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やっぱり今日もひきこもる私(399)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<13>支配するために依存させる

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餌づけ photo by PhotoAC

東京のひきこもり、名古屋へ帰る<12>」からのつづき・・・

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by ぼそっと池井多

 

前回「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<12>」では、私がまだ幼稚園のころ、喘息で臥せっていたときに、母が、

「まったく病気になったときだけ、『お母さん、お母さん、』って甘えてくるんだから!
なんでまた、こんなに依頼心の強い子に育っちゃったんだろうね!」

と嬉しそうに、しかし冷たい言葉をぶつけてきたことを書かせていただいた。

  

このひと言が、私と母の関係を決定づけたように思える。

 

けれどもそれは、このひと言が発せられたまさにその時だけが、私と母との関係の歴史のなかで特別な瞬間だった、という意味ではない。

私の母との関係は、つねにその言葉や言い方にまとめられる空気が漂っていた。

だからこそ、その言葉がひごろの私と母の関係性をよく言い表すものとして、私の幼い記憶に焼きついたのだろうと思われる。

 

つまり、母は私が母に依存することを切望していた

なぜならば、依存してこないと支配はできないからである。

 

依存してくれば、

「もう、それなしに生きていくことができない」

という状態になる。

すると、「それをなくすぞ」といえば、恐れおののいて、おとなしく言うことを聞くのである。

 

この心理法則を悪用しているのが、麻布村の精神科医齊藤學さいとうさとるである。

治療者は、患者を依存させることができる。

それは技法というよりも、治療関係というものがあれば、治療者がどんなに人格的にくだらない人間でも、患者は治療者に依存するのである。

 

人は、存在承認というものに飢えているから、齊藤學は承認という餌を馬患者ばかんじゃ(*1)に与えてやる。

いつも「見守っている」かのような視線を投げかけ、患者の人間性に関心があるかのような格好だけ見せておく。

 

すると馬患者は、

「世界で斎藤先生だけが自分の存在を承認してくれる。

世界で斎藤先生だけがずっと自分を見ていてくれるんだ(*2)

と考えてすっかり洗脳され、

「この治療者のためなら、どんな高額な講座でも申込もう。

この治療共同体のためなら、どんな無償労働にも奉仕しよう」

という気になるのだ。

 

こうして病気でもない馬患者たちが払い込む治療費と、差し出す無償労働によって、治療者が独裁者として頂点に君臨する麻布村が運営されている。

 

*1. 馬患者(ばかんじゃ) 麻布村、すなわち東京港麻布十番にある精神科さいとうクリニックを中心とした治療共同体に通う患者たちを指す。なぜ「馬」が頭につくかについては諸説ある。

*2. 麻布村の流全次郎の「先生はずっと見ていてくれる」という証言がわかりやすい。

以下の動画をご参照のこと。

https://youtu.be/_jFWqlab9Dk?t=1821

youtu.be

 

わかりやすく言えば、存在承認によるづけである。

 

覚醒剤などの違法薬物の売人は、新規の顧客に対して、初めは金を取らないで高価な薬物をタダで与えてやるという。

これも餌づけである。

客がその薬物に味をしめて、依存状態になると、あとはどんなに値段が高くても買ってくれるからだ。

齊藤學はもともと、こうした依存のメカニズムを専門とする精神科医であった。

まさに持っている知識を悪用して、現在の麻布村をつくっているわけである。

 

しかし、小鳥でも野良猫でもよいが、餌を与えると寄ってきた動物たちは、とつぜん餌を与えなくなったところで、こちらの言うことをおとなしく聞くようにならない。

下等動物は依存させて支配するというわけにいかないのである。

「なんだ、ここは餌をくれなくなったか」

と見極め、さっさと餌を求めて他のところへ行ってしまう。

そういう執着心のない行動を、人間はなかなか取れないのである。

 

私の母の「おなか痛い」「死んでやるからね」という死をちらつかせる脅迫も、それだけを単独で用いたところで効き目はない。

まずはその基底に、

「お前は、お母さんがいなければ生きていけないのよ」

という世界観を刷り込んでおかなくてはならない。

「もう、それなしに生きていくことができない」

という依存状態を、まずは作りだしたのである。

パソコンやスマホでいえば、これがOSである。

 

麻布村の場合は、

「ここへ通うかぎり、斎藤先生が存在承認してくれる」

というのがOSである。

そして、その依存状態を基本的な信頼関係 (basic trust) などと言い換えて患者をたぶらかす。

 

これらのOSのインストールが終わったあとで、

「死んでやるからね」

と、私の母のようにいえば、子どもであった私のように、

「それはたいへんだ。死なないで」

と何でも母のいうことを聞くようになる。

 

また、

「治療関係を断ち切る」

と齊藤學のようにいえば、

「それはたいへんだ。断ち切らないでください」

と流全次郎のように何でも齊藤學のいうことを聞くようになる。

私と同じような貧乏人なのに、リカモリ講座にまで大金を払い込んでしまう。

 

このように、母が私を依存させたかったのは、支配したかったからであろうが、それはとりもなおさず、母が自分の存在価値を感じたかったためであろう。

私が依存していれば、母は、

「この子はわたしに頼ってきている。わたしなしに生きられない。

わたしは、この子が生きていくために必要なんだ。

それだけわたしには存在価値があるんだ」

と感じられる。

 

