VOSOT ぼそっとプロジェクト

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やっぱり今日もひきこもる私(405)小山田圭吾事件と2月のネット暴力事件

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写真・ぼそっと池井多


 

やっぱり今日もひきこもる私(403)」からのつづき・・・

vosot.hatenablog.com

 

by ぼそっと池井多

 

7月24日に掲載した「小山田圭吾は私たちのまわりにたくさんいる」には、コメントを寄せてくださった方々をはじめ、多くの方から反響をいただいた。

まことにありがとうございました。

コメンターの皆さんは、ある意味で私よりも端的に状況をまとめておられるので、たいへん勉強になった。

なかでも目玉は、事件の現場である2月7日の庵-IORI- で私のテーブルにいた方がコメントを寄せてくださり、証言してくれたことである。

まずは、そのコメントからご紹介させていただく。

例のごとく、改行、読点、太字など些細な点において編集をほどこしている。

 

困りびと

もう傍観していられなくなりました。

私はあの場所にいた者です。

つまり2月の庵のぼそっとさんのテーブルにいた者です。

 

炎上事件の推移を見ていてつくづく感じるのは、あの場にいたわけではない人たちが推測を断定する形で怒っているということです。

要はあの場で起こった事実と違うことを広めているということです。

 

あの場で男性ひきこもり当事者が発言した内容の真意は、あの場にいた者であれば性暴力でなかったことは明らかに分かることです。

 

男性ひきこもり当事者は、女性の自由意志を踏みにじってでも男性当事者に「あてがえ」とは一言も言っていないのです。

「もし男性ひきこもり当事者を助けたいと思っている女性がいたとしたら」

という仮定の話でした。男性ひきこもり当事者を助けたいと思う女性が一人もいなかったら、あの話は先へ一歩も進まないのです。女性の自由意志があっての話なのでした。

 

男性ひきこもり当事者と関わりたくない女性を無理やり強制連行して性行為させろなんて一言も言ってはいませんでした。

私の推測では、「あてがう」という単語を拡大解釈したんだろうと思います。

「あてがう」という単語の中に、女性の自由意志を踏みにじって強制連行してもいいという意味を汲み取ったんだろうと思います。

 

 

ぼそっと池井多

困りびとさま コメントをどうもありがとうございます。 

あの場にじっさいに居た方が、このように証言してくださることは、たいへんありがたいです。

あなたの証言によって、すべてはおがたけの歪曲から始まったことが証明できます

 

まことにおっしゃるとおりで、件の発言者であった男性ひきこもりの方は、おがたけやひらのしょういちが吹聴し拡散しているようなことはひと言も言っていないのです。

 

はじめに「ぼそっと池井多を攻撃しよう」という意図があり、それに合わせて理由をあとから作っていったために、「あてがう」という語を故意に曲解したものと思われます。

 

 

beni5288

事実は事実として淡々と発信し続けるのがいいのかもしれませんね。

あの時ファシリテーターのぼそっとさんが負う責任は、場の参加者の発言する権利を守ることであって、発言の内容に責任を負うのは発言者自身なのですよね。

それが自由に発言することの条件のはずです。

 

どこまでなら許されるのかという議論はあってしかるべきですが、

「タブーがなく何についても話すことができる場」

である以上、参加者自身も自分の思想信条と相容れない意見を聞く覚悟が必要なのではと思います。

 

実際、発言者の男性と反対意見を出された女性の考えは相容れないものでしたが、それ以上の進展は何もなく、参加者全員が多様な意見を持ち帰ったということで、流れとしてはあれでよかったと思います。

 

それと、ぼそっとさんの過去の記事から察するに男女交際は肉欲より心的交流を求めるタイプでしょうから、ぼそっとさん個人としても内容そのものについては考えが相容れなかったのではないでしょうか。なので、二重の意味でぼそっとさんへの批判意見が的外れなように私には見受けられました。

 

 

ぼそっと池井多

beni5288さま コメントをどうもありがとうございます。

まことにおっしゃるとおりです。

ようするに「言論の自由」という基本の基本がわかっていない者たちが、「性被害」「ジェンダー」「人権」といった正義の記号を借りてきて暴力をふるっているだけなのだと思います。

