VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(351)先週のネット暴力事件のご報告

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Photo by PhotoAC

 

by ぼそっと池井多

 

先週火曜日、本ブログ「やっぱり今日もひきこもる私(348)」の一節が作為的に切り取られ、ことさら話を大きく誇張して、炎上が演出され、今も騒動がつづいている。

vosot.hatenablog.com

 

切り取られたのは、本ブログのこの一節だった。

 

いっぽう、男性のひきこもり当事者からは、自分の地域から受けたい支援として性的な援助を望む声があった。

ひきこもりは対人関係をつくるハードルが高いから、セックスができる相手を得にくい。恋人をつくるにも、性風俗へ行くにも、それなりの勇気が要る。けれど、そういう勇気がないからひきこもっている。

身体障害者の方々のために射精補助をおこなっているNPOもあるのだから、精神的なハンディを背負っているひきこもり男性のためにもそれを考えてほしい。女性のひきこもりにも性欲を満たしたいニーズはあるはずだ。そういう相手は近くに住んでいるのが望ましいから、行政は地域のひきこもりなどから性的パートナーをあてがってほしい、という声であった。

しかし、これにはさすがに女性ひきこもり当事者や女性の親御さんの側から反対の声があがった。精神的な親密さをともなわず、接近の段階も経ないで、いきなりお互いの性的欲求だけを充足させる支援というのは、求めるものではないということであった。

これはひきこもり支援の問題というよりも、男女間のセクシュアリティの違いを際立たせる議論であったかもしれない。ともかく、「ひきこもりは地域に支えられたいのか」という問題提起から、かくも多岐にわたる話が出たのだった。

 

たしかに、ここは刺激の強い内容であったかもしれない。

しかし、そもそもこの発言は、庵-IORI- の私のテーブルに参加してくれた一人の男性ひきこもり当事者の、ひと言でいえば「恋人がほしい」という、まじめで切実な声の表明として、以下のような文脈で語られたことであった。

(ちなみに、通常庵-IORI- などの場でおこなわれた対話は外へ出さないことになっているが、私がこの発言者の発言を詳しく取り上げて、このように表に出すことに関しては、私はご本人から強い同意をいただいている。)

 

ひきこもりだからといって恋愛をあきらめろ、セックスもするな、というのはおかしい。

ひきこもりだって恋愛をしたい。セックスもしたい。

女性のひきこもりにも恋愛やセックスへの欲求はあるのではないか。

もしそうであれば、行政が地域でひきこもりに供給する支援としては、そういうひきこもり同士を紹介しマッチングするということを考えてほしい。

身体障害者の方々のために射精補助をおこなっているNPOもあるのだから、精神的なハンディを背負っているひきこもり男性のためにも、地域でおこなうひきこもり支援の一環として、性的援助というものを考えてほしい。

 

それがいつのまにか、炎上の仕掛け人たちのあいだでシェアが重ねられ、その場にいなかった人たちがそこへ次々と投稿し、庵-IORI- のテーブルで性暴力性的搾取人権侵害セクハラが行なわれ、私がファシリテーターとしてそれを是認した、という話にすりかえられて、ネット上に拡散されているのである。

 

エスカレートする内容

最初の青枠の引用中で「あてがう」という動詞は、この

「ひきこもり同士を紹介しマッチングする」

という意味で使われている。

それが女性を客体(モノ)として、男性という主体に「あてがう」という意味へと曲解されている。

実際には、双方が紹介され合い相互にパートナーとして「あてがわれる」という意味であることは明白であったにもかかわらず、その場にいなかった者たちが「女性をモノ化する」という解釈へ固めていっている。

 (「関連サイト1.」「関連サイト4.」参照のこと)

 

また発言内容も、性奴隷性暴力はおろか、同じ地域の女性ひきこもりに対して、

「男性ひきこもりの性的パートナーになれ」

などという話は、テーブルの現場では誰の口からも出ておらず、それらはすべて炎上を演出している者たちがあとから作り出している言葉である。

 

