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やっぱり今日もひきこもる私(400)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<14>ひきこもりの原因は二代前にさかのぼる

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横浜港 2020年3月 写真・ぼそっと池井多

・・・「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<13>」からのつづき

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 by ぼそっと池井多

 

母が、

「わたしがいなければ、お前は生きていけないのよ」

と私に思いこませることによって、母自身が存在価値を感じようとしていたことは、前回「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<13>」に書かせていただいたとおりである。

 

そう教えこまれたので、私は意識の表層では、

「ぼくは、お母さまがいなければ生きていけないんだ」

と思いこみ、また、そう考えようとした。

そして、

「母がいなくなること」

をとことん恐れた。

 

母がいなくなる状態の最たるパターンが、母が死んでしまうことであったから、「母の死」というものが、私が世界でもっとも恐れる出来事となった。

どんなことであっても、「母の死」につながるかもしれないことは、"あってはならなかった"

だから母が、

「おなか痛い」

と呻いて、腹をかかえて倒れこめば、私のなかですぐさま「母の死」が連想されて、その状態を何とかしなければならないと私は焦るのだった。

しかも、私が5歳のときに、母の母、すなわち私の祖母が胃がんで亡くなっていたので、なおさら「おなか痛い」は死を連想させたのである。

 

ひきこもりの原因は、二代前までさかのぼる。

もし親が原因である場合、親が自分の親とどのような親子関係をむすんでいたかを考えなければ、今の子どものひきこもりのすべては読み解けない。

 

こうして私にとっては、どんなことであっても、「母の死」につながるかもしれない事象はあってはならなかった

あってはならないことは、ないことにしなければならない。

こうして、「母の死」につながるかもしれない事象を目撃したり体験したりするたびに、私はその事実をなかったことにする手続きを踏まなくてはならなかった。

この手続き一つ一つが、強迫の症状となった。

そのなかには、すでに「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<3>」で触れた書字障害もあれば、考えを打ち消すほど強く頭を振る人工脳震盪もあれば、就寝前の布団の上で眠気と戦いながら延々とおこなう就眠儀式もあった。

 

 

祖母と密着していた母

父方の祖父母、母方の祖父は、私が生まれる前に亡くなっている。

したがって、母方の祖母だけが私にとって文化人類学でいう「冗談関係」、すなわち二代前の甘えられる存在ということになる。

 

もともと私が横浜で生まれたときは、祖母の家の近くに私たち親子三人が住んでいた。

同じ界隈であった。

そのため、母は父と喧嘩するたびに祖母の家に帰っていたようである。

それだけ母の、母親に対する距離の近さがうかがわれる。

 

私が2歳のときに、父が千葉県柏市の工場へ転勤となった。

そこで私たち親子三人は、横浜の祖母の家の近くから柏市へ引っ越した。

 

母親に密着していた娘であった母は、生まれ育った横浜を離れるということで心細く感じたことだろう。

たかだか横浜と柏、神奈川県と千葉県で、同じ首都圏であり、交通の不便な当時でさえ4時間もあれば行ける距離だったが、すぐそばに母親がいない環境で生活するという体験は、当時27歳になっていたはずの母にとって生まれて初めてのことであった。

 

それでも祖母は、月に一回ぐらいは、京浜東北線常磐線を乗り継いで、柏市の畑のど真ん中に建っていた私たちの社宅団地にやってきた。

私たちも頻繁に横浜へ行った。

 

まだ電話は通じていなかったので、祖母は三日と空けずに葉書を送ってくれていた。

なかには私宛の葉書もあった。

たぶん私が好きだったのだろう、ケロヨンが描いてあった。

私は祖母にとって初孫であったのだ。

 

祖母の死は、私たちが横浜を離れてから3年後ということになる。

これで母にとっての「母の不在」は決定的なものとなった。

 

私の強迫神経症が始まったのは、この3年の間のどこかである。

なぜならば、私は当時通っていた幼稚園の行き帰りで、自分が強迫の症状を起こして苦しんでいたのをはっきりと憶えているからである。

 

