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治療者と患者(348)治療「失敗」の責任を患者になすりつける精神科医、齊藤學

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Photo by Michael Dziedzic

 

by ぼそっと池井多
 

前回「治療者と患者(347)」では、東京・港区麻布十番精神科医療機関「さいとうクリニック」を経営している精神科医齊藤學(さいとう・さとる)が、そこへ通院する一患者である私の個人情報を、私の許可なく第三者に公開し、しかも失敗した治療を「成功」と強弁して、自らの手柄と化している件について考えてみた。

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疑惑とはいっても、この手のことは麻布村では当たり前のように行われていることを、麻布村の患者ならば誰しも知っている。

ただ治療者の権力がこわいから、それを被害として言い出せないだけなのである。

 

ところが齊藤學は、信者たちがたくさん集まる、最近のそういう場では、私の治療例を「成功」として吹聴しているかもしれないが、しばらく時をさかのぼれば、「失敗」と告白しているのである。

今回は、そういう証拠を検討していこう。

 

麻布村では、齊藤學が患者たちに運営させ、あたかも患者たちが自主的に運営しているかのように見せかけている「JUST」というNPO法人がある。

そこで出している機関誌「JUST通信」には、齊藤學の以下のような文章が出ている。

 

力動的精神療法とは何か

齊藤學

 

[ ..... ]

長年にわたる治療関係の中で、一定の信頼を得ているはずと思っていた患者から思いもかけない憎悪と反発が治療者である私に向けられてくるとき、スレカラシの私でもさすがに傷つきます。最近も、そうした人の一人がグループ・ミーティングの場で「斎藤の声を聴くだけで怒りが湧き、その場に居られなくなって困っている」と言われました。

[ ..... ]

この人の場合、治療関係が長くなりすぎたこと、その間にこちら側の都合(例えばこの勉強会の準備など)でいろいろな雑用をお願いしてしまったことが原因になったと思っています。もう少し前に私の方から別れを提案すべきでした。

人間のやることですから、失敗はあり得ます。

そして失敗も成功も私だけの問題というより、治療者・患者双方の問題だと思っています。

[ ..... ]

JUST通信 第100号(2019年5月8日 NPO法人JUST発行)pp.3-4

 文中、フォントの大きさなどは引用者編集。

(  )内は原文より。[ ...... ] は中略の意。

 

症例や経過報告は、自分に都合のいいように歪曲して発表するのが齊藤學の常であるから、ここでも事実関係は完全に歪曲されているものの、ここで書かれている「彼」が、私、ぼそっと池井多であることは明らかである。

 

どのように歪曲されているかに関しては、今回は繰り返さないが、本ブログのシリーズ「治療者と患者」を初めからお読みになれば、リアルタイムで実際に起こったことがそこに記録されている。

私は、のちに齊藤學が私の追放に関して、どうせ事実関係を自分の都合のいいように歪曲するだろうと予想していたので、あらかじめ本ブログにほぼリアルタイムで記録していったのである。

 

さて、ここで齊藤學が書いている

「人間のやることですから、失敗はあり得ます。」

という一文は、彼が私の治療に失敗したことを自ら認めている言葉にほかならない。

成功している患者に関して、人はわざわざこんなことは言わないからである。

 

しかも、謙虚に失敗を詫びることもなく、失敗すらも「人間のやることですから」と肯定することしかしない。

いったい、これによって何人の患者が死に追いやられてきたことだろう。

きっと

「人間のやることですから、患者を面白半分に殺すこともあり得ます。」

と開き直ることだろう。

 

 

齊藤學がこの文章を書いたのは、2019年2月17日と記録されている。

いまさら信者たちの崇拝を取り戻すために、

「ぼそっと池井多は、私の治療の成功例である」

などとうそぶいてみたところで、ちょっと前に自ら「失敗である」と認める言葉を吐いてしまっているのだから、これはもう取り消しようがない。

 

 

治療の失敗は、すなわち医療過誤である。

ところが、失敗と認めたすぐあとに、

「そして失敗も成功も私だけの問題というより、治療者・患者双方の問題だと思っています。」

などと、医療過誤の責任を患者に転嫁するようなことを書いている。

 

これもとんでもないことだ。

 

治療者と患者の関係において、治療者は圧倒的に権力を持っている。

外科領域で考えるとわかりやすい。

手術が失敗したときに、手術台の上に横たわり、麻酔をかけられていた患者が、手術の失敗の責任を問われるだろうか。

そんな話はない、ということは小学生でもわかる。

 

精神科でも同じである。

とくに齊藤學のように、催眠療法に頼る治療者の場合、催眠をかけられている患者は、麻酔をかけられ手術台の上に眠っている患者と立場は同じである。

そんな患者に、「双方の問題」などと平然と責任をなすりつけてくるとは。

 

すべてはプライドが高すぎて、自分の失敗を認められない齊藤學の人間性から発していると思われるが、他人から見れば、これほど馬鹿げたことはない。

 

 

 

 

no name さんが見聞したときには、齊藤學は涙ながらに自分の治療の「成功」を訴えたという。

顔文字女もそれを受け継いで、あのようなコメントを書き入れてきたわけだが、齊藤學自身がその前に私の治療を「失敗」と認めているのである。

 

しかし、齊藤學は失敗の責任を取るのがいやなものだから、ジタバタと往生際わるく「人間だもの」などと相田みつをみたいな言葉をここで持ってきたり、患者に責任をなすりつけたりしていたが、やがては責任回避の極めつけとして、

あれは失敗ではなかった。成功である

などと言い始めたのだ、ということがこれでおわかりいただけたと思う。

 

 

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