齊藤學も同じように、患者たちが依存してくることで永続的に収入源が保証されるだけでなく、老人ホームに入ったら確保がむずかしいであろう与太話の聞き手を確保し、

「まだこんなに私には存在価値があるんだ」

という幻想のなかに棲むことができる。

 

人は誰しも、自分の人生に価値があることを願う。

そこで、他人の存在を利用して、自分の人生に価値があると感じられる状態を作りだそうとする。

 

しかし、そんなものはほんとうの価値ではない。

私が無意識の底ではこんな母が存在しなくなること、すなわち死を願望するようになっていたことは、「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<8>」で告白したとおりである。

 

また母が、

「なんでまた、こんなに依頼心の強い子に育っちゃったんだろうね!」

などといったとき、母は私に自分を投影していたのではないだろうか。

 

母は都合が悪くなると、いつも病気を演じて逃げていた。

人は、他人も自分と同じ行動原理で行動するものと思いこみやすい。

だから、私もまた母と同じように病気に逃げこんだように見えたのかもしれない。

そこで、母はもう一人の自分を罰するように、病気の私に意地悪く接した面もあったのではないか、とも考えられるのである。

 

再び「過保護だったんだよ」

母の言葉の記憶は、以前「海外ひきこもりだった私(34)」でお話しした、のちに私が大学に入り、ゼミの主任教授である鈴澤先生に、

「過保護だったんだよ」

と突き刺されるようにいわれたひと言とつながっているのである。

 

そのとき受けたショックは、怒りでもあった。

しかし、怒りは記憶の地底で複雑にからみあっていて、ストレートに地表に出てこなかった。

 

母の、

「依頼心の強い子に育っちゃって!」

と、鈴澤先生の

「過保護だったんだよ」

は、同じ方向をむいている言葉である。

だから本当だと思いやすい。

 

つまり、どちらも私と母の関係性において、子である私が悪い、という価値観にもとづく言葉である。

 

なるほど、喘息を病んでいた私は、傍から見れば母親に愛着して「過保護な」子どもだったと見えるだろう。

鈴澤先生の専門はプルーストであったから、とうぜんプルーストと私をこっそりと比較していたのだと思う。

 

喘息。家族構成。たしかに共通点は多い。

しかし私は母を、プルーストがそうしたように思慕することはなかった。

私の依存、あるいは「過保護」だった状態は、私が望んだものではなかった。

依存するかしないかの主導権が、プルーストの場合は子であるプルーストにあり、私の場合は母にあった。

私は母子関係でつねに客体であったのだ。

そのような違和感を解決すべく、のちに「過保護」ではなく「過干渉」という語がつくられたのではないだろうか。

 

いっぽう、のちに2000年ごろ、精神科医の齊藤學も私をプルーストと比較した。

プルーストの父は、ちょうど日本でいえば厚生労働省の技官から東大医学部の教授になったようなエリートの医学者だった。

また、プルーストの弟も父の後を継いで医者になり、軍医や外科医として名声を馳せた人物である。

そのような理系家族にあって、一人だけ文系人間でろくな仕事にもつかない長男マルセル・プルーストは、自身を「太陽の黒点」に例えていた。

輝かしい父や弟に比べて、そこだけ暗いような長男だったからである。

 

しかし、よく知られるように、4000℃もある黒点は、周囲の温度が6000℃と高いから黒く見えるだけで、それだけを取り出せばすこぶる熱い部分なのである。

 

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太陽の黒点 Photo by NASA/SDO/HMI

 

私の原家族は、父も弟もサラリーマン、いわゆる「ふつうの人」となった。

原家族と音信が途絶えて20年以上が経ち、弟がどれほど出世しているかわからないが、ネット上で名前を見ないから、社会的にそんな華々しい活躍はしていないと思う。

ところが齊藤學は、父も弟も優秀であるから「ふつうの人」として人生に「成功した」が、プルーストと同じ長男である私だけ「太陽の黒点」となって埋もれてしまい、人生に「失敗した」と考えたのである。

 

齊藤學は精神科医であるのに、

「人間が見えていない」

という特徴を持つ。

いつも思いつきでモノをいう。

しかし、聞いている馬患者たちは催眠がかけられているから、どんな間違ったことが思いつきで言われても、自分の頭でそれを吟味せず、言われたままに信じてしまう。

 

だから、彼らの幻想は麻布村のなかでしか通用しない。

麻布村が一般社会から孤立し、馬患者たちが一般人と話が通じない原因はここにある。

 

私の家族の解釈について、齊藤學はどこが間違っていたのだろうか。

たしかに家族構成だけを見れば、池井多家はプルースト家と同じである。

しかし、父と弟はプルースト家のように優秀ではないということだ。

私は、自分が学歴主義者ではないので、このような比較をするのは気が進まないが、池井多家はプルースト家の逆で、一家の中でいちばん学歴が高いのは私なのである。

そのため、家族の中の関係性がプルースト家とはまるでちがってくる。

学歴の類に無知で無頓着な父はさておき、なまじっか学歴を意識する母や弟の嫉妬を受けたことが、池井多家における私の「長男の放逐」の原因となった可能性があるのだ。

 

・・・「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<14>」へつづく

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