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やっぱり今日もひきこもる私(402)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<15>母は母を崇拝しているから、よけい怪しい

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・・・「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<14>」からのつづき

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 by ぼそっと池井多

 

東京のひきこもり、名古屋へ帰る<14>」では、母と祖母の密着の度合いについて書かせていただいた。

 

どうやら私は母の悪口ばかり書いているようだが、それに対して、私の母は、母の母である祖母の悪口を言ったことがなかった。

しかし今となっては、この「母の悪口を言ったことがなかった」という点が、逆に母という人のAC性というか、人格のおかしさというか、精神的な欠落や糊塗を物語っているように思うのである。

悪口を言わないどころではない。

母が、自分の母に関して口を開いた時は、まるで帰依している聖人を語るかのごとく、ほとんど崇拝している口調になっていたのである。

こういう「母自慢」を聞くと、私は、

「よけい怪しい」

と思うのだが、これは私の心根がひねくれているからであろうか。

 

以前、「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<4>」では、子どもの私がやるべきことを箇条書きにした、こんにちでいう「ToDoリスト」を書いていると、たちまち母がこのように叱りつけてきた、という話を書かせていただいた。

「なに? そんな紙っぴら一枚で、それがスケジュールだって言うつもり?

スケジュールっていうのはね、何時何分から何時何分までは何、何時何分から何時何分までは何、って決めてあるものよ。

時間も書いてないのがスケジュールなわけ、ないじゃない!」

 

じつは、この話には後半が省略されている。

このあと母は、自分が少女であった時代はどうだったかを語り、少年の私と比較して、私に説教をしながらうっとりと自己陶酔にただようのであった。

つまり、自分(母)はちゃんと分刻みでスケジュールを決め、それを実行していたということを自慢げに語るのだが、その話に出てくる母親(祖母)は、いつも理想化された崇高な母親像なのである。

 

たとえば、あるとき祖母は、小学校5年生で怠けている母に、叱ることなくこう言った、というのである。

「みっちゃん。べつにあなたがお勉強をしてもしなくても、お母さんは何も言いませんからね」

そして、祖母は部屋を出ていった。

これで自分(母)は偉いので、がぜん勉強することにした、というのが母の話の筋であった。

何でもかんでも自分の手柄や自慢話にしてしまう点において、私の母は精神科医齊藤學さいとうさとるとよく似ている。

 

怠け者なのではなく病症

母による祖母の思い出話には、子どもの可能性を信じるやさしい母親と、母親の期待を裏切らない賢い娘だけが登場した。

そして、そうした自慢話は、いつも目の前にいる長男である私を眺め下ろすかのように、

「それに引き換え、お前はなんて怠け者の子なんだろう」

という結末に落ちついていったのである。

 

しかし、私は怠惰だったというよりも、あまりに精神的に抑圧されすぎて、頭のキャパシティーが満杯となり、それ以上のことに手をつけられない状態だったのにすぎない。

学校へ行けば、いじめられる。

家へ帰ってくれば、しぼられる。

学校と家のあいだはたった徒歩4分で、しかもその全道程が母の立つ台所の窓から監視されている。

生活のどこにも息抜きをしたり、自分を取り戻す空間もなければ、時間もなかった。

どんなスポンジでも水を沁みこませつづければ、やがてそれ以上の水を受けつけず、吸いこまずにこぼれてしまうようになる。

また、どんなバネでもずっと伸ばしていけば、やがて元に戻らなくなってしまう。

そのような限界点を、子どもであった私の精神はとっくに超えていた。

 

赤信号が、強迫症状となって私の生活のあちこちから出ていた。

書字障害はもとより、人工脳震盪のうしんとうといって、頭のなかの「あってはならない」想念を掻き消すために、頭を強く振って人工的に軽い脳震盪を起こさせ、意識が薄らぐのをもって不吉な想念が「なかったことになる」という強迫症状による儀式などは、あまりに動きが大きいために、そばにいる人々が気づかないわけがない。

 

私が小学校5-6年で「低能児」といじめられた発端は、「東京のひきこもり、名古屋へ帰る<3>」に書かせていただいたとおり4年2組の女性担任が原因だった。

しかし、それで私につけられた「低能児」というレッテルがいつまでも消えなかったのは、クラスメイトたちもときどき私が思い切り頭を強く振り始めるという奇矯な行動を取るのを目撃していたので、

「やっぱり、あの子おかしい」

という印象を私に持ち続けたことが原因としてあると思われる。

小学校5、6年生の児童たちに、心の病気に苦しみ奇矯な行動を起こしていることと、「低能児」ゆえに他の子どもたちと行動がちがうことの、区別などつくはずもない。

つまり、私は障害児がいじめの標的になるケースだったわけである。

 

