VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

三島由紀夫を読み返す(3)追悼・野坂昭如

by J.I.

作家、野坂昭如(のさか・あきゆき)が12月9日に死んだ。

翌日には追悼記事を出したいと思ったのだが、
自らの身辺で書くことが山ほどあり、
どうしても後回しになった。

野坂昭如の追悼を、
なぜ「三島由紀夫を読み返す」でおこなうかというと
私にとって印象深い野坂の文章は、
火垂るの墓』ほかの小説よりもむしろ
野坂が書いた三島由紀夫の追悼文だったからである。

野坂は、三島が割腹自決したしばらく後に
『わが三島体験』(*1)という小文を書いている
 
*1:野坂昭如『わが三島体験』
初出「オール読物」1971.2月号
「文芸読本三島由紀夫河出書房新社(1975)所収
 
 
三島由紀夫は、自衛隊への突入計画を
事前に周囲にさとられないためのカモフラージュか、
予定した死の日のあとも
仕事のスケジュールを入れていたようだが、
その中の一つに野坂昭如との紙上対談があった。

日本経済新聞が企画したもので、
三島が「行動学」、野坂が「逃亡学」と題する文章を書き、
紙上でぶつけあうといった企画だったらしい。

過去に何回かの対談で
手ひどく三島にやりこめられていた野坂も

逃亡にかけては三島に負けない」

と、気負って原稿を書き進めていた
矢先の事件であったという。
 
第一報を聞いて、野坂がとっさに考えたのは、
このようなことであった。

「死なないでくれ、
 しかし、腹に包帯をぐるぐるまいての入院治療は、
 三島さんにとって
 もっともカッコわるいことになる、
 いや、やはり傷跡抱いたまま長らえ、
 そうなるともはやボディビルでもないだろうから、
 たちまちぶくぶく肥って
 その老残の姿が生み出す小説は
 いかなるものだろうか」(*2)

*2:前出 野坂昭如『わが三島体験』
改行編集は引用者による

三島がああいうことをやるとは
まさか人はリアルタイムに思わなかっただろうから、
これはたいへん正直な感覚の記録であると思う。

三島も野坂も、
ダンディズムを生きた点で共通している。
 
ダンディズムは、その裏返しとして
何かをとしなければならない。

恥を設定することによって、
自らを不自由にしていくところに
美学をみいだす男の生き方である。

三島と野坂では
だいぶ生き方がちがうように思われるかもしれないが、
それは設定した恥の領域が
異なるだけである。

三島は「行動」といい、
野坂は「逃亡」といった。
 
そして野坂にとっては
「逃亡」することが「行動」であった。

このような形の三島批判は、
後年の浅田彰の『逃走論』などにも
つながっているところがあるように私などは思う。

野坂の書くように、
三島が「ぶくぶく肥って」生き恥をさらして
書く小説というものは、
あるていど言葉の底力を信じる者なら、
ぜひとも読んでみたい文章だったことだろう。

きっと「ほんとうのこと」が書いてあるのである。
 
しかし「ほんとうのこと」は
三島の場合、恥の概念によってきっぱりと
生の外へと追い出されたわけだ。


 
 
野坂昭如は、いつもサングラスをかけていた。
これは、彼が人一倍シャイな人であり、
ちょっとした対人恐怖だったことを物語るであろう。

サングラスをかけないと、
人々と相対せなかったわけだ。

いっぽうで野坂は、
世間から見たらいろいろと恥ずかしいことをやってみせた。
 
野坂が編集長として掲載した文章は
刑法にさだめる「猥褻(わいせつ)」の罪を犯したとされ、
巨星、田中角栄に挑んで新潟3区から議員立候補したときには
日本中から笑いものになった。

「恥ずかしい、恥ずかしい」
とサングラスで眼を隠しながら、
あえての真っただ中へ突き進んでいったのである。

それが彼にとって、生きることであったのだ。


 
 
