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やっぱり今日もひきこもる私(437)東京のひきこもり、北海道へ向かう<21>夕張で考える「地方の衰退」とひきこもりの「社会復帰」

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特急券なしで乗れる特急「おおぞら」 新夕張駅にて

・・・「東京のひきこもり、北海道へ向かう<20>」からのつづき

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by ぼそっと池井多

 

1日あたり2,410円で乗り放題の青春18きっぷを駆使して、この旅をつづけている。

移動は鉄道にかぎる、それも各駅停車ならばなおよし、という私にとっては打ってつけの切符である。

これは原則としてJR路線の各駅停車や快速にしか乗れないわけだが、全国で4か所だけ特急に乗ってもよい区間がある。

北海道では石勝線の新夕張新得の間がそれにあたる。

ここはそもそも各駅停車が走っていないので、特急などに乗るしかないのだ。

 

 

帯広を発った私は根室本線を西に上り、新得からその特急「おおぞら」に乗って新夕張へやってきた。

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新夕張駅 元は紅葉山駅といった

夕張市の窮乏

駅はあっても各駅停車が走らなくなったということは、それだけ過疎化が激しいということである。

ここ新夕張駅は、財政破綻をして有名になってしまった夕張市の鉄道の玄関口となる。

その名も「夕張」という駅へ、つまり市の中心部へ、この新夕張から支線が分岐していたが、一昨年2019年に廃線となってしまった。

 

鉄道が廃線になるとき、たいてい廃線先の自治体は、

「私たちの交通機関を奪うのか」

とそれに反対するものだが、夕張の場合は市の財政立て直しのために、自治体の方からすすんでそれを希望したのだった。

今、新夕張駅の地下道はごらんのように柵が設けられ、夕張方面のホームには乗客が行けないようになっている。

ホームを取り壊すのにも金がかかるので、このような形で放置しているのである。

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新夕張駅の地下通路 夕張方面への乗り換え口には柵が

一時期、夕張市は公共施設のトイレットペーパーも買えないほど貧窮したために、駅のトイレまで使用禁止になったという。

石炭産業の最盛期であった1960(昭和35)年ごろには110,000人近くいた人口も、現在は7,500人ほど。

もともと市町村制では、人口が10,000人以上になると市に昇格する条件を一つクリアするわけだが、逆に10,000人より少なくなった場合、大相撲の力士番付のように降格されて「町」や「村」に戻るということがないから、夕張は「市」に留まっている。

市内には一人も住んでいない町や集落が多くある。

これらを限界集落を通り越した、消滅集落というらしい。

 

夕張市の財政立て直しのため助っ人として東京都から派遣された都職員、鈴木直道が、やがてここの市長になって財政の再生を成功させたが、そのぶん行政サービスが低下して人口はさらに減ったという。

しかし、鈴木直道はその功績が民意によって認められ、今では全国で最年少の知事として北海道知事になっている。

いっぽう、夕張市のほうはその後を継いだ労組出身の市長のもと、夕張メロンゆうばり国際ファンタスティック映画祭でなんとか地方創生を模索しているようである。

 

夕張メロンは、地元の農協であるJA夕張市が厳重なブランド管理をしており、初競りでは1個100万円を超すこともめずらしくない。

夕張市から一歩でも外に出た畑で獲れたメロンは、夕張メロンを名乗れないので、ガクンと値段が安くなる。

傷みやすいので、以前は北海道内でしか食べられなかったが、最近は物流の技術が進んで本州へも出荷されているそうである。

新夕張駅の近くの道の駅は、小さなスーパーを兼ねていて、そこでは獲れたての夕張メロンを小分けにして売っていた。

賞味する。1カット300円。完熟である。

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夕張メロン

「政治家になる」という社会復帰

2011年、鈴木直道が30歳の若さで夕張市長になったとき、自らの給与を70%カットし、全国でもっとも給料の安い市長として自治体の再生のために貢献したことは、ひきこもり界隈にも少なからぬ影響をあたえた。

もし、選挙という社会的に正当な手段で選ばれれば、ひきこもりのようにそれまでの履歴書が空白であることもチャラになる。

しかも市長や議員といった、社会的に尊敬されている(ことになっている)立場、いわば「偉い人」として「社会復帰」できるとあれば、こんなうれしいことはない、というわけである。

ひきこもりとして蔑まれてきた立場から、一転して人々に敬われ仰ぎ見られる立場になるのだ。

これこそ、多くのひきこもり当事者が夢見ている一発逆転である。

 

