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やっぱり今日もひきこもる私(398)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<12>喘息と依存心

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かつて私たち家族が住んだ貧乏アパートはすでに跡形もなく、
5階建ての頑丈なマンション(右)が建っていた。

東京のひきこもり、名古屋へ帰る<11>」からのつづき・・・

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by ぼそっと池井多

 

幼時から、私は喘息とアトピーに悩まされていた。

そして、それらの症状はカビの生える、湿気の多い部屋にいると発症するのだ、と母に教えられた。

カビの生える部屋というと、どうしてもゴミ部屋のような汚い場所が連想される。

「汚くしていると、カビが生えてきて、喘息とアトピーが出てきちゃうわよ」

と母が脅かしたのは、そのようにいえば私が恐れて部屋を片づけてきれいにすると思ったからだろう。

 

じっさい私は幼いころからノロマで、片づけが下手で、いつも散らかしっぱなしで怒られていた。

そのことは、現在に至るまで私がゴミ部屋に居住するひきこもりであることにつながっている。

 

人によって、特定の生物が生理的な嫌悪の対象である。

たとえば、サルトルカニが嫌いだ。

あれほど頭脳明晰であった哲学者が、論理も理屈もなくカニだけは毛嫌いするのである。

「そんなものはカニのような思想だ」

などという支離滅裂な批評は、サルトルにとっては最大級の罵りなのである。

 

同じように、私は喘息をもたらすカビが生理的な嫌悪の対象となった。

私が23歳で就職活動の最中にひきこもりになったことを覚えてくださっている読者の方は、ここまでお読みになってピンと来ただろう。

あのとき、会社訪問に着ていくリクルート・スーツの蒼色が、生地一面にカビが生えているように妄想され、気持ち悪くなって袖をとおすことができなくなり、私は出かけられなくなったのである。

 

小学校5年生で名古屋へ引っ越してきて、私の喘息とアトピーはひどくなった。

私たちが住んでいた貧乏アパートは湿気の多い立地だったので、一階の部屋では壁にカビが出ていたらしい。

二階にある私たちの部屋は、かろうじてカビは生えてこなかったが、一階で生えたカビから胞子がはるばる二階まで飛んできて気管に入り、自分が喘息になっていく妄想に悩まされた。

科学的なようで科学的でない。

少年の科学知識、もしくは強迫神経症の患者の論理的説明はそんなものである。

具体的に母がそんなことを言ったから、私はそう信じたのかもしれない。

 

しかし、大学を出るころになって、

「どうも喘息は、母子関係がおかしな子どもが患うものらしい」

とわかってきた。

そしてアトピーは「ちゃんと怒れない人」、すなわち怒りを出すことを我慢してしまったり、あきらめてしまう人が、交感神経を高ぶらせ、皮膚の上に言語化されない怒りがけば立ってきた結果であるらしい、ということもわかってきた。

 

なぜ大学を終えるころになって、喘息について詳しくなったかというと、私が父親像を投影した主任教授、鈴澤先生の専門がフランス文学者のマルセル・プルーストであったからである。

プルーストも喘息に苦しんだ。

プルーストの母への執着は有名である。

そしてプルーストは、自分の喘息の苦しみや母への思慕を作品化したからこそ、こんにち私たちが知る「プルースト」になったというわけだ。

 

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マルセル・プルースト(29歳)Photo by Wikimedia

彼の作品を読むかぎり、プルーストは私のように母へ怒りや憎しみを感じていたわけではないように読める。

また、プルーストの母と、私の母は、まったく性格がちがう。

しかし、プルーストも私も、ともに四人家族で、二人兄弟の長男だったこと、また本人はこんにちでいう「ひきこもり」となり、弟は社会で活躍する「ふつうの人」になったこと、など家族史的には共通点が多い。

プルーストユダヤ人意識は、私の異邦人意識に相当する。

どちらも「ふつうの人々」から疎外され、自分はアウトサイダーだと感じたからこそ育ってきた感覚である。

 

鈴澤先生はプルーストの喘息について、かなり深い研究をしていた。

文学者でありながら、かなり専門的な医学書も読んでいたようである。

それらの研究の成果を読むと、母との愛着関係に異常が生じたときに、子の体内にある物質が発生して血液循環するようになり、それによって呼吸がおかしくなって喘息が引き起こされるのだ、と考えられるのだった。

 

しかし、それを認めるのはむずかしかった。

昭和時代に男性として育てられた者にとって、

「母親との関係に悩んでいる」

などということは、とてもではないが、みっともなくて人前で語れない問題だったのである。

そんなことを語ったら、男という性的存在としてのイメージが悪くなって、今後いっさいこの世の女性たちから相手にしてもらえなくなる恐れがあった。

そこにはおそらく、生理に関する悩みなどが語れずに苦しんでいる女性たちの心境と、相通ずるものがあったかもしれない。

だから、いつまでも私の喘息問題、母子関係問題はひた隠しにされ、そのため解決に手がつけられることもなかったのである。

 

「依頼心ばかり強くなっちゃって!」

まだ私が幼稚園のころ、千葉県の柏市に住んでいたときのことであった。

喘息の発作が起き、息が苦しくなって、布団に寝かされていた私は、母が台所から近づいてくるのを、下から見上げる風景として見た。

母は私を眺め下ろし、こう言った。

「まったく病気になったときだけ、『お母さん、お母さん、』って甘えてくるんだから!

