VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

三島由紀夫を読み返す(4)

by J.I.

以前、ブロ友の痴陶人さんは、
巷間の文芸評論家も指摘していない、
三島由紀夫と、彼の母との関係が、
仮面の告白』のなかに描かれていることを
コメントで指摘してくださった(*1)


そこで今日の記事は、
私が三島由紀夫仮面の告白』のなかから、
彼の母との関係を物語ると目される箇所を抜粋し、
痴陶人さんにコメントしていただくという
「コラボ」方式で記事を作っていくことにする。

現在のYahoo!ブログの形式では、
Yahoo!IDを持たない人はコメントが読めないので、
いただいたコメントは随時、
末尾へ追加し、記事を改訂していくかたちで、
どなたにもご覧いただけるようにしようと思う。

さて、『仮面の告白』のなかで「母」が出てくるのは、
私が見るかぎり2か所である。

はじめは、幼年時代の「私」が、
妖艶な女性奇術師、松旭斎天勝の舞台を見て、
すっかり何ものかに魅了されてしまったシーンである。

 
「天勝になりたい」というねがいが、「花電車の運転手になりたい」というねがいと本質を異にするものであることが、おぼろげながら私にはわかっていた。そのもっとも顕著な相違は、前者には、あの「悲劇的なもの」への渇望が全くと云ってよいほど欠けていたことだ。天勝になりたいという希(のぞ)みに対しては、私はあの憧れと疾ましさとの苛立たしい混淆を味わわずにすんだ。それでも動悸を押えるのに苦しみながら、私はある日母の部屋へ忍び込んで衣装箪笥をあけたのであった。
 母の着物のなかでいちばんごてごてした・きらびやかな着物が引摺(ひきず)り出された。帯は油絵具で緋の薔薇が描かれたものを、土耳古(トルコ)の大官のようにぐるぐる巻きにした。ちりめんの風呂敷で頭が包まれた。鏡の前に立ってみると、この即興の頭布の具合は、「宝島」に出てくる海賊の頭布に似ているように思われたので、私は狂おしい喜びで顔をほてらせた。しかし私の仕事はまだまだ大変だった。私の一挙一動、私の指先爪先までが、神秘を生むにふさわしいものでなければならなかった。私は懐中鏡を帯のあいだにはさみ、顔にうすく白粉を塗った。それから棒状をした
銀いろの懐中電燈や、古風な彫金を施した万年筆や、何にまれまぶしく目を射るものをすべて携えた。
 こうして私は、まじめくさって祖母の居間へ押し出した。狂おしい可笑しさ・うれしさにこらえきれず、
「天勝よ。僕、天勝よ」
 と云いながらそこら中を駈けまわった。
 そこには病床の祖母と、母と、誰か来客と、病室づきの女中とがいた。私の目には誰も見えなかった。私の熱狂は、自分が扮した天勝が多くの目にさらされているという意識に集中され、いわばただ私自身をしか見ていなかった。しかしふとした加減で、私は母の顔を見た。母はこころもち青ざめて、放心したように坐っていた。そして私と目が合うと、その目がすっと伏せられた。
 私は了解した。涙が惨んで来た。
 何をこのとき私は理解し、あるいは理解を迫られたのか? 「罪に先立つ悔恨」という後年の主題が、ここでその端緒を暗示してみせたのか? それとも愛の目のなかに置かれたときにいか
ほど孤独がぶざまに見えるかという教訓を、私はそこから受けとり、同時にまた、私自身の愛の拒み方を、その裏側から学びとったのか?
 ―――女中が私を取押えた。私は別の部屋へつれて行かれ、羽毛をむしられる鶏(にわとり)のように、またたくひまにこの不埒な仮装を剥がされた。


 
さて、もう一か所は成人した「私」が、
女性に対する性慾もわかないのに、
一つの恋愛を完璧に演じきったところへ、
「私」の友人でもある、園子の兄から、
二人の結婚を願う手紙をもらうシーンである。
 
