VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

外国のうつ・ひきこもり事情(156)フランスの高学歴ワーキング・プア、ルシアン・クエイリューの記事を翻訳して

f:id:Vosot:20210203184234j:plain

 

by ぼそっと池井多

 

今日のひきポスで、フランスのひきこもり当事者、ルシアン・クエイリューの記事を翻訳したものを発表させていただいた。

 

www.hikipos.info

  

ちょっと見た感じでは、難解な論文である。

じじつ、私のような浅学菲才な者が翻訳するのは、いささか大変であった。

著者が言及している過去の作家や思想家が、なぜそこに言及されているのか理解するために、いろいろと背景を調べなければならなかった。

そんな痕跡が、大量の註となって残ることになった。

 

 

 

 

ルシアンは、非常に思考力が高く、運が良ければフランスを代表する若手の社会学者になっても不思議ではない人だと思う。

しかし、経済的には恵まれておらず、これまで彼が得られた仕事は工場労働者など、彼の知性を活かせない職場にかぎられている。

日本でいえば「高学歴ワーキングプア」から、ひきこもりになっている人である。

 

以前、スペインの調査で、バルセロナのひきこもりのうち、かなりの割合が高学歴であることがわかったが、それはスペインのみならず、フランスでも、また他の国でも、おおいに言えることだと推測する。

 

vosot.hatenablog.com

 

冒頭でルシアンは、

「ひきこもりは存在しない」

と、読者の意表を突くかのように宣言するが、このように

「○○○○は存在しない」

という断定をはじめに投げ出すのは、フランスの哲学者に流行りの文体であるとも思う。

 

大衆消費社会の構造をあばきだしたフランスの哲学者ボードリヤール(*1)が、1990年代に日本へやってきて吉本隆明と対談したことがある。

あのとき彼は、たしか成田空港から東京に入って、関西を一往復し、東京からフランスへ帰っていったのだが、関西への往路も復路も天気が悪く、富士山が見えなかったらしい。

フランスに帰ってから日本の印象を尋ねられたとき、開口一番、

「富士山は存在しない」

と言ったという。

それによって彼は認識論者としての立場を堅持したのだろうが、エスプリを効かせた話でもある。

 

 

 

 

ルシアンが、

「ひきこもりは存在しない」

というとき、それは論理的には正しい。

ちょうどゼノンのパラドックス(*2)を思い起こさせるような話である。

 

ゼノンのパラドックスとは、たとえば、

「アキレスは亀を追い越せない」

とか

「飛んでいる矢は止まっている」

といった話である。

 

 

「ひきこもり」という概念は、アカデミズムの現場から出てきたものではないから、精度を上げた知的検討に耐えられるだけの厳密さを持っていない。

つまり、アラや隙間を探せば、いくらでも出てくるような概念である。

 

そもそもすべての人が合意を見たひきこもりの定義すらもなく、私などは

「ひきこもりについては、確実な定義をつくることができないのが確実である」

という意見を持っている。

それは次の記事に詳しい。

www.hikipos.info

 

しかし、そんなことはルシアンもわかっているのである。

彼自身ひきこもりを自認しながら、さかんに「ひきこもり」という概念を攻撃するかに見せるところに、彼なりの知的挑発と諧謔趣味が光っている。

 

 

 

 

ルシアンはとても良いことを言っているのに、私なりにうまく訳せなかったのではないか、と気にかかっている箇所がある。

それは彼のいう「mal-être」という概念だ。

 

これは英語では「ill-being」と訳せるが、日本語にぴったり該当する語はないように思う。

ようするに、「病気」「不幸」というほどではないが、「健康」「幸福」とはいえない状態で、

「何となく調子がわるい」

「どことなく体調がわるい」

といったときの、その「悪さ」を指す。

私たち日本人がよく言う「生きづらさ」にも通じる、曖昧な概念である。

ぴったり来る語がないものだから、その場その場で文脈に応じて

「幸福とはいえない状態」

「不調」

などと、まちまちの訳語をあてはめてみた。

 

「病気」の研究ならば山ほどある。

また、社会的に「問題」として取り上げられる、たとえば「貧困」のような不幸については、多くの学者が研究している。

しかし、医師に「病気」と認められない曖昧な体調の悪さや、社会問題にはならないほどの日常的な問題には、なかなか学者たちも研究のメスを入れない。入れられない、ということもあるのだろう。

ルシアンはそこを指摘しているのである。

 

彼はひきこもりの存在を否定しているので、「ひきこもり」という語は使っていないが、こうした「mal-être」がひきこもりの原因になっていることを示唆しているのは明らかだ。

 

 

 

関連記事

 

www.hikipos.info

著者による原文。

www.hikipos.info

 

 

All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020