VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

同じ少女を愛した私たち(36)表現するに値するもの

同じ少女を愛した私たち(35)」からのつづき・・・

by 痴陶人 × 流全次郎 × ぼそっと池井多

流全次郎:
> 痴陶人
 彼等の価値観には、『 ええかっこ 』というか、彼等にとっての理想でもある偽善という砂糖がたっぷりと塗してありますから、彼等自身を私が否定できないようになっているのです。
「 彼等の価値観 」が、「 偽善 」だと判っているなら、「 彼等自身 」は否定できるはずたが?

俺の父親は、

「 何時如何なる時でも、暴力はいけない 」

と言いながら、息子をぶん殴る奴だった。


[ 流(ナガレ) 全次郎 ] 2017/1/4(水) 午後 11:11 
ぼそっと池井多:

流全次郎さま

> 俺の父親は、
>「 何時如何なる時でも、暴力はいけない 」
> と言いながら、息子をぶん殴る奴だった。

つまり、言っていることと、やっていることが
まったくちがう人だったわけですね。

そういう人を、あなたは
子どものころ否定できましたか。

そして、今も、
言っていることと、やっていることがちがう
ような人を、否定できないことがありませんか。

チームぼそっと
 
2017/1/4(水) 午後 11:16

流全次郎:
> ぼそっと池井多

子どもの頃は、食べさせて貰う為に、
父親に面従腹背せざるを得なかった。

「 現在は、生活保護を受けさせて貰う為に、
塞翁先生に面従腹背しているのではないか? 」

という問だろうか?

いや、決して、面従腹背している訳ではない。

今のところは。

それとも、

「 君は、全面的に信頼する人物 • 帰依する対象を、常に必要とするのではないか? 
その人物 • 対象は、嘗ては父親であり、現在は塞翁先生ではないのか? 」

という問かな?

俺の父親が、吉川英治の「 宮本武蔵 」の内容を事実だと思っていると知った時、

「 こいつは信用できない 」

と思った。

また、塞翁先生は、患者に、御自分を、全面的には信頼させないように、細心の注意を払っておられる。


[ 流(ナガレ) 全次郎 ] 2017/1/5(木) 午前 0:24
> 痴陶人

君の言いたい事とはズレているのだろうが、親が、偉大な人物であるということは、それ自体が、子どもに対する虐待なのかもしれない。

親を軽蔑できるという事は、子どもにとって幸せなことなのかもしれない。


[ 流(ナガレ) 全次郎 ] 2017/1/4(水) 午後 11:20
> 流(ナガレ) 全次郎さん

いや、偽善だとわかっているのは、今の私で、
薄々は気づいてましたが、
子供の頃は、絶対的価値観だったのです。


[ 痴陶人 ] 2017/1/4(水) 午後 11:29
私にとっての両親の価値観は、段ボールでできた靴の形をしたクリスマスの御菓子の詰め合わせのようなものでした。

中に入っているのは、そこら辺にある駄菓子であるにも関わらず、また、上げ底で大した量も入っていないのですが、貧乏人の子供心には、贅沢できらびやかに見えた訳です。

私はその菓子を、あっという間に大して美味しいとも思わず、食べてしまいました。

残ったのは、銀紙を巻き付けたチープな靴の箱、でもこれが捨てられない。

この箱に、ちょっとはましな菓子を詰めて、売りに出すのが、ある時期までの私の夢というか、目標だったのですが、その菓子がその箱に入っているというだけで、商品にはならないということに気づいたというわけです。


[ 痴陶人 ] 2017/1/5(木) 7:13
 
痴陶人:
痴陶人さんの今日の投稿を読んでいて、私は、


という言葉が思い浮かびました。

教条主義は、
なんらかの意味で言葉が実体とかけはなれているものです。


根拠のない教条

正に教条主義ですね。
でもそれは、何の根拠もない、
彼と配偶者にだけ都合のよい、
「根拠のない自信」と同じような「根拠のない教条」で、
私は捏ねくり回された独特の教条主義の犠牲者である気がするんですね。

その独特な価値観こそが、
私の個性ともなっているかもしれず、犠牲者とばかりはいえませんが。


> なぜ、痴陶人さんは、
恩と罪が溜まってしまうほどまで
彼らの価値観を果たそうとしたのでしょうか。

やはり私は、その独特な価値観に洗脳され、
その洗脳から解脱出来ていないのでしょうね。

その価値観に自ら進んで尾鰭まで付けてきたのが、
私の半生のような気もします。

その価値観が、もっと独特であり、
私にもっと文才や映画的才能でもあれば、
彼らと私の価値観も表現者として
何処かに定着できたのでしょうが、
独特、恣意的であるだけで、
その価値観一つ一つは、
あまりにも世俗的でそれこそ教条的なので詰まらない表現というか、
私の中には、表現するに値するものがなにもないということに、
四十を過ぎて気づく訳です。