『僕は園子なんか愛していはしない!』
 この結論は私を有頂天にした。
 素晴らしいことであった。愛しもせずに一人の女を誘惑して、むこうに愛がもえはじめると捨ててかえりみない男に私はなったのだ。なんとこういう私は律義な道徳家の優等生から遠くにい
ることだろう。……それでいて私が知らない筈はなかった。目的も達しないで女を捨てる色魔なんかありえないことを。……私は目をつぶった。私は頑固な中年女のように、ききたくないことにはすっかり耳をおおう習慣がついていた。
 あとは何とかしてこの結婚を妨害する工作が残っているだけである。まるで恋敵の結婚を妨害するように。
 窓をあけて私は母を呼んだ。
 夏のはげしい光りがひろい菜園の上にかがやいていた。トマトや茄子の畑が乾燥した緑をとげとげしく反抗的に太陽のほうへもたげていた。その勁(つよ)い葉脈に太陽はべたべたと、よく煮えた光線を塗りつけていた。植物の暗い生命の充溢が、見わたすかぎりの菜園のかがやきの下に押しひしがれていた。彼方に、こちらへ暗い顔を向けている神社の杜があった。そのむこうの見えない低地を、時折やわらかな振動を漲らせて郊外電車がとおるのである。そのたびにポールが軽躁に押して行ったあとの、ものうげに揺れている電線の光りが見えた。それは厚みのある夏の雲をうしろにして、意味ありげに、また何の意味もなさそうに、しばらくあてどもなく揺れているのだった。
 菜園のただなかから、青いリボンをつけた大きな麦藁帽子が立上った。母だった。伯父――母の兄――の麦藁帽子は、ふりむきもせずに崩折れた向日葵のように動かなかった。
 ここの生活をはじめてからすこし日に灼けた母は、遠くから白い歯が目立つようになっていた。彼女は声のとどくところまで来ると子供らしいキンキン声で叫んだ。
「なあによお。用ならそっちから出ていらっしゃいよお」
「大事な用なんだよお。ちょっとここまで来てよお」
 母は不服そうにのろのろと近づいた。手の籠には熟したトマトが盛られていた。やがて彼女は窓枠の上にトマトの籠を置いて何の用かとたずねた。
 私は手紙を見せなかった。かいつまんでその内容を話した。話しながら私は何のために母を呼んだかがわからなくなるのだった。私は自分を納得させるために喋りつづけているのではなかったか? 私の父が神経質な口やかましい性格で、一つ家にいれば私の妻になる人は苦労するにちがいないということ、そうかといって今のところ別に家を持つ目安はつかないこと、私の古風な家庭と園子の明るい開放的な家庭とでは家風が合うまいということ、私にしてもそんなに早くから妻を貰って苦労したくないということ、……さまざまなありふれた悪条件を私は平気な顔つきで述べ立てた。私は母の頑固な反対がほしいのだった。しかるに私の母はのどかな寛大な人柄だった。
「何だかへんな話なのね」――母は大して深く考えもしない様子でロをはさんだ。「それで一体あなたの気持はどうなの。好きなの? それともきらいなの?」
「そりゃあ僕も、あの」――私は口ごもった。「そんなに本気じゃあなかったんだ。遊び半分のつもりだったんだ。それがむこうで本気にとったんで困っちゃったの」
「それなら問題はないじゃないの。早くはっきりさしておいた方がお互いのためだわ。どうせ一寸した打診のお手紙なんでしょう。はっきりしたお返事を出しといたらいいわ。……お母様もう行くわよ。もういいんでしょう」
「ああ」
――私は軽い吐息をついた。母は玉蜀黍(とうもろこし)が立ちはだかっている枝折戸(しおりど)のところまで行くと、また小刻みに私の窓にかえってきた。彼女の顔つきはすこしさっきとはちがっていた。
「あのね、今のお話ね」――母はやや他人じみた、いわば女が見知らぬ男を見るような目つきになって私を見た。
「…園子さんのことね、あなた、もしかして、…もう……」
莫迦(ばか)だなあ、お母様ったら」――私は笑い出した。私は生れてから、こんな辛い笑いを笑ったことはないような気がした。「僕がそんな莫迦なことをすると思っているの? そんなに信用がないの? 僕は」
「わかったわよ。念のためよ」――母は明るい顔に返って照れくさそうに打ち消した。「母親ってものは、そういうことを心配するために生きてるものなのよ。大丈夫よ。あなたは信用しているわ」
 ――私はわれながら不自然だと思える婉曲な拒絶の手紙をその晩書いた。急なことで、今の段階ではそこまで気持が進んでいないと私は書いた。あくる朝工場へかえりがけに、郵便局へその手紙を出しに行ったとき、速達の掛りの女が私の慄える手をいぶかしそうに見た。私はその手紙が彼女のがさつな汚れた手で事務的にスタンプを押されるのを見つめた。私の不幸が事務的に扱われるのを見ることが私を慰めた。

