VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(387)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<3>わざわざ遠いトイレへ行ったわけ

f:id:Vosot:20210620205220j:plain

4年2組は3階のあのあたりにあった。小学校の校舎のたたずまいは半世紀前と寸分も変わっていなかった。

東京のひきこもり、名古屋へ帰る<2>」からのつづき・・・ 

vosot.hatenablog.com

 

by ぼそっと池井多

 

美人教師という、アダルト・ビデオなどでもっとも頻繁にテーマに取り上げられるらしい存在に、男子生徒たちは性的なファンタシーやあこがれを抱く。

中学や高校ではもちろんのこと、小学校の高学年であっても、早熟な児童たちはすでに若い女の先生をそういう眼差しでまぶしく仰ぎ始める。

 

習字を教えに来る小橋先生に、さかんに色めき立っていた男子児童たちは、いずれもすでに中学生のような身体をしていたり、ませた姉がいたりして、早熟の条件を備えていた。

しかし私は上に兄弟姉妹がなく、精神も肉体も子どもであったのに加え、いじめられていて心に余裕がなかったため、さっぱりそういう視線は育っていなかった。

 

美人だろうと何だろうと、私にとって小橋先生は一人の冷たい教師にすぎなかった。

小橋先生にとっても、私は一人の嫌いな児童にすぎなかっただろう。

なぜならば、それは私が字を書けなかったからである。

 

5年6組の担任は男性の大矢先生だったが、同じ階にある4年2組の女性の担任、小橋先生と相互乗り入れの協定をむすんでいて、大矢先生が4年2組に体育を教えるかわりに、小橋先生が私たちへ習字を教えにきていたのだった。

  

 

 

 

私はいまも言語フェティシストを自認するように、文字や言語に対する関心が変態的なまでに高い。

見知らぬ異国の言語のテキストを眺めているだけで、興奮し、恍惚にひたれるくらいである。

そういう傾向は幼いころからあって、幼稚園に入るまでにはひらがな・カタカナ・数字はもちろんのこと、なぜかヘボン式ローマ字まで読めていた。

母親が英語教師であったことが影響していたのかもしれないが、それだけではあるまい。

叩きこまれて仕方なく習得したのではなく、文字や言語に関しては、やはり私自身の中に「触れたい」「知りたい」「征服したい」という昂然たる欲望があったのだ。

 

小学校へあがるまでには、小学校6年生までに習う当用漢字はすべて読み書きできた。

のちに私立中学へあがったときに、私以外にもそういう子はよくいるのだと知った。今でいうアスペルガー的な傾向を持つ子どもたちであった。

 

そんな私であったから、小学校で小橋先生が習字で書く漢字を知らないわけがないのだが、名古屋へ引っ越してから強迫神経症がだいぶひどくなって、書字障害があるために、思うように字が書けなくなっていたのである。

詳しくは「井の中の丼(1)-4」(*1)に書いたが、字を書いていて、

「真ん中の閉じた空間にエンピツで穴を開けておかないと、お母さんが死んでしまう」

という強迫的な妄想が湧き起こり、どうしても真ん中にエンピツで点を打たずにはいられない。

 

 

そのため、閉じた空間をもつ字にはすべて点を打ち込んでいた。

ところが、漢字というのは閉じた空間のある字のほうが多い。

不要の点を打てば、それは違う字になってしまう。

たとえば「井」と「丼」は異なる意味をもつ字だ。

テストのときには、間違いとして採点される。

 

なぜ、このような症状が起こっていたのかについては、のちに37歳のときにフロイトを読むまで皆目わからなかった。

 

ともかくこんな具合であったから、いつも国語のテストは100点満点で20点ぐらいしか取れなかった。

職員室で教師たちは、

「こんな成績のよい子が、なぜ間違った漢字を書くのか。

 わざと間違えているとしか思えない。反抗期だからか」

などと訝っていたようである。

だが、まだスクール・カウンセラーなどという職業すらなかった時代、

「この児童は心の病気にかかっているのではないか」

と疑ってくれる大人は一人もおらず、容赦なく私には20点と採点された答案だけが返ってきた。

そして、毎晩夜中の2時まで私が中学受験の勉強を母親に強いられている事実を知ってか知らずか、

「こんな点数じゃダメじゃないか。もっと勉強しろ」

と担任教師は私を諭すのであった。

 

 

 

 

ある日、知能検査があった。

きっと日本全国の小学校で実施されていたのだと思うが、児童たちのIQ(知能指数)を調べるためのテストである。

絵の中に重なっている積み木の数を推測して答えたり、同じ記号どうしを線で結んだり、まるで幼児がやるような他愛ない問題ばかりがテスト用紙にならんでいた。

 

しかし、こういう問題を解くときにも、私の強迫症状は顔を出すのであった。

「そんな簡単な問題にすんなりと正しい答えを書いてはいけない。そんなことをしたらお母さんが死んでしまうぞ」

という強迫的な観念が湧き起こるのである。

フロイトがいう制止 (Inhibition) である。

難しい問題のときは、この症状はあまり起こらない。もう手放しでもできるような簡単な問題にときにかぎって、湧き起こるのである。

症状が始まると、もう抵抗しても勝てないので、おとなしく強迫の悪魔の命ずるままに間違った答えを書いていくしかないのだった。

 

 

 

 

5年6組の教室は新校舎の3階にあり、いちばん近いトイレに行こうとすると、どうしてもその前にある4年2組を通らなければならなかった。

習字を教える美人教師、小橋先生が担任する学級である。

ところが、あるときから私がトイレから出てくると、4年2組の児童たちがいっせいに窓から顔を出して、

「テーノージ! テーノージ!」

と叫んでいた。

 

はじめ私は、大阪の「天王寺てんのうじ」のことかと思った。

誰のことをいっているのだろう? 