なんでまた、こんなに依頼心の強い子に育っちゃったんだろうね!」

 

母がいった「依頼心」とは、正しくは「依存心」のことだと思う。

「なんでまた、こんなに母親に依存してくる子に育っちゃったんだろうね」

という意味であったのにちがいない。

 

母はその言葉を、まるで何か喜びを隠し切れないように、しかし強く、冷たく、病に伏せる私の身体の上に言い捨てたのだった。

 

私は、そんなに母親にべったりしていた子どもではなかった。

依存するとしたら、どちらかというと、私は祖母に甘えていたかもしれない。

 

そのため、むしろ母は、

「わたしが母親なのに、この子はちっとも甘えてこないで、わたしの母である "おばあちゃん" にばかり甘える」

という一種の嫉妬心を抱いていたのではないか、とさえ疑われるのである。

それは母自身が持つ、母娘間の葛藤の一種である。

 

ところが、母からすると、私が喘息になったときは、めずらしく私が母に甘えてくるように見えた、ということだろう。

 

それで母はほくそ笑んだ。

「しめしめ。病気になれば、さすがにこの子も、こうやってわたしに助けを求めるわ」

もしかしたら、母はそのような形で「母であることを実感した」かもしれないのである。

 

ここで母という人のねじくれた性格があらわれる。

欲しいと思っていたものが与えられて、ストレートに喜ぶことはせず、わざと

「そんなものなど要らなかった」

とでもいうような態度を取ることによって、自らの矜持を保つのだ。

 

そのため、私が待望の「依存」をしてきたものだから、

「まったく依存心の強い子になっちゃって!」

歓喜を噛み殺しながら、私をバカにしたのである。

 

じっさい私がほんとうに母に甘えたのかどうかはわからない。

呼吸が苦しく、藁をもすがる状態だったから、そのように見えたのか。

あるいは、近くにいる大人に誰かれかまわず助けの視線を投げたのかもしれない。

 

それに、たとえ私がほんとうに母に助けを求めたとしても、それのどこがいけないのだろう?

私は子どもで、しかも病気であった。

子が母に庇護を求めるのは当たり前ではないか。

病気の者が、健康な者に庇護を求めるのは当たり前ではないか。

あのときの私が母に、「依存したい」「助けてほしい」と思うことは、何もまちがっていなかったはずである。

 

ところが、そんな言葉を母から投げつけられて、幼いながら私がおぼえたのは屈辱と悔しさであった。

半世紀以上経った今でもおぼえているくらいの、強い屈辱の感情である。

 

そして幼な心に、

「もう二度とお母さまに依存などしてやるものか」

と堅く心に誓ったのである。

もちろん、そういう言葉でそう思ったわけではないが、いまの私が大人の言葉に翻訳すれば、そういうことを思ったのだ。

  

大人にも「甘え上手」な人がいる。

相手の「庇護したい」という欲求を引き出して、ちゃっかり甘えてしまうタイプの人である。

ところが、驚くべきことに、甘え上手な人は必ずしも他人に依存的な者だけでなく、自立心に富んでいる者も多い。

自立できず他人にばかり頼っているから甘え上手なのではなく、自分は自分でしっかり支え、しかも他人からの庇護を道具として引き出すことにも長けているのである。

いまどきYouTuberで、ライブの投げ銭などで稼いでいる人たちなどには、そういう傾向があるように思う。

あれはあれで、一つの才能だ。

 

反対に「甘え下手」な人というのは、がっちりと自我を防御して、「他人に甘えるまい」という潔癖さを持っている。

ところが、こういう甘え下手の人がしっかり自立できているとはかぎらない。

自立できず、悔しい思いをしながら誰かに依存していたりする。

ひきこもりに多い。

そして、こういうタイプの人は、

「支援など受けたくない」

と考えている人が多いように思うのである。

 

私は、逆立ちしても甘え上手にはなれない。

それは、幼少期のこんな体験から形成されたのだと思う。 

そこが私とプルーストを分かつ点かもしれない。

 

裏返せば、

「支援など受けたくない」

という人は、精神発達のごく初期の深いところで健全な依存をしようとして、異常な拒絶をされたことが心的外傷になっているのかもしれない。

そうだとすれば、それはソーシャル・ワーカーが何度アウトリーチしたところでどうなる問題でもなく、むしろ退行療法など高度な精神医療で対応すべきなのではないのだろうか。

しかしそういうニーズに、現在の日本の精神医療は対応できる状態にない。

 

 

 

・・・「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<13>」へつづく

 

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