ここで、痴陶人さんのご登場を待つことにしよう。

以下、痴陶人さんである。
 
ちょっとどこからお話を始めていいのやら迷いますが、少しづつ進めて行くことにしましょう。

まず、このぼそっとさんのブログで再三語られるAC(アダルトチルドレン)の定義というものなのですが、私なりに要約しますと、小児期に肉体的精神的虐待を受けたり性行為を強要されたり(この性行為というのが厄介な存在で、ブログでも問題になっている性器の挿入のあるなし、肉体的接触のあるなし、全くない場合でも肉体の窃視や見せつけにまで多岐に渡ります。)、成人後も何らかの心的外傷(トラウマ)として残り、社会生活に支障をきたす人間でしょうか。

「ACは自己認知の問題であり、診断的に与えられる言葉ではない」らしく、またACを生む要因は、性的なものを含め幼児虐待だけではありません。

もともとACという言葉は、アルコール中毒者の親に育てられた子供に共通する症状から生まれた言葉らしく、虐待というよりは、機能不全家族(何らかの意味で親が親として機能していない家族)に起こるのだと思います。

そこで問題になるのは、親が死亡したり離婚したりして、片親や施設や親戚に育てられた子供、つまり親の欠損が、ACを生むかというと、必ずしもそうとも言い切れないようです。

むしろ私の感覚からいうと、両親が存在し、その親の少なくとも一方が、親として機能不全を起こしている場合が、最もACを作るように思えます。

ですから、三島を語る際、まず幼児虐待からACになった(と感じるぼそっとさんはじめチームぼそっとに関わられている多くの患者さんたち)とは、少し立場が違うということです。

三島が書いた数多の作品を読んでも、三島が肉体的、精神的、性的に虐待されたという事実はどこにも出てきません。むしろ三島は、ええとこのお坊ちゃんとして、過保護に育てられています。

しかし、この過保護というのも、植物に水や栄養をやり過ぎると枯らしてしまうように、場合によっては、虐待と同じ結果を生じせしめるのだと思います。薬の過剰摂取が毒と同じ効果を生むのも同じですね。

そこで、虐待を受けていない子供が、ACになるメカニズムというようなものを三島から引き出せれば、虐待を受けてACになった人たちの何らかの参考になるのではないかというのが、今私にあるぼそっとさんとのコラボのモチベーションです。虐待を受けていないのにACになる、況んや虐待を受けていたならば尚更というところに着地させたいのです。

仮面の告白」の原文を張り付けて頂きましたが、まずはこんなところから始めさせて下さい。非常に微妙な問題ですので、いきなりは難しいのです。御理解頂ければ幸いです。

― 以下、ぼそっと管理人J.I.。

そうなのですね。
ACの専門家が、ACの筆頭として
「幼児期に近親から性虐待を受けた者」
を挙げたりするようになってきて、
近年はだいぶAC問題も焦点がぼけてしまいました。

痴陶人さんも、
まずそれをおっしゃりたいのではないでしょうか。

正確な統計が取りにくい以上、
こんな言い方をせざるをえないのですが、
両親が存在し、その親の少なくとも一方が、親として機能不全を起こしている場合が、最もACを作る」
という痴陶人さんの言葉は、
私にはたいへん説得力があります。

私自身、こんなことをやっているくらいですから
ド級のAC、ウルトラACです。
しかし、両親ともに欠損しておらず
(たぶん今も裕福でピンピンしていると思われる)
幼少期にも経済的にも中下流
すなわち貧困家庭ではありませんでした。

