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やっぱり今日もひきこもる私(393)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<9>なぜ父は「医者行け医者」と言ったか。

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名古屋の中心部 栄 写真・ぼそっと池井多



東京のひきこもり、名古屋へ帰る<8>」からのつづき・・・

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by ぼそっと池井多 

 

 

前回「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<8>」では、母が、

「おなか痛い、おなか痛い」

と私たちを心配させるたびに父がオロオロしていた、という話を書かせていただいた。

しかし、正確にいえば、父が示した反応は「オロオロ」だけではなかった。

 

母の

「おなか痛い」

が始まると、父は決まって母に、

「医者行け医者」

というのだった。

 

軍隊式の命令に、

「右向け右」

というのがあったが、それと同じ語法で、

「医者へ行け」

のあとに目的語の「医者」を再びくっつけて

「医者行け医者」

となっているわけである。

 

当然だと思う。

おなかが痛い、あたまが痛い、とあれこれ愁訴をもちかけられても、父は医師ではない素人だから、母に何もしてあげられない。

だから、ちゃんと医療にかかって専門家である「医者」に診てもらい、どこがほんとうに悪いのかを調べ、もし悪いのならどこが悪いかを確定し、具体的な治療を始めて、

「おなか痛くない」

という状態になってくれ、という意味で父はいつも、

「医者行け医者」

といったのである。

 

なぜならば、心配させられつづけることはつらいからである。

心配負荷は馬鹿にならない。

心配しつづけるというのは感情労働だ。

「愛があれば」などと言っているのは初めのうちで、そんなものはやがて現実的な疲労の前に枯渇する。

 

面白いことに父がいう言葉は、私が幼稚園など物心ついたころから、大学を出ていわゆる大人になるまで、一貫して

「イ・シャ・イ・ケ・イ・シャ」

という6文字ならぬ6音節で成り立っていた。

「病院に行ったらどうだ」

「一度、精密検査でも受けてみたらどうだ」

など、いくらでも他に言いようはあると思うのだが、いつも父の言語表現は、

「イシャイケイシャ」

の6音節なのであった。

 

これが母の、

「オ・ナ・カ・イ・タ・イ」

という6音節と対を成した。

 

「オナカイタイ」

が発音されると、まるでプログラムされたロボットのような正確さで今度は父のほうから、

「イシャイケイシャ」

という6音節が発音されるのであった。

 

こうして我が家では、まるで宗教的な儀式のように、

「オナカイタイ」

「イシャイケイシャ」

「オナカイタイ」

「イシャイケイシャ」

と二つの呪文がよく飛びかっていた。

 

母は、父の「イシャイケイシャ」をはね返すために、私が幼いころは、まだ私を盾にしていたものである。

「イシャイケイシャ」と言ってくる父を前に、母は父ではなく私に話しかけた。

 

「いやねえ、パパ(*1)は。また『イシャイケイシャ』だって」

こういうときだけ、なぜか母ややさしく私に話しかけるのであった。

 

*1. 池井多家の父母の呼称は少し変わっていて、私は幼いころから「お父さま」「お母さま」と父母を呼ぶように母によってしつけられたが、弟や父母自身など私以外の家族は「パパ」「ママ」と呼びあう。「お父さま」「お母さま」と呼ぶことを強制されたのが一家の中で私だけという事実は、のちに一家の中で私だけ追放され音信不通になっている事実とどこかでつながっている。不公平なのである。

 

すると、まだ幼稚園に上がるか上がらないかの私などは、まるでいまどきの暴力的フェミニストたちのように、事実を確認せず、文脈も考えないまま、現代日本語でいうところの「脊髄反射(*2)」を起こし、

「そうだよ、お父さま。お母さまに『イシャイケイシャ』て言っちゃダメだよ」

などと、問答無用で母を支持する発言をしていたのである。

幼い私は、交わされている会話の意味などわからず、ただ母の是認だけが欲しかったのだ。

 

*2. 脊髄反射(せきずいはんしゃ) 脳を介さないで起こる、脳神経系の反応。認知や判断など「考える」というプロセスを経ないでおこなわれる。

 

すると父は舌打ちをして、

「何を言ってやがるんだ」

と悲しい顔をしたものだ。

 

やがて、小学校へ上がるころから、私も脊髄反射から発達して脳を介した思考をおこなうようになり、

「イシャイケイシャ」

という父のほうが正しく道理の通ったことを言っているのだ、と思うようになった。

 

そうなると、いくら母がとつぜん私にやさしくなって、

「またパパはあんなことを言っているわ」

と私に同調を求めても、私は、

「そうだよ。お父さまの言うとおり、お母さまはお医者さんに行って。どこが悪いか診てもらって」

と父を支持する声明を発表するようになっていた。

 