ひるがえって私は、
世間からみれば、このうえないの人生を生きている。

自分の力で金を稼ぐこと能わず、
生活保護で国民の皆さまの税金によって
なんとか生を生きながらえ
それでいてあれやこれやと偉そうなことを書き
大口をたたいて人々に嫌われている。

「これ以上、思ってもいないことを言うのはいやだ」
などとしびれを切らした結果が、
この体(てい)たらくである。

世間はそれをというであろう。

しかし、あえて私に言わせれば、
多くの場合、

は、他者の

なのである。

フランスの精神科医ジャック・ラカン(1901-81)は、

欲望はつねに他者の欲望である

といった。

つまり、だれか他人が
「あれがいい」「これがいい」
と言うものだから、
いつのまにかそれが良いものに見えてきて、
自分にとっても欲望の対象となっている、
というわけである。

 
同じことがについても言えないだろうか。

「それは恥である」
と言うであろう他者を、
その他者がじっさいに言うまえから
勝手に先取りして自分のなかに取りこんで
いつのまにか自分が恥だと思って萎縮している、
ということがあるのではないか。

そのうえで言うと、
この恥さらしの体たらくは、私にとっては
一つの必然なのである。
 
これは、
たんなる独我論やナルシズムで片づけられる問題でもない。
 
私たちAC、トラウマ・サバイバーには、
まだ言葉にしていなくても、
このように感じている者がきっと多くいるはずである。
 
とくに男性には、多いのではないか。

の概念ゆえに、被害を申し出ることもできず、
生と死のはざまで苦しんでいるのではないか。

けれども、その恥の概念とは、
まったく普遍的なものなどでない。
真理でもない。
多くは「他者の恥」である。

日本の、いや、人間の歴史の
ごくごく一部に通用した社会感覚によって作られた
浮薄でかりそめの規範にすぎない。

それは、メッキのように
一皮めくれば、ペラペラとはがれる偽物の恥である。

誰かがすすんで恥をさらせば、
社会全体のなかで、その恥は
相対的に薄められていくばかりか、
「他者の恥」として捨て去ることができるはずである。

三島や野坂が
世間の恥とは別個に
それぞれ独自の恥の領域をみずから設定したように、
私たちACやトラウマ・サバイバーも
世間が恥とする枠をいったん溶かし去り、
みずからの考える恥の領域を新たに設定するために、
もっと臆することなく
どんどん生の声を発していったらどうか、と思うのである。

そのとき、それは
誰かによってやらせのように言わされている言葉では
けっしてないだろう。


 
 
野坂昭如は私の前に立ちはだかって
こう言ったであろう。

「お前は戦後の焼け跡を見たことがあるか。
 焼夷弾で黒こげになったり、
 幼児がカエルのように腹をふくらませ、
 肛門をむき出しにして餓死する姿に比べれば、
 どんな人生も極楽だろう」

私は野坂氏に、こう答えたであろう。

「私は戦後の焼け跡を見たことはありません。
 私は太平洋戦争を見たことはありません。
 私は平和の時代に育ちました。
 しかし、
 私は戦争の家族に育ちました。

 あなたは戦争の家族の中を見たことがありますか。
 あなたは戦争の家族の内に身を置いたことがありますか。

 飢餓児童が餓死する姿に比べれば
 虐待家庭に育つ人生は極楽だと言い切れますか」

野坂氏は、おそらく何がしかを答えたと思う。

もしかしたら、理解を示し、
もしかしたら、殴り合いになったかもしれない。

けっしてそんなところで、
得意技の「逃亡」は持ち出さなかったのではないか。

会ったことはないが、
きっとそんな人であった、と想像する。



このたび、野坂昭如の死にさいして、
田原総一朗の言った言葉が印象的であった。

日本は空気を読まないと生きていけない国。
野坂昭如さんは自ら落ちこぼれ
空気を読めないと言い切ることで
自由に生きた。(*3)
ハフィントン・ポスト日本版 2015.12.10  13:10 
改行太字は引用者による

 
 
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