VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

三島由紀夫を読み返す(20)

三島由紀夫を読み返す(19)」からのつづき・・・

by 痴陶人 × J.I.
 
痴陶人:
まず、三島のダブルという表現を始められたのは、私ではなく、ぼそっとさんの方ですよ(笑)。(*1)


私は、三島が生きていたら90歳といっただけで、45の倍数を指摘されたのはぼそっとさんです。

そして、その年の憂国忌に死んだ私の父の死を三島と父親のダブルの呪いと指摘されたのもぼそっとさんです。

なるほどと思い、それ以降私も使わせてもらっている次第です(笑)。

ぼそっとさんの三島の死の解釈は、かなりの補足を必要としますが、基本的には私と同じだと思います。

一般の人に向けてのダイジェストとしては素晴らしい。

まず、三島は死を怖れていたという指摘はしておかねばならないでしょうね。

三島の死は、大儀の為の死、文学者の死、あるいは憂国死なんかではなく、澁澤のいうように個人的な死だと思いますし、あのように死にたかったから死んだだけと私は確信しています。
(儀も義も疑もない死と私は言っています)
が、だからと言って、死が怖くなかったわけではない、寧ろ誰よりも死を怖れていたことでしょう。

その何よりも恐ろしい死を何故あのような最悪とも思える方法で行ったか(死を死んだか)、その理由は、ぼそっとさんの仰言る死さえ管理して精神的安寧を図ったのだと思います。

塩野七生だったと思いますが、ローマ帝国の滅亡を人の自殺に喩えて、
「人は貧乏に自殺しない。貧乏になる不安で自殺するのだ」
と言っています。

これはけだし名言ですね。人間心理の鋭い洞察です。

三島の死にこの喩えを当て嵌めると、貧乏は嫌だ。でも貧乏になる不安で死ぬのは卑怯だ。ならば自ら貧乏になってやる。

この貧乏を死に置き換えると、
「死は怖い。でも死ぬ不安で死ぬのは卑怯だ。ならば自ら死を死んでやる」
でしょうか。

かといって、ぼそっとさんのいう後世に名を残すための太宰のような作家のあざとい自死は、三島は嫌なのです。

三島が想定した死は戦死です。

死ぬために赴く戦地での死です。戦争は、絶対ではありませんが死を恐れないようにしてくれる。

多くの戦死者は、そのようにして死んで行きました。

戦争ヒロイズムは、乃木大将のようになって、数多の敵を倒すと思い込むことで、死を恐れない、死の管理を可能にします。

しかし、三島のような虚弱児は、そのようなヒーローにはなり得ない。ところがそんな虚弱児たちにも、名誉の戦死が許されている。

数多の敵を倒すのではなく、数多の敵の前で、敵に背を見せずに切腹すれば、乃木大将と同じようなヒーローとして名誉を得ることが可能になるのです。

三島が最終的に切腹という自死を選んだのは、この刷り込みにあった。切腹がエロスとも結び付き、益々死を怖れなくさせたからだと思います。

もう一つ、三島には独特な英雄観があります。

オイディプスとも一致するのですが、父王に叛逆し、父を殺し、自らもそのかどで殺される、「叛逆の王子」と「殺される王子」の側面です。

聖セバスチャン、大津の皇子、神風連、二・二・六の青年将校吉田松陰西郷隆盛等々、三島の英雄像は、父(権力)を諫め、父を殺し(殺そうとし)、返り討ちに会って殺される王子だということです。

三島の自決は大儀ではなく、その英雄像に、自分を一致させたい個人的な死だったと私は思うわけです。

そうなると、三島は誰かを諫め謀反を起こさねばならなくなる。誰を諫めたか、それは、昭和天皇であり、時の政府であり、自衛隊のあり方だったでしょう。

次に三島は誰かを殺さねば(殺そうとしなければ)ならない。

ここに視線の問題が絡んできます。三島が視線の人だということは誰も否定しないでしょうが、同時に視線の到着点、誰よりも見られる存在で在りたかった。

そこが、自己愛と公開処刑という問題とも絡んできます。

見ることと見られることの交流電気的文武両道、それは死ぬことと殺されることとの融合も意味します。

自殺を禁じ手とし、誰かを諫め殺そうとし、返り討ちに会い殺されること、思春期に夢想し、エロスとも結びついた切腹による名誉の戦死、そしてぼそっとさんの言われる「行」や「取り引き」の側面、それを供儀の犠として、公開処刑されるという、一回性の演劇的舞台が、あそこだったわけです。

では、三島は誰を殺したか。三島は自殺ではなく、自分を殺したのです。それは、三島が平岡公威を殺したのかもしれませんし、平岡公威が三島由紀夫を殺したのかもしれません。

次に誰に殺されたか。介錯した森田必勝(他人)に殺されたのです。そしてそれは、権力の返り討ちをも意味します。

人を殺し、人から殺される両義性を見事に融合させているのもあの自決です。

これら三島の願望を全て詰め込み、一回性に賭けて、それを見事成し遂げた。これは奇蹟です。

そしておそらく、三島は輪廻転生、死を死んで、再度生を生きようとしています。

三島は、仮面の告白に書いた「フィルムの逆回転」の何らかの秘技を信じており、生き返るつもりが、11月25日であることは、執筆時から決まっていたというのが、私の考えです。

ぼそっとさんの見事なダイジェストに触発され、私も私のダイジェストをしてみました。
 
 
 
 
・・・「三島由紀夫を読み返す(21)」へつづく
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