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やっぱり今日もひきこもる私(404)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<16>配食の独占 ~ 男子厨房に入らず

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鳥の配食 Photo by PhotoAC

 

by ぼそっと池井多

 

配食を独占する母

「男子、厨房ちゅうぼうに入らず」

という成語がある。 

 

もともとは『孟子』の

「君子、庖厨ほうちゅうを遠ざくる也」

から来ており、

「君主は、あまりに人民の暮らしの末端まで見てしまうと感情がゆらぎ、為政者として冷静な判断が下せなくなる」

という意味であったのだが、日本に入ってきて、

「台所仕事など下賤な仕事は女にやらせておけばよいのであって、男がやるものではない」

という意味に使われるようになり、ひいてはフェミニストたちが男性を攻撃するために使うフレーズともなっている。

 

そして、

「男子、厨房に入らず」

といった家風の家で育った男どもは、どうしようもないセクシストであるから、好きなように攻撃批判してよいのだ、と考えられている気がする。

 

「私の原家族では『男子、厨房に入らず』でした」

などと私が書くと、もしかしたら暴力フェミニスト連中(*1)がたちまち「しめた!」とばかり大喜びをし、

「ほらみろ。ついに馬脚を現わしたな。だから、ぼそっと池井多はつるし上げなくちゃならないのだ」

などとツイートし始めるかもしれない。

しかし、そのリスクを承知しても言わなくてはならないことは、じっさい私は母の司る台所に入ることは許されなかったのである。

 

 

ようやく「お母さん食堂」と出会う

家族が果たす役割の一つに配食がある。

家族の者、とくに子どもたちに「ごはんを食べさせる」という仕事である。

鳥のような下等動物でさえ、親鳥が餌を運んできて、巣で待っている雛に食べさせる。それほどまでに、配食は家族の基本的な機能である。

そして、今はどうだかわからないが、私が子どものころは、一家のなかで子どもに「ごはんを食べさせる」のは母親の仕事とされていた。

私の母は、その役割を頑固なまでに死守していたのだとも見える。

ビタ一文もゆずらない「お母さん食堂」だったのである。

 

現在、自炊で暮らしている私は、そこらじゅうにコンビニが見つかる東京郊外に暮らしているわりには、ほとんどコンビニのなかへ入る機会がない。

食糧品はもっぱら格安スーパーの値引きタイムで買うものであって、割高のものしか売っていないコンビニには用がないのである。

そのため、今年の初めあたり、ファミリーマートの「お母さん食堂」が問題になっていると聞いても、さっぱりイメージが湧かなかった。

それが今回、名古屋でしばらく暮らしたときに、自炊はできない、緊急事態宣言で飲み屋はやっていない、ということで食糧調達はもっぱらコンビニ頼りとなり、ようやく私も「お母さん食堂」シリーズを食べる機会に恵まれた。

「なるほど、このことか」

高校生たちが名称変更を求めて、署名運動を起こしたブランドである。

 

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高校生らが訴えていることを要約すると、大手企業が全国で展開する商品名には影響力があり、性的役割分担の考え方をそのまま再生産することにつながってしまいかねず、それを見た子どもたちが「お父さんは仕事、お母さんは家事」の意識を内面化することに危機感を覚える、ということだろう。

説明の中では、数字によるエビデンスも挙げられている。たとえば、小学校5〜6年の女子と男子では、料理の手伝いを「いつもしている」「時々している」と回答した割合が、女子(76%)男子(53%)で差があるという調査(独立行政法人国立青少年教育振興機構による「青少年の体験活動等に関する意識調査」平成28年度調査)が引用されている。(*2)

 

*2.ファミマ「お母さん食堂」抗議、高校生の声を封じ込める感情的な大人たち

ダイヤモンドオンライン 2021.01.08 太字部は引用者による

 

もし「お母さん食堂」の名称を変更するとなると、洗剤の「ママレモン」はどうする、「カントリーマム」というクッキーもあったな、という話が芋づる式に出てくるだろう。

説明に引用された「女子76%, 男子53%」という数字は、小学校5-6年生で料理の手伝いなどとうていやらせてもらえなかった私の家の実態から考えても、納得のできるものではあった。

 

しかし、しょせん数字は起こっていることの表面しか語らない。

私は台所仕事を「しなかった」のではなく、「やらせてもらえなかった」のである。

 

「お母さん食堂」という状態が、女性の「奴隷化」された結果だとは、少なくとも池井多家の場合はどうしても思えなかった。

塾をやっていた母は、その方面の仕事で忙しかったから、家庭の中のこと、とくに食事の支度までする必要はないと、母以外の誰もが思っていた。

つまり、父と私と弟である。

 

それは母のためでもあったが、私たちのためでもあった。

母が台所仕事をやると、どうしても一家の生活時間帯が遅くなる。

塾をやっている母の生徒が帰宅してから夕飯の準備が始められるので、家族の夕飯は真夜中になる。

それで夜半過ぎに就寝すると、翌日、学校へ行っている昼間に睡眠をとるしかない。

学校は、私にとって寝る場所だった。

 

私が学校で寝ている、というのは学校のなかでは有名な話だった。

中学3年生のときのクラス文集は、表紙に教壇から見た私たち生徒の似顔絵が座席通りに描かれているのだが、私の顔だけ黒く塗りつぶされている。

それは、私はいつ見てもうつ伏して眠っていたので、教師からは私の顔は見えず、頭頂しか見えなかった、ということを語っているのだ。

いまではすっかり髪がうすくなった私の頭頂部は、当時はまだ黒々としていたのである。

 

父も、きっと会社が寝る場所だったのにちがいない。

もっとも父は営業職だったから、

「それじゃあ、外回りに行ってきます」

とか何とかいって会社を抜け出し、どこかで昼寝できる場所を知っていたのかもしれない。

そうでもしなければ、身体がもたなかったはずだ。

「会社に勤めていたころ、睡眠はどうしていたの?」

ということも、父と対話できたら訊きたかった質問の一つである。

 

もし母が「お母さん食堂」を独占運営しなければ、私たちは毎日もっと早く夕飯が食べられた。

そうすれば、私も学校で寝なかったかもしれない。

 

そういう事情があったので、父も私も、台所仕事をやるのが母ではなくなればいいのに、という希望を持っていた。

父も私も、何度も「台所仕事を替わろう」といったことをおそるおそる母に申し出た。

しかし、そのたびに母の機嫌がものすごく悪くなり、家庭内紛争の種がまた一つ増えたものだから、私たちは次第に言わないようになっていったのだ。

 

それでいて母は、 毎日食事をつくり、私たちに食事を出すときに、

「お母さんがいなければ、あんたたちは食事ひとつ作れないんだから!」

と私たちに恨みがましい言葉をぶつけてきた。

すると、そうした罵言によって、まるで私たちが母に台所仕事をやらせているかのような構図になった。

そして、そんなふうに怒鳴られ、恩を着せられながら囲んでいる食卓は、私たちにとってけっして楽しい時間ではなかった。

 

もしかしたら、母はそのように私たちに恨みをぶつけ、私たちに怒鳴り散らす口実を手放したくないから、どんなに塾の仕事が忙しくても、台所仕事を独りで背負いこみ、私たちに分担させなかったのではないか、と思う。

そのように怒鳴り散らしているかぎり、母は私や父より優位に立てたからである。

おそらくそのことが、母にとっていちばん重要であった。

 

こうして池井多家においては、

「食事は母がつくるもの」

「男子厨房ちゅうぼうに入らず」

という不文律が定着していたのだった。

 

 

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