VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(45)二枚舌とは何か

父から逃げられない私(44)」からのつづき・・・


J.I. 「美男であること」
 「美女であること」
 「野球がうまいこと」
 「収入があること」
 「学歴があること」……

 いろいろな尺度が人間社会の序列に使われるけれども、
 よけいな尺度をぜんぶ削っていって最大公約数的に
 最後に残るような
 その人の能力をおしはかる尺度って何だろう
 と考えるわけですよ。

 諸説あるかもしれないけど、
 私はやはり

 「その人が その人である と信じられること

 が前提だから、
 「社会的人格の一貫性」、つまり、

 「あっちでああ言い、こっちでこう言い、
 というゲスをやらかさないこと

 ではないかと思う。

ナガレ しかし、
 「あっちでああ言い、こっちでこう言い」
 ということをやらかす人は、
 それしか生き残る能力がないから
 必死で「あっちでああ言い、こっちでこう言い」してるんじゃないかと思う。

J.I. それは、もちろんそうでしょう。
 しかし、やはりそれは
 「それしか能力がない」
 というように
 その人の能力をマイナスに査定する尺度にはなるわけですよ。

ナガレ あっちでああ言い、こっちでこう言いしている人に
 人は魅力を感じない。正体がばれてしまったら。

 そしてけっこう、すぐバレるんだよね。
 あっちでああ言い、こっちでこう言いしていると。

J.I.  人はもともと手放しでラクになれば、
 あっちでああ言い、こっちでこう言いしちゃうんだよね。

 もともと赤ちゃんっていうのは、
 あっちでああ言い、こっちでこう言いしている
 状態でしょう。

 しかし、成長するにつれて
 社会的に一つの人格を選び取っていかざるをえなくなる。

 ところが、われわれの主治医、塞翁先生などは
 「人格は存在しない
 などというわけですよ。

 職場の上司といっしょにいるときの「私」と、
 おさななじみといっしょにいるときの「私」は、
 まったく別人のようである。だから人格は存在しない、と。

 それで、自分が
 あっちでああ言い、こっちでこう言いしていることを
 いつのまにか煙に巻いて正当化してしまう。

 でも、どうでしょうね。

 「人は、あっちでああ言い、こっちでこう言いするもんだから」

 という言い方は、人間の精神の在りようの一端を
 語るものではあるかもしれないけれど、
 同時に人は、独りでは生きていけないから
 どうしても社会的な存在になりますよ。

 人が生きていくには、どうしても相手、他者が必要。

 となると、社会的に「人格」が必要になってくる。

 「私には人格がありません。
 私は、昨日に自分が何を言ったか知りません。
 なぜならば、人格は存在しないから」

 なんて言っていられないのが現実です。

 この世の中は、
 「あっちの人格と、こっちの人格同じだろう」
 「昨日のこの人と、今日のこの人は、同じ人格だろう」
 という希望的仮定のもとに動くように作られているから。

 するとやはり、
 「あっちでああ言い、こっちでこう言い」するような人は
 美男であっても、学歴があっても、
 人間として価値を持たないのではないか。

 それを塞翁先生のように、
 「人格は存在しない。
 あっちでああ言い、こっちでこう言いしていいよ」
 と言ってしまったら、
 これは社会生活できない人ができあがると思う。

 社会生活できないから、患者村という閉鎖的集落に
 自分たちでひきこもっていくことになるのでしょう。

 もっとも、そのほうが
 自分たちにお金を貢ぐ人たちが確保できるから、
 彼らにとっては都合がよいのかもしれないけれど。

……。
……。

・・・「父から逃げられない私(46)」へつづく
All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020