三島ほど「ええとこのお坊ちゃん」ではありませんでしたが、
近所のなかでは「ええとこ」の部類でした。

だからこそ、苦しみが訴えられなかったのです。

目に見えるほど貧しい家庭だったとか、
差別に苦しむ在日の家庭だったとか、
両親のどちらかが欠損していたとか、
親に前科があったとか、
なにか社会的に認知される負のレッテルがあったほうが、
むしろ私の場合は自分の苦しさを訴えやすかったでしょう。

なぜならば、その負のレッテルを鋳型にして、
自分の苦しみを流し込み、凝固させて、
人に見せ、理解を得ることができるからです。

もちろん、ほんとうに負のレッテルを背負った方々には、
私のように部外者が勝手に想像して語ることのできない、
当事者にしかわからない苦しみが必ずやおありでしょうけれども、
それはそれ、これはこれだと思います。

問題として認識されないからこそ、外へ表現されない。
それで対処も遅くなる。はけ口もない。
……というのが、ほんらい「AC」という補助線で
解決されるべき問題だったのだと思います。

蔵書を持たない私にとって、
仮面の告白』は所持している数少ない文庫本の一冊なのですが、
すでに黄ばんだ紙に、
19歳に読んだときの書き込みがしてありました。

上記、抜粋の後半、菜園でのやりとりの欄外に
「母の無母性」
と、存在しない日本語らしき語句を書きつけた模様です。
母性が感じられない、ということを言いたかったのだと思います。

はい、そこのところです。平和な時代の裕福な家庭の中で起こる家族の機能不全、この部分に私の興味はあり、ぼそっとさんの書かれるものに、それと同じ私の興味を惹くものがあり、コラボを申し出た次第です。

私自身は、三島同様、虐待を受けずにACになったと自覚していますが、私と同じ年のぼそっとさんと私は、比較対照するのにちょうどいい素材に思われます。かたや虐待にあい、かたや虐待にあわずしてしかも共にACになる、これはどうしてか?私の抱いた興味はそこにあります。その謎を解き明かすヒントが三島と三島作品にある。そう予感しています。

三島は、そういうことを書いた先駆者というよりは、ミュータント(白子=突然変異)だったと思うのです。

「母の無母性」素晴らしい!正にこの件の核心です。今後私もこの言葉を使わせて頂くことになるでしょう。

なるほど。
痴陶人さんの三島観がわかってまいりました。

20年ほど前まで、
私も自分が「虐待」を受けた、
とは思っていませんでした。

まず「虐待」というと、私には
「物理的に殴ったり蹴ったり」
という語感がありました。
どんな内容であれ、母親という女性に、言葉による精神的な作用を投げかけられたくらいで、
「虐待を受けた」
などと言ったら
「とんだ笑い草だ。男がすたる」
などと思っていました。

しかし「虐待」の語源、英語の「abuse」は、
「ab」(異常に、おかしな方法で)と「use」(使う、利用する)をくっつけたものであると気づいてから、
「そうか、私は母親の対外的な人間関係のために、
おかしな方法で存在が利用されてきた。
それは確かにab+useだった」
と合点が行き、
「私は母に虐待されました」
というようになってきました。

ほんらい、もっと良い訳語が開発なり造語なりされるとよいと思いますが、今のところ「虐待」しか言いようがないのだと思います。

ACになるからには、成育歴において何か足りないものがあったのではないか。その欠落の性質が「虐待」なり「ab+use 存在の異常利用」なりで説明されるのではないか。……三島も痴陶人さんも場合も、そうお考えになると、はたしていかがでしょうか。

また「平和な時代に何をぜいたくなことをいう」などと
戦中派の方々はおっしゃるかもしれませんが、
私の原家族は、
家族の外は平和であっても、家族の内は戦争だったのです。
その状態は、子どものみならず、その家族の中に身を置く者にとっては「戦争時代」と同じように肌身に感知されました。



・・・「三島由紀夫を読み返す(5)」へつづく
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