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やっぱり今日もひきこもる私(370)第10回「ひきこもり親子公開対論」『ひきこもりとゲーム依存』を終えて

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by ぼそっと池井多

 

前回「やっぱり今日もひきこもる私(368)」でご案内したように、4月17日には横浜ばらの会さんの主催で第10回「ひきこもり親子公開対論」をオンライン開催させていただいた。

本ブログの読者からも多くの方々にご参加いただき、どうもありがとうございました。

 

ひきこもりとゲーム依存

というテーマで、親の立場、子の立場から、それぞれご登壇いただいたわけだが、まず「ゲーム依存」という問題が起こる背景に、時代や世代を考えないわけにはいかない。

 

生活から逃避するための手段というものは、昔からあった。それも、有史以前どころか、きっと人類が誕生する以前から、つねにあったのにちがいない。

なぜならば、「食べる」「寝る」「生殖する」といった生存に必要な行為以外のこと、たとえば「じゃれる」とか「遊ぶ」とかいったことは、動物でもやっているからである。

人類が出現し、貨幣経済になってまもなく、そこにお金を賭ける、いわゆる賭け事が出てきただろうし、それに持ち金すべてをつぎこんでしまい、生活がままならなくなった人々も必ずやいたのにちがいない。

ところが、依存の対象がデジタルな画面の中へ閉じ込められていったのは、私たちの世代ぐらいからではないだろうか。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5e/Space_Invaders.JPG/800px-Space_Invaders.JPG

インベーダーゲーム

photo by Tomomarusan

私は1962年生まれなので、高校生のときインベーダーゲームが出現した。現在のオンラインゲームの祖先のような代物である。

同級生の中には、インベーダーゲームのスコアの新記録の保持者と自称している者がいて、彼は学校をさぼって朝から晩までインベーダーゲームをやっていた。

まさに今のゲーム依存の人たちが、ゲームをやるような時間の長さである。

しかし、インベーダーゲームは自宅ではなく、ゲームセンターでやるものだから、依存するにしても外出はしなければならない。

そのために、インベーダーゲームでひきこもりになるということはなかった。

 

コンピューター技術が発達して、当時のゲームセンターに置いてあった機械でやるよりはるかに複雑なゲームが、いまは自分の部屋にいながらにしてできるようになった。

そうなれば、没頭する人たちは必然的に出かけなくなる。

そういった時代性が、「ひきこもりとゲーム依存」という問題を生んでいる側面もある。

しかし、だからといって、インターネットやゲームの発達がひきこもりを「生んだ」と考えるのは誤りである。

私自身はインターネットのない時代からひきこもりだったし、いまだに自分の部屋でゲームはやったことがない。

 

 

 

 

子ども当事者の立場から登壇してくれた喜久井ヤシンさんも、ゲーム依存のためにひきこもりになったわけではなかった。

彼の場合、まず素地として、小学校2年生から始まった不登校があった。

すると、外を出歩いていても、友達と遊んでいても、

「学校も行っていないのに、そんなことしているの」

と言われてしまう。

だから、結果的に外へ出られず、ひきこもりになるしかなかった。

家の中でできることといえば限られてくる。

こうしてゲームにのめりこんでいったのだという。

 

親としては、

「あんた何やってるの。ゲームばかりやって」

という言葉が出てくる。

しかし、喜久井ヤシンさんは、

「過干渉は、親が子を過小評価しているために出てくる」

という。

子が自分で考えることができないだろう、自分のなすべきことがわからないだろう、と親が勝手に考えるから、親が子に過干渉するというのである。

 

ヤシンさんの場合も、私の場合も、過干渉してきたのは母親であった。

私の父親は、母親の言うなりで奴隷のようにふるまっていたから、母親が「殴れ」と命じれば、何も考えずに私を殴った。

その点、ヤシンさんの父親はまったく干渉してくることはなく、ただの同居人という感じの存在だったという。

 

「父の中に父が居ない」

「不在の父」

と私は書いたことがあるが、そういう点では私の家と共通していたかもしれない。

 

日本の家庭で「不在の父」現象が起こる理由について、ヤシンさんは、

「日本では労働の価値が異様に高いから」

であると語る。

すなわち、父親は仕事があるからといえば、帰りがおそくても、休日に出勤しても、それは許されたし認められた。

すると、「家庭から仕事に逃避する」ということが可能になる。

子どものゲームも生活からの「逃避」なのだが、こちらの「逃避」はダメだとされて、大人の仕事は同じ「逃避」でも、こちらはOKとされる。

その理由をヤシンさんは、

「日本では労働の価値が異様に高いから」

と解釈するのである。

もっとも、一家の中で誰も労働をしなくなったら、どうやって皆が食べていけるのか、という基本的な問いが出てくるのだが、それを差し引いても日本では勤勉が美徳とされているために「労働の価値が異様に高い」と彼は考える。

 

 

 

 

とてもこの場ですべてをご紹介することはできないが、親御さんの立場からも、たくさんの貴重なお話やご質問をうけたまわった。

私はつねひごろ、本ブログであったり、「ひ老会」といった場において、他の当事者の皆さまと深い意見交換をさせていただいているが、親御さんの立場の方と突っこんだ議論ができるのは、やはりこの「ひきこもり親子公開対論」という場になってくる。

何よりも私自身がこういう場を求めている、ということを改めて自覚させてくれるような、非常に充実した時間であった。

 

 

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