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やっぱり今日もひきこもる私(423)東京のひきこもり、北海道へ向かう<14>網走で考えるひきこもり支援とのねじれの関係

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東京はじめ本州が35度の酷暑にうだるころ、
北海道の標高が高いところではすでに紅葉が始まっていた。
写真・ぼそっと池井多

by ぼそっと池井多

 

旭川から網走へ向かって東に延びる石北本線は、明治政府が網走刑務所の囚人たちの労働力を駆使して、大急ぎで開削したルートである。

車の道では、国道39号線にあたる。

国際社会にデビューしたばかりの明治日本には、まずは北からロシアの南下が迫っていた。

北方の警備を固めるため、オホーツク海岸に軍兵がたどりつけるルートを確保しなければならなかったのだ。

現在も石北本線は、北見峠を越えるあたりは難所となっている。


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網走の町。写真・ぼそっと池井多


網走は、さびれた港町であった。

Aさんとは、町の中心に一本通っている商店街にある公立の居場所「まちカフェ」で待ち合わせている。

Aさんと知り合ったきっかけは、前回「やっぱり今日もひきこもる私(422)」に述べたとおりである。

 

商店街といっても、ほとんどの店は閉まっていた。

コロナ禍のため閉めている店は、貼り紙を出しているから、それとわかる。

そうではない店は、コロナ禍の前から閉まっているわけであり、ようするに日本の地方都市におなじみのシャッター商店街なのだ。

現在の網走市の人口は、約3万6千人。

バブルの時代に比べると、2割近くも減少したという。

 

町ぜんたいを家畜の糞のにおいと、ウミネコの啼き声がふんわりと包んでいる。

ビルといえばホテルや金融機関など数えるほどしかなく、あとは昭和の時代から建っていると思われる商家が点在している。

昔はびっしりと家々が建っていたのだろうが、取り壊され、駐車場になったスペースが多いので、点在しているように見えるのだ。

商店は、私のように余所から来るものにとっては、懐かしさを誘う店構えばかりである。

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町の書店。

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昔なつかしい青と白と赤の縞模様が回る床屋さん。今では都市部ではヘアサロンか1000円カットぐらいしか見なくなった。

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ビジネスホテル。その名の通り家族営業なのだろう。

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パチンコ屋。閉店している。


しかし、こういった街景に郷愁を感じるのは、その土地に住んでいない余所者の勝手な感傷にすぎないのかもしれない。

実際にそこで生活している人々にとっては、これは地方の衰退といった生々しい現実以外の何物でもないことが考えられる。

 

 

行政のひきこもり支援に期待できない理由

やがてAさんがやってきた。

「まちカフェ」のなかでは、高校生が4、5人固まって勉強しているため、落ち着いて話せなかった。

私たちはどこか他へ場所を移ることにした。

東京であれば、こういうときはすぐにカフェやファーストフード店を見つけるわけだが、見渡す限りそういう店はない。

するとAさんが、網走市内から知床半島へ向かう国道沿いに「道の駅」があるので、そこへ行きましょう、という。

それは良い案だ。

 

「道の駅」の売店で紙コップの熱いコーヒーを買い、案内されるままに裏手へ回ると、そこには屋外にテラスがあって、自由に使えるテーブルと椅子が置いてあった。

目の前は、網走川オホーツク海に流れこむ地点、網走港となっている。

付近には他に誰もいない。

こんなところで「ソーシャルディスタンス」というのもなにやら空々しく響くが、ともかく間隔はたっぷり取れる。

気温は暑くもなく寒くもなく、海風が吹きつけてくる。

じっくりとお話を聴くには最高のロケーションであった。

 

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左手前が網走川上流。網走港に見える丸い岩は帽子岩と呼ばれ、古くはアイヌ語で「カヌイワタラ」(神岩)とされ、網走の地名の発祥になったといわれている。

Aさんは、行政によるひきこもり支援は利用していなかった。

「何かちがう」

と感じて、期待できないのだという。

これはAさんのみならず、全国の他の地方のひきこもり当事者たちに広く共通する感覚のようにも思われる。

 

たとえば、Aさんと待ち合わせた「まちカフェ」には、行政によるひきこもり支援のチラシが置いてあった。

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網走市「まちカフェ」に置いてあったひきこもり関連のチラシ

 

下は石北本線で網走へやってくる途中、北見駅に貼ってあったポスターである。

 

 

 

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北見市網走市は同じオホーツク総合振興局(旧・網走支庁)のなかの都市で、北海道のスケールからいえば距離的にも近い。

にもかかわらず、サポステのポスターはそれぞれの自治体が別個にオリジナルで作っているのである。

労力的にも、費用的にも、それだけ注ぎこんでいるということだ。

また、網走市の近くにある津別町では、2016年から福祉相談所「ぽっと」を設置し、地域ぐるみでの高齢化したひきこもり支援に取り組んでいるという。

 

行政は、国を挙げてひきこもり支援に乗り出しているように見える。

そして、

「働きたくない人には強制的に就労支援しない。働きたい人だけを対象とする」

という主旨を打ち出しながら、サポステによる就労移行支援と、社協による生活相談支援の二本立てで支援をおこなうという体制が、こうして地方の隅々まで行き渡っているようである。

 

しかし、Aさんをはじめ、多くのひきこもり当事者は、

「何かちがう」

と感じている。

なぜか。

えてしてひきこもり当事者は、たとえ就労支援や相談を求めている場合であっても、行政が供給している就労支援や相談を求めているわけではないのだ。

 