ほんとうは、もし当時の私にもっと言語能力があったなら、

「そして、もう『オナカイタイ』なんてむやみに言って、ぼくたちを心配させるのは、いいかげんにやめてくれ」

と言いたかったのだ。

 

高校生ぐらいになると、もっと私の見方が変わってきた。

すなわち、母が

「おなか痛い」

というのは、

「病気である」

という表明ではなく、

「わたしのことを心配して。

わたしを見て。

わたしにかかりきりになって。

わたしのわがままを通して」

という愛情希求なのだ、とわかってきたのである。

 

愛情を希求したいならば、もっと素直な求め方はいくらでもあるはずだが、プライドの高いお嬢さま育ちで、しかも社会的身分の低い父と「腹いせ婚」をした母は、愛情を求めるのに、そのように「自分を心配させる」というネガティブな方法しか使えなかったのだ。

 

だから、母にしてみれば、父に「医者行け医者」といわれて、もしほんとうへ医者へ行ってしまうと、これはとんでもないことになるのだった。

おそらく医者に、

「どこも悪くありません」

と言われて、「おなか痛い」にしても、「あたま痛い」にしても、それらの愁訴が仮病であることがバレてしまう。

そうなると、母はそれ以上、家庭生活において「おなか痛い」脅迫は使えなくなる。

 

もし、ほんとうに身体のどこかが悪かった場合はどうなるか。

すると、当然その病気の治療ということになる。

ところが、病気を治してしまったら、もう母は父や私たちから心配してもらえる理由をなくしてしまうことになる。

病気を治すなんて、とんでもない。

病気は、いつでも理由としてふりかざせるように、たいせつに身体のなかに取っておかなくてはならない。

だから、母が

「おなか痛い」

というときには、

「何としてもぜったいに医者にだけは行ってはたまるか!」

という意気込みで、そういっていたのだと思う。

 

父も父で、

「医者行け医者」

といったところで、母はぜったい医者へは行くはずがないということは、すでによくわかっていたようだった。

しかし、だからこそ父は母に、

「医者行け医者」

といっていたのだと思う。

 

なぜならば、もし父が、

「医者行け医者、といったところで、ぜったいに母は医者へ行かない」

という法則を会得して、そのさき母がいくら「おなか痛い」と騒いでも、ひと言も「医者行け医者」といわなくなったとしたら、それはそれで母は、

「自分のことはどうでもいいと思っている」

などと機嫌をそこね、大問題になることは目に見えていた。

 

母の不機嫌はたちまち、

「自分なんか死んでもいいと思っているに違いない」

などと勝手にエスカレートしていき、もうこの家は出ていくの、死んでやるの、と私たちに怒鳴り散らし、家の中が大騒動になったのにちがいない。

ここで母の十八番である「狂言自殺」が出てくるだろう。

 

父はそういう展開が予測できたから、母が「医者」へは行かないことを重々承知しながら、

「医者行け医者」

と言ってあげていたのだと思う。

 

……。

……。

 

おお、いやだ、いやだ。

 

のちに私が大人になって、女性とつきあったときに、女性が体調の不良を訴えるたびに、私は心身が不安定になった。

 

私は、

「医者行け医者」

とはいわなかったが、すぐ

「医療にかかってみたらどうかな」

と強く勧めるのであった。

 

しかし、なかには医療にかかりたがらない、さらには健康診断も受けたがらない女性というのもいる。

こういう女性を相手にすると、私はとたんに大きなストレスをおぼえるのだった。

 

すなわち、母に「心配させられた」感覚が、私の身体中の細胞から蘇ってくるのである。

まるで彼女の健康の行方が、一挙に私に押しつけられてくるような重責感。

そして、そのまま彼女が何か悪い病気になっていったらどうしようという不安感。

心配負荷が重くのしかかり、「解決しない健康問題を心配しつづける」という感情労働に息も絶えだえとなっていた。

 

幼いころにたっぷりと四六時中、母のことを心配しつづけ、一生ぶんの心配エネルギーを使い果たしてしまったために、いまさら他の人のことを心配しつづける心のキャパシティが持てないのだ。

そんな狭量な心性が、のちに結婚もせず、子どもも持たない人生へ私を歩ませた部分は、ぜったいある。

 

いっぽう、何かというと「おなか痛い」と呻き、「死ぬ、死ぬ」と転げまわっていた母は、実際はいつのときも何ら悪い病気ではなかったらしく、昨年3月に戸籍を調べたときには84歳で健在であることが確認された。

父に「イシャイケイシャ」といわれても、頑として医者へ行かなかった母は、きっと「オナカイタイ」という得意技を終生つかって生きていくのだろう。

 

 

 ・・・「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<10>」へつづく

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