 

首謀者たちは「何でも発言できる場」という庵-IORI- の前提を勝手に無視して、自分たちと異なる意見は排除しようとしています。それ自体、とんでもない人権侵害であるわけですが、自分たちが人権擁護という旗さえ振っていれば、どんな暴力も、どんな人権侵害も許されると思っているのでしょう。

そんな人たちのいう「人権」という概念は信じることができません。

 

ちょうど、太平洋戦争のころに軍国主義者たちが「お国のためだ」と叫べば、どんな暴虐も許されると思っていたのと同じく、彼ら彼女らは「ジェンダー平等」「人権擁護」と叫んでいるのです。

 

また「二重の意味で」私への批判が的はずれだというのも、まったくそのとおりだと思います。

彼らはまず初めに「ぼそっと池井多を叩こう」という目的があり、叩く理由はあとから見つけてくるものだから、結果的に私への批判として的を射ていないものになっています。その論理のほころびを、さらなる屁理屈でカバーしようとしています。

 

昼行灯 

私は、小山田圭吾を集中攻撃する、芸能人そしてごく普通の人のメンタリティの方が、問題視するべきだと思います。

今回、集中攻撃している人たちは、いじめの被害経験のあった者よりも、むしろいじめ加害者であった者の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

自分が、過去に、他人をいじめたことを忘れ、正義面して、小山田圭吾を批判する。彼らにそんな資格があるのか、はなはだ疑問です。

 

2月の炎上事件については、私は、ぼそっとさんと見解が異なるのでお許しください。

「ひきこもりだって、恋愛したい、セックスしてみたい」

こういったものは、ひきこもり当事者のみならず、恋愛弱者男性の切実な心の叫びだと思います。

残念ながら、女性の人権が必要以上に擁護されている現代の風潮にあっては、こうしたことを議論することは、極めて、リスクを伴います。

必ず、フェミニズムジェンダー平等の思想と抵触する意見が出てくると思います。2月炎上事件の加害者になり得る人たちは、まだまだ潜在的に存在し得ると思います。

 

ぼそっと池井多

昼行灯さま コメントをどうもありがとうございます。

 

小山田圭吾を集中攻撃している人々のなかで、じつは自分はいじめ加害者であるというような人はたくさんいるでしょうね。中世の魔女狩りと同じように、そのとき指弾する側に回らないと、自分が魔女である疑いをかけられると恐れて、集中攻撃に加わっているのでしょう。

 

かくいう私も、いじめまで行かなくても、しょっちゅう私の過激な言動で多くの人を不快に陥れています。そういうことは自覚したうえで、なおも小山田圭吾の問題は本記事のように考えている、ということを申し添えておきます。

 

フェミニズムが「体制」となり「権力」となった今日では、男性ひきこもりが

「ひきこもりだって恋愛したい、セックスしてみたい」

ということ自体、すでに危険であるということは私も認識しています。

それはちょうど太平洋戦争の最中に、民主主義や共産主義について語るようなリスクがあります。

 

しかし、私たちはできるだけ権力や体制にに刃向かう必要もあるのではないでしょうか。さらに、正義の仮面をかぶった不正義など、偽善的な権力に対してはなおさらそうです。

 

私は真のジェンダー平等を願うがゆえに、昨今の暴力フェミニストたちには抵抗します。

そして、イデオロギーやポリコレに縛られることなく、女性も男性も人間らしい自然な真実を語り、対話ができる場を確保したいと思っています。それがたとえば、31日にもおこなう「オンライン対話会」だったりします。

 

OG

今日は小山田氏の件についてぼそっとさんの考えを知りたいと思っていましたがご自身のネット暴力被害についての話がメインでしたね。もちろんぼそっとさんのブログなので私が不満を言う筋合いのものではありませんが。

ただ、タイトルも「小山田圭吾は私たちのまわりにたくさんいる」ということで小山田氏とぼそっとさんを攻撃してきた人間を同列に扱うような表現は彼ら彼女らに火に油を注ぐことになりはしないかと危惧します。