大阪から転校生でも来たのか?

 

あたりを見回してみたが、そこには私しかいない。

どうやら私が「天王寺」から来たと思われているらしい。

 

「ちがうよ。ぼくは千葉県の松戸から来たんだよ」

と答えてみた。

 

私の言った意味が伝わったのか伝わらないのか、4年生たちはどっと笑った。

やがて、私も彼らの意味するところをぜんぜん理解していなかったことがわかった。

彼らは「天王寺」ではなく「低能児」と言っていたのである。

 

 

いったいなぜ、一学年下の後輩たちに私が低能児などとはやし立てられなければならないのか。

原因は何日か経って判明した。

 

どうやら事の発端は、先日行われたあの知能検査であるらしい。

IQ というものに関して、私はあまり詳しく知らないが、どうやら当時は IQ が 75 以下であると「低能児」と呼ばれていたらしい(*2)。

それで私の IQ は、テスト結果から 72 と算出されたというのである。

 

*2. 現在は、IQ が 50 から 70 を「軽度知的障害」と呼ぶようになっている。

 

担任の大矢先生は、算出された結果の IQ を児童本人たちに知らせる前に、習字を担当している小橋先生に情報共有した。

個人情報保護法というものがなかった当時だからなのか、小橋先生はそれを自分の学級で話したのだった。

「ほら、先生が習字を教えている5年6組にぼそっと池井多というデブの子がいるでしょ。

あの子、頭わるいのよ。

こないだ5年生が知能検査をやったら、あの子は IQ が 72 で低能児だったの」

 

まともな字を書かないため私を嫌っていた習字の美人教師は、そんなふうに4年2組で話したらしい。

4年2組の児童たちは、私がどのような精神的格闘を経て知能検査の答えを書いていたのかを、まったく知る由もないだろう。それは当然だが、おそらく「低能児」の意味するところすらもわからぬままに、

「あのデブの上級生、頭わるいんだってよ。いじめてやろまい(*3)」

という暗黙の合意を形成するにいたり、私がトイレへ行くため教室の前を通りかかるたびに

「テーノージ、テーノージ!」

と私をはやし立てるようになったのである。

 

*3. 「やろまい」という名古屋弁は、標準語の「やるまい」(=しないでおこう)と間違えられるのだが、「やろう」という意味である。名古屋周辺だけでなく遠州弁として天竜川あたりまで用いられる表現。

 

そのことを、4年2組の中でも勉強のできる良識派の少年ハセガワくんと、数日後にぐうぜん帰り道がいっしょになったときに聞かされたのである。

私は怒るよりもまず、茫然とした。

 

ちょうど今、2月のネット暴力事件(*4)で事実を知らないヤジ馬連中が、

「セーボーリョク、セーボーリョク!」

と私を非難して騒いでいるのに似ている。

 

*4. 2月のネット暴力事件とは

vosot.hatenablog.com

 

 

4年2組の暴徒派による「低能児批判」が始まってから、私は最寄りのトイレは怖くて行けなくなり、わざわざ隣の校舎や別の階のトイレまで長い時間かけて通わなくてはならなくなった。

 

いじめられっ子というものは、往々にして恐ろしく非効率的な生活をしているものである。

当時の私が、まさにそうだった。

他のクラスメイトが5分もあればトイレへ行って帰ってこられるところを、私だけは遠距離通勤しているので10分以上かかる。

「長いなあ。きっとあのデブ、ウンコしてるんだぜ」

などと、今度は5年6組の男子が想像でものごとを決めつけ、女子がキャアと嬌声をあげて眉をひそめて笑い、新しいいじめの口実が追加されていった。

 

ところが実際は、非効率性には理由があり、非効率はそれなりの合理を備えていたのである。

 

 

 

 

のちに、IQという概念を児童の評価に使うことが問題とされるようになり、それからはIQ (Intelligence Quotient 知能指数)ではなく、心豊かさや情操もふくめたEQ (Emotional Intelligence Quotient 心の知能指数)でなくてはいけない、などと言われるようになった。

 

しかし、こういうことを指して五十歩百歩と謂うのだろう。

 

EQ検査のためのテスト問題が、どんなものであるか私は知らない。

けれど、たとえどんな問題であっても、EQだろうがIQだろうが、テストによって子どもの知能や能力が正しく測定されるだろうか。

私が苦しんでいた強迫性障害や、その他にも妄想性障害、統合失調症などをわずらっている子どもは今でも、

「正しい答えを書いてはいけない」

という自己禁止、もしくは制止症状が働いてしまうことがあるだろう。

そんな子の答案からは、その子の能力はわからないはずだ。

 

私という人間の場合、もともと頭はそんなに良いとも思えないので、強迫症状がなくてもそれほど高い数字は取れなかっただろうが、強迫によって検査結果がだいぶ下方修正されたことだけは確かである。

私のほんとうの知能指数は結局いくつだったのか。

それは、わからないままとなった。

 

のちに齊藤學という精神科医のやっている麻布村という精神医療機関につながったときに、そこでも知能検査をやらされたが、結果は教えてくれないのでわからない。

麻布村は患者に関するデータを取るだけ取って、治療者の研究の材料にするだけで、患者本人の人生に還元してくれないからである。

 

しかし、それさえもどうでもよいことなのかもしれない。

いまさら知能指数がいくつであるとわかったところで、それによって私が生活保護を抜け出して、ビジネス社会の一線でバリバリと働き、日本のGDPを押し上げるようになるとも思えないからである。

 

・・・「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<4>」へつづく

vosot.hatenablog.com

 

関連記事

vosot.hatenablog.com

vosot.hatenablog.com

vosot.hatenablog.com

vosot.hatenablog.com

All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020