もちろん母も、そのような私の行動異常にいち早く気づいていた。

母は「強迫」という語は知ってか知らずか使うことはなく、私の行動異常を「チック」と呼んでいたが、チック症状だと認めた時点で、少なくとも母も私が病気になっていたとはいちおう認識していたわけだ。

 

ところが母は、「病気だから治しましょう」という発想は持たなかった。

精神医療を忌避していたからかもしれない。

また、もし精神科へ連れていって、精神科医に、

「お母さん、あなたが原因です」

と言われたらどうしよう、と思い、それが恐ろしかったからかもしれない。

 

ともかく私がそういう強迫症状を出すたびに、母は、

「やめなさい! そんなことは、やめなさい」

と叱りつけるだけであった。

「やめなさい」と言われてやめられるくらいなら、こんな苦しい症状を、病人も出すことがないのである。

ところが、母はひたすら私が症状を出すのを「やめなさい!」と叱るだけであった。

そして、勉強なり何なり、母が言われたとおりに私が行動しないことを。相変わらず怠惰のせいだと言いつづけたのである。

 

管理する母親としての祖母

母は、私が生まれる前のことを、ほとんど私に語らなかった。

それは、ある程度まで理解できないでもない。

私は結婚という社会的慣習をおこなったことがないし、おそらくこれからもないだろうが、もし結婚をして子どもを持つようになったら、家庭の平穏を考えて、子どもの前でその結婚相手の前につきあった女性たちのことは語らないようにするだろうと想像する。

母にとっての父とのなれそめも、祖母の思い出も、必然的に私が生まれる前の話となるので、母はできるだけ秘密にしていたのだろう。

しかし、ときどきそうした秘密主義のすき間からこぼれ落ちるように出てくる思い出話があった。

上述の話などは、まさに母が予定表どおりに生きていたということを自慢する勢いで「出てきてしまった」祖母の思い出話だったのだろう。

 

もう一つ祖母に関して、今の私にとって途轍もなく重要な話が、おそらく「図らずも」母の口から洩れたことがある。

あれは従姉妹の結婚式のときのことであったか。

母は、自分の結婚式のときを思い出して、宴席で浮かれた気分で話し始めたのである。

それによると、母と父の結婚式は和式で、母は文金高島田ぶんきんたかしまだの髪に角隠しをつけ、三々九度の盃をいただいたようであった。

そのときに、祖母は母の真後ろに座っていて、盃をいただく母の耳元で、

「みっちゃん! そのくらいにしておきなさい。

あなた飲めないんだから。

もうそこでやめておきなさい!」

と小声で叱咤しつづけたというのである。

 

たしかに、母は飲んでもビール一杯程度で、あまり酒を飲まない人であった。

そして酒を飲む女性を軽蔑していた。

だから、結婚した当時23歳になっていた母は、自分が酒を飲みなれないことぐらい大人としてすでに知っており、放っておいても三々九度の盃をがぶ飲みするようなことはしなかっただろうと思う。

ところが、そのように娘を信じて任せることができず、祖母は盃をかたむける母の後ろから耳元で、小声で叫び続けたのである。

 

そこに、私はかねてから探し求めていた重大な遺跡を発見する思いであった。

まるで考古学者がたった一つの貝塚の発見から通説をくつがえす歴史学的事実を提唱するように、私はそこに私の仮説を裏づける貴重なエビデンスを見てとったのである。

すなわち、それまで母が語る祖母の像は、先の予定表にまつわるエピソードのように、干渉などしない、放任主義の、やさしく理想的な母親であった。

しかし、それでは母の私に対する、病的といってもよい悪質な過干渉の行動パターンを、母はどこから習得したのだろうか。

祖母にそういう傾向はなかったのだろうか。

放任主義のやさしい母親というのは、母による母親の美化によって歪められた偶像に他ならないのではないか。

そのような仮説を、その小さなエピソードは一気に実証してくれた思いがした。

すなわち、祖母もまた、三々九度の真っ最中に後ろから「飲むな、飲むな」と叱咤するくらい過干渉な母親だったということを、母自身が証言してくれたのだ。

母が祖母を、そのように母親として理想化しているということは、まかりまちがっても毒母であったとは疑っておらず、逆にその疑いを払拭するために、なおさら理想化しているのだとも考えられるのである。

 

ふつうの娘は、母親をクソグソに言うことがないとしても、そこまで聖母のように崇拝していることはない。

母親を崇拝しているように語るということは、

「良い所もあれば悪い所もあった」

というように、崇拝以外の生々しい人間的で自然な客観の目を母親に向けることを避け、何かの理由によって母親のありのままの姿を感じることを否認している証拠である。

 

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