの対象を作り出したのだった。居住空間、すなわちナワバリである。

つまり動物は、どんなに恵まれた環境を与えられても、必ずお互い序列をつけはじめ、戦いを始めるということがわかったわけである。

「本能によっては、戦争のない平和な世界は永久に作れない。

平和は理性のみの賜物である。」

ということだろうか。

 

「ひきこもり」は、このようなネズミ同士の縄張り争いが始まったあとに出現している。

大多数のネズミが巻き込まれた権力闘争、すなわちその共同体を構成するネズミたちの序列化や体制化に興味のない、いわば自分のことにしか関心がない「内向的な」あるいは「自閉的な」個体が現われたわけである。

これは逆にいえば、縄張り争いをおっぱじめるネズミが出現しなければ、そういうことに関心のないネズミの存在も顕在化しない、ということだ。

 

 「食うものに困らない」環境からひきこもりが発生したという点に注目すると、これは文明がじゅうぶんに発展し、現在の先進国のように飽食の時代を迎えたからこそひきこもりが増加している、という説を裏付けることになる。

すると、その先に来るのは、

「ひきこもりは、豊かな時代が生んだ怠け者にすぎない」

といった言説である。

 

それは、当初の

「ひきこもりは、人間が人間になる前から存在した動物的に必然的な行動である」

という結論の正反対に見える。

この矛盾をどう考えるか。

 

 

 

 

しかし、私は思う。

近年、世界中でひきこもりが増加しているという。

もとは「日本で」増加している、と言われていたのを、私が日本以外のひきこもりの事例を拙著などで紹介し、そこを「世界中で」に修正させたのである。

けれども、そもそも「近年」「増加」しているのだろうか。

 

そこに関しては、過去にデータがない以上、比較や断言はできないはずである。

断言しているメディアは、専門家の言説に拠っている。

ところが、その専門家も過去のデータを持っているわけではないのだ。

 

だから、ここは、

「もし、ほんとうに近年、世界中でひきこもりが増加しているとしたら、その原因は何か。」

という仮定のもとで考えるか、もしくは、

「近年、世界中でひきこもりと同定される人の数が増えている原因は何か。」

という形の問いで考えなくてはならないはずである。

 

 

すると、その原因はおそらくたくさんあって、複合された結果が現在の「世界中でひきこもりが増加している」と見える状況なのだと私は推測する。

その、たくさんある原因のうちの一つが、「動物の集団行動から来る必然」であり、カルフーンの実験はその存在を示唆するのに留まるのではないだろうか。

 

したがって、カルフーンの実験は、現代の人間世界にいるすべてのひきこもりがひきこもりになった原因を解き明かすものではない。

それが解き明かしているのは、有史以来、人間の歴史の中で絶えず一定数いたかもしれない、今日であれば「ひきこもり」と称せられる人たちの存在の可能性にすぎない。

 

 

 

 

なかには、資本主義の世の中だから自分はひきこもった、という人もいるかもしれない。

いっぽうでは、私がひきポスの記事で紹介した北朝鮮パク・ナリさんのように、資本主義ではない国においても、社会に競争と序列が存在したためにひきこもりになった人はいる。

www.hikipos.info

 

そこで、もっと視野を広げて、

「近代になったからひきこもった」

という人もいるかもしれない、と考えてみる。

すなわち、サムライの子はサムライ、百姓の子は百姓と決まっていた封建時代とちがって、本人にその気と能力があれば何にでもなれるという近代になったからこそ出世競争や学歴社会が発生し、それに敗れる者がひきこもりになっている、という説である。

 

「ひきこもりイタリア」のカリスマ総帥であるイタリアの社会心理学者マルコ・クレパルディによるひきこもりの定義は、そのような前提に立っている。

このような定義である。

 

ひきこもりとは、近代的な個人主義社会に典型的な
社会における自己実現という過度な圧力に反応して
活性化される人間の対応戦略である。

 

しかしこれでは、たとえば私自身がひきこもりになった原因を説明することはできない。

 

私の場合、どう考えてもひきこもりの原因は母子関係であり、あの母親があの母親であるかぎり、社会が資本主義であっても社会主義であっても、はたまた時代が現代であっても江戸時代であっても、やはり私は強迫性障害になり、ひきこもりにならざるをえなかっただろう。

 

たとえば江戸時代だったら、私の母はこう言うだろうと思うのだ。

 

「お前が立派な武士にならぬというのなら、

 この母様、死んでやるからね」

 

 

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