 

 

 

しかし、たとえそうであっても、庵-IORI- のテーブルにおいて、件の発言は女性の感覚を逆なでしたことは確かである。

多くの男性のセクシャリティにおいては、恋愛とセックスは空想の中で直結しがちなものである。

それを「倫理的にいけない」と言ったところで、空想や無意識に属する現象なので操作することはむずかしいし、精神分析的には「倫理的にいけない」と思えば思うほど抑圧されて強くなるということも考えられる。

 

かたや女性においては、おそらく恋愛とセックスはそのような位置関係にないのだと思う。

 

だからこの発言は、女性参加者たちになんとも生々しい不快感をもたらしてしまったのであった。

私のテーブルに参加してくださった女性の方々がそのような不快感をおぼえることになってしまったことには、ファシリテーターとして私はほんとうに残念に思う。

その方たちが不快感をおぼえているのは、私もすぐさま察知したので、さっそく何とかしようと思った。

このような場合、ファシリテーターとして積極的に介入し、自らが発言して件の発言者を諫める、という方法もあるだろう。

けれども、何人かの女性がすぐに「発言したい」と意思表示していたため、ファシリテーターである私は背後に退き、女性自身の立場から異論を唱えていただく方がよいと考え、そのようにした。

その女性のご発言には、他の発言者の平均的な時間を超えて、ご発言いただいたつもりである。

このように、まことに微々たる力ではあるけれども、私はファシリテーターとして、件の発言をそのテーブルにおける結論であるような進行にはしなかった。

しかし、炎上の仕掛け人たちは、このテーブルにおいて

「女性が男性に踏まれた」

「ぼそっと池井多が庵-IORI- において性暴力を是認した」

などと言い触らし、炎上に加担している者たちも喜んでそれを煽っているのである。(関連サイト1. 関連サイト3.ご参照のこと)

 

庵-IORI- の主旨

ファシリテーターとして件の発言を阻止するべきだった」

などと私を批判する人もいるが、そこには根本的な問題があるのだ。

庵-IORI- は、世間的なタブーもなく何でも発言できる空間として設定されている場である。

そのため、「怒鳴ったりしない」「器物破損したりしない」という発言のルールを守っている以上は、発言を阻止したり途中で止めたりすることは、発言者の「言論の自由」をそこない、庵-IORI- の主旨に反することになるので、ファシリテーターはしてはいけないことになっている。

 

ところが、拡散されている文言の中には、

「ぼそっと池井多が男性の言論の自由を守るために、女性がレイプされるのを放置した」

として、私のファシリテーションナチスの残虐行為やルワンダの民族大量虐殺に例えたりしているものがある。

たかだか、庵-IORI- の中の、参加者24人程度の小さなテーブルで発言することが、何十万人も殺された歴史上の大事件と同じとして、国際法まで出して語られている。(「関連サイト2.」参照のこと)

馬鹿馬鹿しいと思うが、こういう馬鹿馬鹿しいことを取り上げないと、いつまでもエスカレートしていくので取り上げている次第である。

 

発言者の「言論の自由」を守ったために、他の女性の参加者が不快に思ったことは、たしかに残念である。

そして、発言者の「言論の自由」と、女性の「不快感」のどちらを取るかは、そのときの私にとって二者択一の問題であったから、その選択に私は責任がある。

私はその責任逃れをしようとは思わない。

その場に参加した女性たちが私に責任追及しようというのなら、謹んでお受けする。

しかし、たったそれだけのために、その場にいなかった者たちが、私を性暴力やレイプや民族虐殺をおこなった罪人と同じく断罪し、私には

「今後ひきこもり当事者活動をする資格はない」

と宣言しているのである。

(「関連サイト2.」ご参照のこと)

 

 

