VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(48)自分の言葉に責任を持つとは

父から逃げられない私(47)」からのつづき・・・


J.I. よく責任観念のない人が勘違いしているのが、

 「過去の自分が言ってきたことを、
 そのまま続けることが
 自分の過去に責任を持つことだ」

 というパターンです。

 自分の過去に責任を持つとは、
 そういうことではない。
 過去に自分が言ってきたことを続けることではない。

 人は変わるもの、成長するものだから、

 「過去の自分はこう言っていた。
 だけど、こういう新事実が入ってきて、
 自分はこのように考えを変えた」

 ということを言うことは良いことであり、
 責任ある態度です。

 そこに「謝る」という行為が入ります。

 過去に自分が発言してきたことを
 人知れずこっそりで削除して回ってしまうなどというのは、
 大人としては無責任の極みです。

 「ごめんなさい、ごめんなさい」
 と謝りながら、また同じことをくりかえすのも、
 何か責任観念がわかっていない人。

 私なんかも、
 むかし自分が言ってきたことや
 若いころの自分の言動を思い返すと、
 もう恥ずかしくて恥ずかしくて、
 穴があったら入りたくなりますが、
 そこで穴へ逃げてしまわず、その場に居続けることが、
 責任ある存在の仕方だと思っています。

 過去の自分によって迷惑を受けたという人があらわれ、
 なおかつ、それが自分も認めるところとなったならば、
 その人の迷惑に関してはちゃんと謝罪するでしょうね。

 過去が恥ずかしいから抹消する、というのは、
 もっと恥ずかしいことで、
 誰も見ていなくても、自分が見ている。

 とにかく、「過去の自分を変えない」ということが
 責任を取ることではない、ということです。

 だけど、
 ちゃんと責任をとったうえで言うことを変えるというのと、
 そうした責任もとらずに、ただ
 あっちでああ言い、こっちでこう言いしていることが、
 表面上は同じになりやすいので、
 そこは注意しなくてはなりませんよね。

 じっさいは正反対ほど違うわけですが。

 何が一つのことを発言するときに、
 それがこの世に残るのだ、という覚悟もないままに、
 ただ、口から言葉を出すというのは
 ただの無責任であるといえるでしょう。

 無責任な人というのは、
 やはり偉人ではないでしょう。

 ……。
 ……。

 ナガレさんの世界観の中で、上のほうへ価値づける人、
 たとえば、そういうふうに文字を持たない文化圏の偉人とか、
 そういう人は、
 いわゆる「えらい人」なのでしょうか。

ナガレ 子どものころの三大ヒーローがいた。

 アルセーヌ・ルパン。

……。
……。


・・・「父から逃げられない私(49)」へつづく
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