VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(33)売春と支配

父から逃げられない私(32)」からのつづき・・・


ナガレ おれもグラビアやヌード写真集は買うんだよ。
 ああいうものと買春は同じか、っていうと
 明確な境目はないけれど、やっぱりちがうと思う。

 性を買うといったときに、どこで境界線を引くべきだろうか。
 やはり性器の挿入だろうか、身体の接触だろうか。

J.I.  一般論としては性器の挿入でしょう。(*1)
 
ナガレ 性器を挿入してしまうと、
 なにか精神的なものが壊れる気がするんだよね。

J.I.  そう、そう。それをおそらく主治医の先生も言っていて、
 そこで性虐待に関して議論が起こったことがありますね。(*2)

ナガレ いや、ちがうんだ。性器の挿入で
 精神が壊れるのは女の精神だけじゃなくて、
 挿入した男の精神も壊れる気がするんだ。

 セックスをやってしまったら、
 おれの精神も壊れるような気がして……。

J.I.  ほう。どういうふうに?

ナガレ ひとことで言えば堕落だよね。
 
J.I.  どういうふうに堕落するというの?

ナガレ ケダモノの側へ堕落する。

J.I.  ……ようするに純潔が失われるということ?

ナガレ 性的)尊厳が損なわれる、というか…。

 だから、おれはけっして女たちの人権を尊重するから
 性を買わないわけではなくて、
 自分の尊厳を守るために買わないんだ。

J.I.  ああ、なるほど。……

 だけど、
 ぼくが性風俗を買わないのは、そういう理由ではないな。

 先日、ブログに書かせていただいたけれど、
 性風俗の消費者となって性をおこなうことによって
 なにか性風俗嬢に支配されるようなことがあると思うんだ。

 男がああいうところで「精」を抜かれる、という。
 「精」は「精子」「精液」の精であるけれども、
 同時に「精神」の精であり、「精気」の精でもある。

 英語でいうと「spirit」である、と。

 その瞬間、男は腑抜けになる、というか、
 金で買った女性に支配される瞬間ではないか。

 自分の存在でいちばん大事なところを
 持っていかれてしまう瞬間でもある。

 もちろん、恋愛の果てに
 いっしょにそういう瞬間にたどりつくのであれば、
 いちばん大事な部分をお互い差し出し合うということで、
 それは人間として平等だからいいのだけれど、
 こちらがお金で買っているとなると、
 こちらだけ持っていかれてしまう。

 それで、何かが支配される感じがする。

 金で買うからこそ支配されるんだ。

 その、大事な部分を支配される感覚というのは、
 おそらく母親に虐待されたときの感覚なのだと思う。
 だからぼくは性風俗へ行きたくないんじゃないか、と。

……。
……。


<註>

*1.*2. 「売春」の法的な定義は、
「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」(売春防止法 第2条)となっている

また「強姦」は男性器の女性器への挿入に限定されており、肛門性交や口への男性器挿入、女性器への、男性器以外の物の挿入は強姦罪ではなく、より法定刑の低い強制わいせつ罪の適用に留まる。
 
しかし、性器の挿入を受けなくても、そのときの状況によってはもっと心理的ダメージが大きい場合はいくらでもあり、法学者のあいだですら、上記の区別には長らく議論が起こっている。
 
いわんや、これが「心の科学」であるはずの精神医学においては、いっそう「被害者が受けるダメージの大きさ」を基準とするべきであると考えられ、その意味で塞翁先生のコイタス・セントリズム(性器の挿入中心主義)はじゅうぶん批判に値する。
 
 

・・・「父から逃げられない私(34)」へつづく
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