「不快に感じる」=「ハラスメント」なのか

基本的な疑問がある。

残念ながら女性が不快に思われたことを、すぐさますべて「ハラスメント」「セクハラ」と決めつけるのはどうなのだろうか。

そのことに対しても、

「本人が自覚していない、不特定多数へ向けたセクハラというのが存在する」

というのである。

 

なるほど、そういう場合もあるだろう。

しかし、これは個別の状況によって異なるのではないか。

対話の流れや文脈、その場の空気など、個別の状況を構成する細かな要素によってその成否は異なり、それはやはりその場にいる方しかわからないのではないだろうか。

 

しかも、その場にいた方が「発言者によってセクハラを受けた」と訴えるならともかく、その場にいた方はご不快に思われながらも「セクハラを受けた」「ハラスメントを受けた」とはおっしゃっていない。

それで、その場にはいなかった者が、その話を後から聞いて勝手に

「それはセクハラである」

と断定し、その断定に基づいてその先の話をどんどん進めていってしまっているのは、とうてい受け容れられることではない。

 

無実を主張する者の「人間性を疑う」支援者

ともかく、私はこの炎上演出の流れ自体を全体的におかしいと思うので、どんなに叩かれても、私の考えるところを曲げずに、そのスレッドで発言を続けさせていただいた。

すると、その発言はまたボコボコに叩かれるのだが、そのような中で一つ私が興味をもった発言を取り上げてみたい。

 

それはある全国ネットワークの有名なひきこもり支援会社(*1)に勤める、ひきこもり支援者で心理カウンセラーをやっている女性の言葉である。

これだけボコボコに叩かれているのに

『ん? 俺が悪い? どこが?』
というその態度は、ちょっと人間性疑い始めます

というのであった。(「関連サイト1.」ご参照のこと)

 

*1. 後註(2021.02.21 16:30)

本記事を配信後、本人からSNS上に投稿があり、

「うち支援者じゃないよ」

とクレームが入った。

しかし、その会社をホームページで検索すると就労移行支援事業所を全国のあちこちで経営しているので、やはり支援者という分類でよいと考える。

 

私は唖然とした。

どこから語り始めたらよいかわからないほど、この短い言葉には、いろいろなことが詰まっていると思った。

まず、この支援者カウンセラーにとって人間性とは何なのか、という問題である。

私などは逆に、いくら周りから叩かれても信念を曲げない人の人間性を尊敬する。

たとえば、もう25年以上も前になるが、松本サリン事件のときに冤罪をかぶさられ、日本中から叩かれてもめげなかった河野義行さん(*2)という人を、私は尊敬したものである。

*2. ウィキペディア「河野義行」

 

逆に、ちょっと何か言われたくらいですぐに目先の利益で相手に迎合する者の人間性を、私は疑う。

というか、そういう者は人間として信用できない。

つまり、このひきこもり支援者と私は、人間性という、いっけん普遍的だと思われがちな概念に関して、正反対の内容を思い描いている、ということである。

これだから私は支援者やカウンセラーというものに不信感があるのだ、などと思わず言いたくなってしまう。

もちろん、そう言うのは早計だとわかっている。

彼女がすべての支援者やカウンセラーを代表するわけではないし、尊敬すべき支援者やカウンセラーもどこかにいるのだろうが、ともかくこういう者が誰もが知るような支援会社で支援者カウンセラーをやっている、という事実は記憶するに値する。

 

また、炎上が広がっていくにつれ、私が恐れをなして、話題になっている記事「やっぱり今日もひきこもる私(348)」のページを削除するとでも思ったのか、「今のうちにスクリーンショットを撮っておけ」と呼びかける人もいた。

私は削除するつもりもないので、

「どうぞ撮ってください。何か問題でも?」

とお答えした。

すると、そのコメントを見たのか、他のスレッドで

「開き直りすぎてて吐きそう」

と投稿している女性がいた。

 

