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海外ひきこもりだった私(32)何をやってよいかわからないからひきこもったのか

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2004年、大学を再訪したときに撮った正門

ピンボケ具合が私のボケ具合をよく表している

 

by ぼそっと池井多

 

先日、「外国のうつ・ひきこもり事情(155)」で、韓国のひきこもり当事者の方が、

「兵役が終わったら、何をやってよいかわからないので、ひきこもりになった」

と語ったことに、私は深く考えさせられたという話を書かせていただいた。

vosot.hatenablog.com

 そこでも書いたが、私自身は、

「やるべきことが山ほど押し寄せてくる感じがしてひきこもりになった」

と考えていたので、自分とはまるで対照的なケースだと思ったのである。

 

けれど、それにしては、韓国のひきこもり当事者の

「何をやってよいかわからないからひきこもった」

という分析を、なにやら他人事とは思えず共鳴している自分もいる。

 

この感覚はいったい何なのだろう。

そこで私は、自分が初めてひきこもりになった当時のことを再び思い返してみることにした。

 

韓国のひきこもり当事者のことを書いた「外国のうつ・ひきこもり事情」からシリーズを異にしてあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして申し訳ないが、私が初めてひきこもりになった20代のことは、この「海外ひきこもりだった私」というシリーズに書いているため、そのようにさせていただく。

 

 

 

 

私の場合、とにかく世界が狭かった。

会社員になんかなりたくないのに、大学を卒業したら、会社員になるしか生きていく道はないように思っていた。

 

私はむやみに人のせいにすることを好まないが、こうした社会観はやはり私の育った環境から来ていると思う。

子は父の背中を見て育つ、という。

父は会社員であり、住んでいるのは社宅であり、隣近所の人たちもみんな父と同じ会社に勤めていた。

 

社宅団地は、郊外に浮かんだ一つの島のような共同体であった。

近所づきあいは、その社宅の中だけで完結してしまう。

そこに住んでいる子どもにとって、社宅の外に住んでいる一般の大人の男の人と話す機会はなかった。

 

私の場合、さらにややこしくなるのは、その父が、

「会社員にだけはなるものじゃないよ」

と、つねに私に諭していたことである。

自己評価の低い父は、そうやって息子に自分の生き方を否定して見せることによってしか、自らの魂を生き延びさせる手立てを持たなかったのだろう。

 

今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」もそうだが、よくテレビドラマの主人公は幼少期に、

「おいらは将来、父ちゃんみたいになりたい!」

という夢を抱く。

ああいう無邪気な脚本を見るたびに、私は腹が立つ。

私の少年時代に、そんな瞬間は一度たりとも訪れなかったからである。

 

こうして少年の私が知ることのできる将来の人生モデルは会社員だけであったが、同時に「会社員にだけはなるな」という父の教えを受けて育った。

すでに深い所でダブルバインドをかけられていたわけである。

 

ここから、私が成人したときに、

「何をやってよいかわからない」

という状態になったと考えることは容易である。

 

「会社員になれ / 会社員になるな」という相反するメッセージを受け取れば、はたして何になればよいか、どうすればよいか、何をやってよいか、わからなくなるはずである。

 

じじつ、大学を卒業するのに際して、知っている世界が狭いために、会社員以外の人生を目指すことを知らず、ひきこもりになっていった私は、自覚をしていないだけで、「何をやってよいかわからないからひきこもりになった」パターンだったとも言えるのかもしれない。

 

自覚的にはこう思っていた。

「このまま内定を受けて会社員になったら、次から次へと『あれをやれ』『これをやれ』と仕事を振られて、それをこなしていくだけの人生になってしまう。

それでは、そんなものは『ぼくの人生』ではない。そんな人生を歩んだところで、喜ぶのはぼくを虐待した母親だけだ」

 

つまり私は、義務や仕事、すなわち「やるべきこと」が向こうから山のように押し寄せてきて、私から私の人生を奪い、私の生きている時間を占領してしまうことを恐れて、先へ進むことをやめたのだ。

その結果が、当時は「ひきこもり」とは呼ばれていなかったけれども、部屋の外はおろか、布団の外へ出ていけなくなった状態であった。

そのあたりは、以下の記事に詳しく書いたことがある。

vosot.hatenablog.com

 

母の希望を叶えるべく私が入学した大学は、現実主義者の小粒な秀才ばかりが集まる学校として知られていた。

なかには芸術家になった人もいるらしいが、少なくとも私の周囲にいた同輩たちは、皆ことごとく会社員や公務員になろうとしていた。

 

言い換えれば、他の大学にはよく居るであろうような、芸人を目指したり、芸能界にデビューしたり、ホストで稼いでいたり、富裕なマダムのヒモとして生きていこうとしているタイプは、一人も見ることがなかったのである。

そんな環境も、私の世界を狭いままに留めた。

私の目は異邦へ向いてはいたものの、情けないことに自分のキャンパスの外へ向ける勇気は持てなかったのである。

 

 

同輩たちの父も、やはりその大学を出たエリート会社員や官僚が多かった。

同輩たちはそれぞれの父親から、

「私の後を継げ」

と言われているようだった。

けっして

「私のようにはなるな」

と、私が私の父から言われているようなことは言われていないようであった。

 

そのため、どういう授業を取って、どういう部活動に入って、どういう人脈を作っておくか、といったキャンパス・ライフの細かい指針において、彼らは私とは根本から何かが違っていた。

今にして思う。

あれは、同輩たちが家庭環境の中で、父の背中を見て学んだものであったのにちがいない、と。

 

そんな彼らの中には、大学を卒業するのに際し、また会社に就職することに関して、迷いもダブルバインドもなかった。

ひきこもる理由もなかった。

彼らの目の前には、ただ人生が一直線に未来に向かって伸びていただけであったろう。

 

 

 

 

こうして考えてくると、私のひきこもりの始まりにおいても、

「やるべきことが山のように押し寄せてきてひきこもりになった」

と、

「何をやってよいかわからないからひきこもりになった」

という、いっけん正反対に聞こえる理由が相互に混ざり合っていることがわかる。

 

どちらかが間違っていて、どちらかが合っている、というものではないのだ。

この二つはじつは矛盾するものではなく、まるで一枚のコインの裏表のように、同じ現象を異なる角度から語っているだけなのかもしれない。

 

 

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