小山田氏の行為は鬼畜の所業としか思えず、しかも10年以上経って少なくとも年齢的には立派な大人なってから当時のことを面白おかしく雑誌のインタビューで話すというのはこの人は人の痛みが全く想像できないサイコパスかもしれないと寒気がしました(他にも雑誌で末期がん患者が亡くなったことを楽しげに話しています)。

ぼそっとさんを攻撃した人達ももちろん悪質ですが、自分達が正義のつもりでブログの文章を曲解して糾弾しているものだと思います(繰り返しますが本当に悪質です)。

小山田氏の場合は、おそらく何の抵抗もできなかった弱者への徹底した虐待行為で悪質さのタイプが違うもので一緒に並べて語ることには私は違和感を覚えるのです。

 

ぼそっと池井多

OGさま コメントをどうもありがとうございます。

小山田圭吾とその仲間たちから障害者の方が受けたいじめ被害と、私がおがたけやひらのしょういちたちから受けたいじめ被害が同列に語れないことは私は重々承知しております。

 

本記事にも書いたように、前者である方々の受けたいじめは、自分の排泄物を食べさせられるなど、「魂の殺人」というほどひどいものでした。そこへ持ってくると、私はしょせん帯状疱疹が体中にできて、皮膚科通いをしているだけで済んでいます。ちょろいものです。

前者の方々の怒り、悔しさ、無念は、私のような者が想像するだけではとうてい足らないほど大きなものであることでしょう。

 

しかし一方では、小山田圭吾の辞任によって、ここ半年近く私のなかで抑圧していた、2月のネット暴力事件に対する怒りが掘り起こされて、はっきりと形を取り始めたという内的事実が私のなかにあるのもまた確かなことなのです。

 

OGさんもそういうことはありませんか。連想の力と申しますか。

 

たとえば私は、本ブログにも書かせていただいているように、6月に名古屋へ行き、昔住んでいた界隈を訪ねたことから、いじめられていた小学校時代の記憶がいっせいによみがえってきて、ずっと頭のなかを占領しました。

それと同じように、小山田圭吾の事件を見てから私は、おがたけやひらのしょういちやいじめ集団に加わった一人ひとりのことが頭のなかに犇めくようになったのです。

 

繰り返しますが、たしかに「同列」に考えることはできない。

しかし、一つの事件を皮切りに、押しこめていた記憶が噴出することはある。

それで書かせていただいているという次第です。

ご理解いただけば幸いです。

 


 7月27日14:00 追記

beni5288

あの場であったアクションは以下の五つだったと記憶してます。事実関係の正確さを補うため記載しておきます。

 

①発言者の男性
②反対意見を発言された女性
③あきれ顔で一言発言された男性
④チャット欄に抗議のコメントを一言書かれた女性
⑤チャット欄に勇気をもって発言したことを労うコメントを書かれた男性

 

私としてはあの発言の内容について様々な方が意見を述べるのは全く構わないと考えます、発言者の男性も批判を覚悟の上で記事の掲載を望まれたのでしょうから。大事なのは彼がそれらを読んで何を考え何を学ぶかです。

ただし、事実無根の誹謗中傷やイデオロギーの押し付けは無視していいと考えます。

 


 7月28日14:30 追記

ゴギョウ

私もあの場にいた者として再度証言させて頂きますが、
発言者の方は問題発言と取られないように、
事前に「誇張表現を使って答える」という事を示す発言をしていました。


なので、私にはその後の発言もその様に聞こえましたし、
その上で意見に込められている苦しみにも共感もしました。

 

寧ろ、方法として地域支援に疑問を呈するのに有効だとさえ思いました。
困りびとさんが言われている通り発言者は、
女性の自由意志を踏みにじってでも男性当事者に「あてがえ」とは
一言も言っていないのです。


人権侵害の意図などないというのはその場にいた者なら分かる事です。
反対意見などが続いた時は誤解されている。少し論点がずれてきていると思いましたし本来、庵-IORI- という場はそういった意見が貴重だと思うのでチャットにて発言を擁護させて頂きました。

 

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