私は開き直っているのではなく、このような炎上を仕掛けられたところで、私にはやましい所がないから、「どうぞ」と言っただけなのだ。

それで「吐きそう」なのは、その女性は自分の中の「自分のなさ」に吐きそうなのではないだろうか。

 

日本社会の同調圧力の源は

視野を広げると、ひきこもり界隈と呼ばれる曖昧なコミュニティは、

「日本社会は同調圧力が強い。だから自分たちはひきこもらざるをえない。社会が悪いからひきこもっているんだ」

という主張する人が多くを占めている。

たとえば、昨年12月にNHKから放送されたドラマ「こもりびと」では、松山ケンイチさん演じるひきこもりの主人公が、とつぜん

同調圧力……」

とつぶやきだし、同調圧力の高い社会によってひきこもりになったという経緯を物語る場面があった。

あれは、ひきこもり界隈にいる複数のひきこもり当事者・経験者の証言に基づいて作られたセリフである。

 

ところが、ひとたび自分たちのコミュニティで、誰か一人の者(今回は私だが)を袋叩きにする「集団いじめ」の構造が発生すると、私のいうことを虚心に聞き、私の側に立ってくれたのはたった2人だけで、あとはすべて多数派に同調するのである。

(もちろん、その背後にはサイレント・マジョリティーがいる。)

そして、同調した者たちは、自分が仲間外れにされないよう、自分の派閥に都合のわるい真実には耳を塞ぐのだ。

私がいくらスレッドに真実を書いても、誰も読みはしない。

すでに配給されている作り話に堅く閉じこもっているのである。

 

まさしく学校のいじめなどでもそうだろう。

こういう人たちが、ふだんはひきこもり界隈で、いじめ批判や学校批判を叫んでいるのである。

つまり、ひごろ

「日本社会の同調圧力が高いから自分はひきこもりになった」

などと言っている者の多くが、自ら同調圧力を高めることに貢献しているのがわかったのであった。

 

これでは日本社会の同調圧力が低まるはずはない。

同調圧力は社会の問題だ」

などと言っている者は、まず

同調圧力は自分の問題ではないか」

と疑ってみるべきだと思う。

 

尊敬できるフェミニストたち

ところで、今回の炎上ですでに300は超えていると思われる投稿のうち、すべてが今まで述べたように無責任で的外れでくだらないものであったわけではない。

なかには、事実関係を忠実に検証したうえで問題点を洗い出し、誠実に質問してきたり、コメントしてきたりした方々がいた。

そして、意外なことにそういう人たちは全員、女性であり、しかも驚くべきことに、私が日頃つきあうこともない、フェミニストと思われる方たちなのであった。

フェミニストはみんな感情的で非論理的だ」

などというのが不当な偏見であることを、まざまざと知らしめてくれる発見であった。

ただし、フェミニストだからすべて尊敬できるわけでもない。

ただ、「セクハラだ」「セクハラだ」というだけで、論理的に何を言っているのか、さっぱりわからないフェミニストの方もいる。

 

(後註:2021年5月13日 改題)

 

関連サイト

1.炎上の始まりとなったfacebook投稿

(コメント欄「もっと見る」をクリックして、それぞれの人の投稿を読んでいくと興味深いと思います。)

https://www.facebook.com/ogatakehikky/posts/1081133649033651

 

2.「性暴力を是認しかねない態度を取っているぼそっと池井多さん及び「庵」運営へ厳重に抗議します」というウェブサイト
https://syou-hirahira.hatenablog.com/entry/2021/02/12/165131

syou-hirahira.hatenablog.com

 

3.こちらもfacebook 投稿

仲間内でシェアを重ねていくことにより炎上拡散させている

https://www.facebook.com/ogatakehikky/posts/1082400838906932

 

4.地域でひきこもりに性的対象をあてがう??
- 塵も積もればヒキコモリ

sokudokuhikky.blog103.fc2.com

 

5.取り上げられた本ブログの元記事 

vosot.hatenablog.com

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