VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(37)強迫論

父から逃げられない私(36)」からのつづき・・・

 
J.I. 私自身、強迫出身だから、
 強迫をわずらうことの苦しさということは
 重々わかるわけですよ。

 同時に、私自身が自分の強迫について他人に語った時に、
 「他人はその苦しさを実物大で理解しないだろうな」
 ということも重々わかるわけですよ。

 前も語らせていただきましたが、
 強迫をわずらっていた当時、
 私には不吉恐怖というものがあり、
 どこかの路地を曲がった時に、そこでお葬式などやっていると、
 なにか不浄なものが自分に乗り移ってくるような恐怖にかられ
 そればかりか
 以後、その路地は不浄な道として二度と行けなくなってしまう
 というような症状がありました。

 そうやって、住んでいる町から
 「通ってはいけない道」
 というのが、町の住民で誰か亡くなるたびに増えていってしまい
 そこで暮らすことがどんどん不自由になっていくのでした。

 これは、いま語っていて馬鹿馬鹿しい話だと思いますし、
 じつは病んでいる当時も馬鹿馬鹿しいと思っていたのです。

 けれども、症状はやめられませんでした。

 しかし、馬鹿馬鹿しいと自ら症状を軽蔑しているから、
 人に症状の詳細を話すこともできませんでした。

 こうした精神疾患の内部から発せられる言葉が、
 どのくらい一般人の皆さまに通用するかわかりませんが、
 そういう路地で自分に乗り移ってくる「不浄」とは、
 突き詰めれば私にとって「母の死」を連想させるものであり、
 「母が死んだら、自分は生きていけない」
 と幼少期にすりこまれたものだから、
 それは「自分の死」を遠くで招き寄せうるものでした。
 だから私は葬儀の花輪が立っている家のそばを通過するのを
 恐れたのです。

 しかし、このような内部規律を持っていると、
 通れる道はどんどん少なくなっていくし、
 不自由極まりないですね。

 それで、どうしても通らなければいけないときには
 ある儀式をおこなうのです。

 それがまた、自分の身体を痛めつける儀式で、
 きわめて苦しいものだったのですね。

 ところが、こういうことを人に語っても、
 強迫という症状ゆえに日常生活が不自由になっていく感じというものは、健常者はわからないと思います。

 いま、私はできるだけ健常者にわかる言葉にして語っていますが、それでも完全には理解されないでしょう。
 ましてや、当時、強迫を病んでいる最中の私の言葉であったなら、なおさら健常者には理解されなかったと思います。

 逆にいま、ナガレさんの強迫症状を聞いていると、
 「語義の迷路」に入りこんでしまって、
 そこから抜けられなくなるというのは、
 言葉ではわかるのだけど、
 「それがそんなに苦しいものなのかな」
 と思ってしまう。

 当人の立場にたって、その症状の結果を感じることができないのです。
 いっぽうでは、ナガレさん自身も
 自分の苦しみが伝えきれなくて、
 不全感をかんじていらっしゃることでしょう。

 それは、私が強迫出身だからわかることです。

 「語義の迷路」に入りこむというのことは、
 強迫という症状を持っていない人でも、
 ある程度、いいかげんでない人なら誰でもありますよね。

 健常者でも、少なからずある。
 しかし、健常者は、
 それが生活の支障にはならずに生きていける。

 ところが、ナガレさんの場合は、
 生活に支障をもたらし、大学も卒業できなかった。
 そして、やがて高良先生の門をたたくに到るまでになる。

 そのプロセスが、いまひとつ私にはわからないのですが。

ナガレ 学生の場合、なぜ勉強するのかといえば、
 試験で合格点を獲るため。
 そのために、わからないことは事前に調べるということをやる。

 わからないことを調べることが、
 試験の得点につながらなければ、
 やっぱり社会の要求に応えられない。
 だから、落伍していくことになる。

 教科書に一行目にわからない専門用語があって、
 語義の迷路に入ってしまったら、
 テキストの一行目から先へ進めない。

 そして試験の日が来る。
 とうぜん合格点は獲れなくて
 やがて卒業はできない。

 それではじめて両親の眼にも
 「こいつは異常だ」
 と映った。

 それで入院させてもらえたわけです。

 それで、さっき「語義の迷路」とおっしゃったけれども、
 理由強迫というべきなのかな。

 それはなぜ、そうなっているのか、
 ということをとことん追究してしまう。

 小学生のころ、父が
 いとこの旧大阪帝国大学の人から聞いた話として

 「わからないことが、ないようにしなければならない

 ということを言われたのです。

 それで、
 「そうか。
 わからないことが、一切ないようにしなければならないんだ」
 と思いこんだ。

 それから
 それから中学のときに灘高校へおおぜい受かることで有名な進学塾に入れられたんだけど、
 数学の授業では
 「それはなぜなのか
 を説明することがつねに求められた。

 それで、
 「それはなぜなのか」
 をいつでも完璧に説明できるようにならなければならない
 と思いこんだのだけども、
 はたしてそれは正しかったのかな、と思うようになった。

 「わからないことがないようにしなければならない」
 というのは嘘じゃないか、
 と考えられるようになったのだけど、
 学生の頃はまだそれがわかっていなくて。

……。
……。

 父自身はぜんぜん知的な人ではなかったです。

 そんな父にとって、国立大学を出た人は神であって、
 神である人がいうことは絶対だと思っていた。

 でも、おそらく父にとって
 国立大学を出た知人というのは、
 その、大阪大学を出たいとこ、ただ一人だと思うけども。

J.I.  そのいとこの人は、ナガレさんの一族で
 最初に国立大学へ行った人かしら。

ナガレ 最初で最後だったりして。

 ちなみに、父の父は早稲田。

 父は、「あのころの早稲田は誰でも入れた」と言ったけど、
 そんなこともないと思うんだけどね。

……。
……。

 
・・・「父から逃げられない私(38)」へもつづく
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