[ 痴陶人 ] 2017/01/04 18:23

ぼそっと池井多:

「表現するに値するものがなにもない」
と言いつつも、
痴陶人さんからは、表現が、言葉が、思考が、
滾々と泉のように湧いてきています。

私が受け取っているのは、
あなたの言葉、文章だけですから、
私が受け取っていないものも多くあることでしょう。

おそらく頭の中には
映像のイメージがたくさん乱舞しているのではないでしょうか。

逆に
表現するに値しないもの
とは、何でしょうね。

そして、そもそもなぜ、それらは、
「表現するに値しない」
と私たちはときどき思うのでしょうか。

私が思いつく候補を挙げていきます。

1.「すでに他の誰かが表現しているから」

2.「つまらないことだから」

3.「表現しても売れそうにないから」

などといった回答が予測できます。

3.の「売れそうにないから」だけは除外しておきましょう。
 位相がちがうので。

2.の「つまらないことだから」については
自分がつまらないと軽蔑していることが
もっとも重要だったりするのは、
臨床心理学や精神分析学の定石である、
という考え方があります。

ここに着目し、世界を反転させることに成功したのではないでしょうか。


1.の

「すでに誰かが表現しているから」
 
が理由だとすれば、

「いやいや、他の誰もがまだ表現していない世界がありますよ。
それはたとえば、
痴陶人さんの内的世界であり、成育歴の物語です」

と私は申し上げるでしょう。

それは、他の誰かと必ずや似ているようで、
必ずやちがうはずです。

痴陶人さんは、ナガレさんや私と同じ時代を生きましたから、
共通項は多いでしょう。

しかし、哀しいほどに独自な点もあるはずです。

そして、私たちはみな、自分の専門家なのです。

自分のことは、誰よりも(精神科医よりも)
よく憶えているはずなのです。


そう考えてくると、

私が表現するに値するものはある。
 それは

という結論になると思います。

銀紙を巻きつけたチープな靴の箱であった、
とだんだんと気づいていく私の物語。

それは、自然主義文学になるわけではありません。
むしろ真のビルドゥングス・ロマンかもしれません。


痴陶人:
ぼそっとさんのご質問にお答します。

1.「すでに他の誰かが表現しているから」

はい、映画や映像を挫折した
30代、私は漠然と物書きを目指しました。そこで、三島とドストエフスキーを読んで、この世に私の書く余地は残されていないと愕然としました。

2.「つまらないことだから」

はい、これは、今もあります。今やっている父の回顧録に、こんなものを誰が面白がるだろうと、今朝、放り投げるところでしたが、少なくともぼそっとさんとナガレは、読みたがっているのだと思い直し、今少し続けさせて頂くことにしました。

3.「表現しても売れそうにないから」

売ることは、両親への恩返しと見返しでしたが、今は売ること自体を考えていません。
ぼそっと池井多:
 
>この世に私の書く余地は残されていないと愕然としました。
たしか、痴陶人さんのお詳しい吉行淳之介が、
その感覚からスタートしましたよね。

吉行はずっと編集者をやっていて、
ありとあらゆるものを読み、

すべては書かれている

という感覚から書くことを始めた、というようなことを
彼自身がどこかで書いていたように記憶しています。

また、私がよく引き合いに出すプルーストも、
その感覚から筆を執ったように思います。

反対に、三島は、

「素材などは、この世にゴロゴロ転がっていますが」

というようなことを知人への手紙に書いて、
その直後に市ヶ谷事件を起こしましたね。
 
 
今やっている父の回顧録に、
 こんなものを誰が面白がるだろうと、
もちろん面白く拝読しております。

私も、自分の精神史をふりかえるときに
「こんなつまらないことを、誰が読むだろう」
と、まったく同じことを考えながら書いています。

結果的に、どうやら(痴陶人さん含め)数人の方が
たしかに読んでくださっているようなので、
続けているという次第です。

……いや、一人も読まなくなって、
書き続けるかもしれません。

人はどうせ死ぬのだから、
自分の中にあるものを全部出して、
さっぱりして死にたいものです。
 
売ることは、両親への恩返しと見返しでしたが、
 今は売ること自体を考えていません。
 
インターネットができて、
本が売れない時代になって、
「売ること」を考える人は、
みんなゲーム・クリエーターの世界へ行ってしまったのかもしれません。

私も「売ること」は考えていませんね。
「伝わること」のほうが、ずっと大事だと思っています。
 
 
 
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