さらに、地方の自治体によっては、地方議員というのは成り手がなくて住民たちは困っているらしい。

昔は地方議員といえども、政治家として名誉や権力があった。今は日本も民度が上がり、そうでもなくなってきている。利得がないのに、公人としてプライバシーはなくなり、「割が悪い」と思われているのが、成り手のない理由かもしれない。

ところが、もともとひきこもりとして名誉や権力がないことに慣れているひきこもりならば、そういうことをデメリットと感じない。

というわけで、私の周囲でも何人かのひきこもり当事者が地方議会に立候補した時期があった。

そして申し合わせたように、

「当選したあかつきには、自らの給与のカットいたします!」

を公約に掲げるのであった。

ひきこもりは貧困生活にも慣れているから、給料が減っても、「ふつうの人」ほど痛手に思わないのである。

 

しかし残念ながら、私の知るひきこもり当事者は一人も当選しなかった。

きっと給与カットだけではダメで、何か現実的な政策を公約として掲げなければいけなかったのだろう。

夕張市長になった鈴木直道は、立候補の前に3年間、夕張市の行政実務についていたから、それが見えていたのにちがいない。

逆にいえば、たとえ長期ひきこもりであっても、履歴書のブランクが気になっても、立候補する自治体をよくよく研究して、住民の利益に合致した政策をかかげて立候補すれば、議員や首長というかたちでひきこもりが「社会復帰」できる可能性も、現実的に大アリだと思う。

私みたいに、自分のことばっかり考えている人は、他の住民の皆さんの利益を知るのは無理だけど。

 

経済的にプラスかマイナスか

それこそ日本社会の問題である「地方の衰退」という現象と、「ひきこもり」は微妙な関係にあると私は考えている。

経済という側面から社会を見ようとする人は、とかく生産的であるか否か、経済発展するか否か、という座標軸でものごとを考える。

「あることを行うと、それは経済的にプラスかマイナスか」

という評価に単純化してしまう。

そういう視点からすると、「地方の衰退」は経済的にマイナスな現象であり、これをいかにプラスに転じるかが課題の中身ということになる。

いっぽう、「ひきこもり」もまた、それだけ労働人口が生産に従事しない現象として見られるから、経済的にマイナスな現象として捉えられる。

 

そういう思考軸では、「生産」という行為がほぼ無条件に肯定されている。

以前、私はそれを「生産翼賛主義 (productionism) 」と呼んだことがある(*1)。

 

 

この二つを単純に掛け合わせると、

「ひきこもりは人と会うのが嫌なんだろう。

それだったら、ひきこもりを過疎の村に移住させて、農業や林業、漁業など第一次産業に従事させて、村おこしを図ればいい。

そうすれば、ひきこもりも就労できるし、地方も再生できる。一石二鳥だ」

という発想になったりする。

 

たしかに、そういう解決策で「社会復帰」しているひきこもり当事者もいるようである。

都会のデスクワークを離れて、脳の別の部分を動かして、社会のなかに居場所が得られるなら、それはそれで一つの幸福であるだろう。

 

しかし、それはひきこもり一般を対象に据えた解決策とはとうてい言えないと思う。

ひきこもりの多くは思想を持っており、情報発信など何かクリエイティブな仕事によって社会に喰いこんでいきたい、と考えているのではないだろうか。

情報産業は、以前は第三次産業に入れられていたが、最近は第四次だの第五次だの言われるようになってきている。

べつに第一次産業でなくても、過疎の村に移住してメリットがないとは言えないだろう。

私も、もし車の運転ができるなら、自然豊かな過疎の村に移住するのもいいな、と思うときもある。

 

けれども、それよりも基本的なところで、そもそも私自身を含めひきこもりの多くは、「産業」という体制に組み込まれることへの嫌悪感があったり、経済的にプラスとなる「生産」という行為そのものに関心がないように思われ、それがネックになっているように思うのだ。

それは、古典的な経済学者からすれば笑止千万であるにちがいない。

どんな人間行為も、経済に組みこまれていると考えられるからである。

 

しかし、行動経済学以降の経済学は、人間の感覚というものにもっと比重を置くようになってきただろう。

だから、感覚の話をしたい。

生産翼賛主義の「上昇」「拡大」「未来志向」「前向き」「イケイケどんどん」といった気配を感じると、ちょうど二日酔いの人が食欲旺盛な人を見るのがいやなように、私などはウッと吐き気を覚えたりするのである。

 

「生産」の逆のベクトルであるひきこもり、少子化、人口減少、地方の衰退は、底流においてつながっている社会現象であり、それらは加速化する現代文明に対する人間の集団的無意識レベルの抵抗なのではないか、というのが私のかねてからの仮説なのである。

 

・・・「東京のひきこもり、北海道へ向かう<22>」へつづく 

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