それでは、なぜ行政によるひきこもり支援に当事者は期待できないのだろうか。

Aさんのことは、今はまだ詳しく書けないのだが、Aさんのお話をうかがっているうちに、私は中学校の数学で習った「ねじれの位置」という概念が頭に思い浮かんだのであった。

 

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ふつう、一つの方向にむかう直線と、もう一つの直線は、平行線でなければ必ずどこかで交わる。

しかし、それは二つの直線が同じ平面に乗っかっているときの話である。

そして、ひきこもり支援に関しては、二つの直線は一つの平面に乗っかっているものと、さしたる根拠もなく当たり前のように多くの関係者は考えている。

 

実際はそうではないのだ。

ここにボタンの掛け違いが始まる。

二本が立体交差のようになっていれば、接点も交点も持つことができない。

これを「ねじれの位置」というわけである。

 

「支援者による支援」という直線と、「当事者の支援へのニーズ」という直線が乗っているのは、別々の平面なのだ。

その別々の平面とは、私が先月7月1日にひきポスに書かせていただいた「『地域で支えるひきこもり』を考える 第4回 ひきこもりと地域福祉」という記事のなかで述べた「支援者のディスクール」「当事者のディスクール」に相当するように思われる。

 

 

 メディアは、

「行政は何をやっているんだ」

と行政を突き上げる。

 

だから行政は何とかしようとする。

行政の人々も、怠けている公務員ばかりではない。

「いったいひきこもり支援は、どうしたらいいだろう」

と日夜考えているまじめな方もいる。

そこで、チラシを刷ったり、窓口を増やしたり、当事者の所在を見つけるとたちまち個別訪問アウトリーチしたり、と懸命である。

ところが、チラシはそんなに捌けるものではないし、窓口を増やしてもそれに比例して当事者が来るようになるわけではないし、個別訪問は当事者にはたいてい嫌がられるばかりなのである。

こうして行政のまじめな方々も、何をやればよいかわからず、空回りするようになる。

すると、それは外部からは「何もしていない」ように見え、ふたたびメディアなどから突き上げられるのである。

そういう悪循環が生じているように思われてならない。

 

もちろん、はじめから熱意のない自治体、やる気のない公務員も多い。

ここも同じように「何もしていない」ように見える。

それは仕方がない。

私が考える対象としているのは、何とかしようと懸命になっている自治体だ。

 

当事者団体からは、

「支援の種類が少ない。もっといろいろな支援の選択肢を作ってほしい」

という要求が出ている。

しかし、行政から当事者団体に、

「それでは、具体的にどのような支援の選択肢を新設してほしいか」

と質問すると、それにはあまり具体的で現実的な答えは返ってこないという。

結局、「もっといろいろな選択肢を」という提言も、行政を「突き上げる」作用しか持たない現状となってしまっているように思う。

 

私は思う。

「支援者による支援の供給」と「当事者による支援の需要」がねじれの位置にあり、交点や接点を持たない以上、もっとも接近した地点をむすんでバイパスをつくるしかないのではないか、と。

ここに、私が申し上げている「行政による当事者活動の後方支援」があてはまる。

 

今回、私を北海道にお招きいただいた札幌市とレター・ポスト・フレンド相談ネットワークさんは、そういった意味で充実した活動をやっていらっしゃると思う。

私が、一人のひきこもり当事者として、親御さんたちに語りかける機会を、行政がご当地の当事者団体を通じて作ってくださっているからである。

 

もし私が行政の方から、

「もっとどういう支援があったらよいと思いますか」

と質問されたならば、私は、

ひきこもり親子 公開対論(次回からは「クロストーク」)のような機会を増やして、家庭内のコミュニケーションの停滞を改善できる空気を社会的につくっていくのはどうでしょうか」

とお答えするだろう。

そういうお呼びがかかれば、私はどこへでも出かけていく。

 

しかし、何をしようとも、これを実施すれば一発で管内のひきこもり問題が解決する「秘策」や「特効薬」のようなものはない。

私もせいぜい参加してくださった方々の親子の対話のきっかけを提案するしかできない。

それでも何もしないよりマシだし、空回りしているよりマシではあるが、小さな小さなきっかけにすぎないのである。

 

……。

……。

 

網走港の海風に吹かれながら、太陽が北見山地の稜線にかたむくまで、Aさんは自分の状況を語ってくれた。

それは、いくつもの要因が複雑にからみあった、さぞ苦しかろうと思われる状況であった。

私はお聞きしながら、からみ合った糸を解きほぐすように短い言葉をはさむことはあったが、Aさんの問題を解決して差し上げるような能力など、残念ながら私はとうてい持ち合わせていない。

 

「いや、いいんです。ぼそっとさんに聞いてもらっただけで、すっきりしました。

ちょっと整理できた気がします。

こういう話ができる人は、周りにいないので」

 

「そう言っていただけると、私も網走まで来た甲斐があったというものです。

誰かにじっくり話してみるって、けっこう重要ですよね。

私こそ、私が知らない世界のお話を聞かせてくださって、どうもありがとうございました」

 

こういう話を、Aさんが身近な行政の窓口で話し、同じように「すっきり」できるようになれば、本来はAさんにとっては良いのだろう。

そうなるには、まだ少し年月がかかりそうである。

 

 

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