母の愛着対象喪失と私の基底不安

母親に精神的に依存してた私の母が、母を喪失することにより世界にひとり投げ出されたように不安になり、その不安が育てられていた私に伝わって、私が強迫神経症になったとも考えられる。

 

そのことは裏返せば、母にとって夫、すなわち私の父の存在の小ささをも物語っている。

母にとって父は、生きていた母親である祖母に代わってこの世界で母自身を支えてくれる存在にはおそらく足りなかった。

そこに彼女の「腹いせ婚」の応報がにじみ出るのである。

 

もっとも、それだけですべてが説明できるとも思えない。

人の心は、つねにいくつもの要因が掛け算になってそこにたどりついている、というのが私の持論である。

 

先日、本ブログのコメンターである昼行灯さんが精神分析カレン・ホーナイ基底不安という概念を紹介してくれた。

私の言葉に置き換えると、基底不安とは、人間不信や対人緊張のおおもとになっている根源的な心の不安定さである。

それは母親から送られる敵意などから培われる、とホーナイはいうわけである。

 

もっともホーナイのいう基底不安と、フロイトの理論は矛盾しないと思う。

深入りせず、サラリとだけ触れておくと、

「不安とは、用途をはずれたリピドーである」

フロイトは言っている。

 

さて、たしかに私の母は、私という長男に敵意を持っていた。

けっして次男である弟には持たない敵意を。

 

「毒母は娘が持つものであって、息子には毒母はいない」

などと言っている専門家は、母と娘の競合関係に着目する。

母にとって娘は、女としてのライバルだから競合するし、敵意も持つ。

しかし、息子は同じ性別として競合することがないから敵意は生まれず、よって息子には毒母は存在しない、という理論である。

 

まったく嘘っぱちである。

理論などというものは、いくらでも作れる。

べつに本当でなくてもよい。論理的に矛盾がなければ理論として成り立つ。

そして専門家がいうと、それがいつのまにか「本当」になってしまうから恐ろしい。

 

いっぽうでは、同性の親とはホンネの話ができないから、息子は父と語れず、娘は母と語れない、などという俗説も嘘っぱちである。

もし母がいなかったら、私は父と何でも語れるだろう。

いっぽう、父がいようといまいと、私は母とはホンネの話ができない。

母と私は、深い渓谷の両岸に向かい合って屹立する岩の壁のようであり、しっかりガードを固めてリング上で対峙する二人のボクサーのようでもある。

 

私の母は、たしかに私に競合していた。

それゆえ私に敵意があった。

その敵意を受けて、私はホーナイのいう基底不安を培ったのである。

しかし、基底不安だけでは私の強迫の発症は説明しきれない。

 

子に関する情報集積場としての母

先に述べたように、母の母、すなわち私の祖母は、私が5歳のときに胃がんでなくなっていた。

当時はがんの痛みを緩和する医療ケアも今ほどには発達しておらず、さぞかし痛かっただろうと思われる。じっさい、母からのちにそのように聞いた。

ところが、私は祖母が胃の痛みにのたうちまわるような姿を見た記憶がない。

もしかしたら、幼い私にはそういう光景は隠されていたのかもしれない。

けれど、幼い私は、

「おばあちゃんは、"おなか痛い痛い" の病気になって、死んでしまった」

と理解していたのである。

 

それだけに母がいう、

「おなか痛い」

という地獄の底から絞り出したような声の呻きは、私の脳裡で「母の死」という想念にむすびつき、「母の死」によって生きていけなくなる私自身の死にもつながって、私の内的世界を震撼させたのである。

 

ところが、いま思い返すと、恐ろしいことに、どうやら母は、そのような私の連想をすべて把握していた。

つまり、そう言うと私が恐れるのを知って、支配の技法としてわざと言っていたきらいがあるのだ。

やはり母というのは、幼い子どもが何を欲し、何を恐れ、何を考えているか、いちばん知っている存在であると思う。

子どもに関する情報が、もっとも集積するのが母である。

 

しかし、世の中を見渡すと、どうやら一般的に母という存在は、そのように子どもから集めた子どもに関する情報を、子どもを安心させ育成するために使うものらしい。

それが「育てる」という行為であり、それゆえに母は「母」なのである。

この「母」は、「おふくろ」に言い換えることができる。

 

ところが私の母は、そのように私から収集した私に関する情報を、ひたすら私をおびやかし、恐れさせ、支配するために使った。

そのため、そのように抑圧し責めてくる存在を「母」というのだと私はいつしか認識するようになり、世の中に一般的に通用している「おふくろ=母」という概念を持たずに大きくなっていったわけである。

 

言い換えれば、世界でもっとも身近な他者である「母」の定義が、私と私以外の人ではちがうということだ。

これは、「母」は最初の他者であり、誰にとっても人は「母」から他者の世界が始まることを考えれば、

「世界の意味がちがう」

ということに等しい。

 

しかし、こんな私が唯一の例外的な人間であるはずはない。

私は基本的に、自分をそんなに特殊な存在だと思わないようにしている。

きっと、母が「母」でないような、私のような子どもは、……しかもそんな男の子は、日本のなかにも他にたくさんいたにちがいない。

けれど、あまりにも世界の成り立ちの根本がちがっているので声を挙げにくく、それゆえにLGBTQ+のように名前さえついていないマイノリティーとして潜在するにとどまっているのである。

 

このように、「母の死」というものが、私が心の表層では世界でもっとも恐れる出来事となり、しかもその母が、私という人間が生きようとするのを、もっとも近く根源的なところで阻害する存在であったために、「母の死」というものが同時に、私が心の深層では世界でもっとも願望する出来事となり、この矛盾と葛藤から、私は強迫神経症になっていった。

のちに、23歳のときに私が就職するときも、

「このまま立派な社会人になったら、母の思う壺だ。そうなることは、自分の人生を賭けてでも阻止しなければならない」

という無意識が働いて、会社の内定を断ってひきこもりになった。

これは一つの大きな逆説であり、葛藤であり、矛盾である。

 

 

ひきこもりを「社会の問題」とする逃避

強迫といった病気や、ひきこもりといった状態は、必ずやこのような何らかの葛藤や矛盾から生まれているものだと思う。

そうでなければ、本人にも「社会へ出ていかなければ」という気持ちがあり、親も「社会へ出ていけ」といっているのに「部屋」のなかに留まるといった現象は説明がつかない。

ここで「部屋」とカギカッコに入れたのは、社会の手前にある、象徴的な意味での部屋だからである。

 

ところが、そんな葛藤や矛盾を、ひきこもりとは縁がない人々がわかるように説明するには、たいへん長く複雑な説明を必要とする。

マスメディアは、たいていそのようなものを欲していない。

マスメディアは、いつも端的でわかりやすい説明を求めているからである。

そこで、ひきこもりを専門とするメディア人は、起こっている現象の表層だけを言葉でかっさらっていく。

すると、ひきこもりは「失業率の高さ」「雇用情勢の悪化」が原因で、「社会の問題」だという話にされてしまうのである。

深層に下りていく手間ひまを省いて、表層だけでひきこもりという現象を解釈すれば、必然的に「社会の問題」になる。

 

それこそフロイトは言ったものだ。

「人は、あまりにも早く、部分的な説明で満足してしまうものだ」

ひきこもりを「社会の問題」とする見方は、まさにフロイトのいう「部分的な説明」にあたるのである。

 

この部分的な説明を聞くと、

「それは大変だ」

ということになり、メディアやネット民が政府を突き上げ、政府は国民の税金を投入してひきこもり対策に乗り出す。

げんに菅首相はハッパをかけられて、

「ひきこもりは社会の問題」

と演説するようになった。

 

ひどいときには、親子関係から生み出された心理的葛藤は、政府の打ち出す経済政策によって解決しようという話になる。

しかし、政府が雇用対策を講じたり、公定歩合を上げ下げしたところで、親子間の関係は良くならず、ひきこもりも働く気にならないことは、なにもフロイト理論のような高度な知識を学ばなくても、ちょっと考えれば小学生でもわかるのではないか。

 

 

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