VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(55)反論のなくなった塞翁ミーティング

父から逃げられない私(54)」からのつづき・・・

 
ぼそっと池井多 やっぱりさいおうクリニックには

 「塞翁先生のためなら、私はデクノボウでも客体でも
 なんでも成ります。
 先生の自己実現のために好きなように
 私の人生を使ってください」

 という患者さんが多いんだと思う。

 そうすると、
 「いったい精神医療って何でしょう」
 ということを問題視しているわけです。

……。
……。

ぼそっと あとナガレさんから語っておきたいこと…
 その「恥ずかしさ」の問題でもいいですし、
 何かありますか。

ナガレ 今のところ俺は阿坐部村では
 コウモリの立場をとっているわけだ。

 塞翁先生にも、君にも、どっちにもいい顔するっていう…

……。
……。

ぼそっと みんな一人の人間、一人の主体であって、
 あっちの意見を聞き、こっちの意見を聞き、
 それで自分のスタンスを決める
 ということでいいんじゃないですか。

……。
……。

ナガレ どっちかに忠誠を誓うということじたいが
 不健全だと思う。

ぼそっと それは恐ろしいことですよね。
 軍国日本みたいなことになっちゃう。

ナガレ 大半のさいおうクリニックの患者たちは、
 塞翁先生に忠誠を誓うという立場だと思う。

ぼそっと それを私は不健全だと思っている。
 なにが忠誠心だ、と。
 私たちは治療を受けているだけだ。
 まったく宗教じゃないんだから。

ナガレ 俺は、ああいうふうにはなりたくないな、と。

……。
……。

ぼそっと 私は塞翁先生への反抗から
 「塞翁療法は宗教と化している」
 と言っているのではなくて、
 フロイトから、シャルコーから、クリペリンから、
 いろいろ振り返ったうえで、
 やはり一回りして塞翁先生のやっていることは
 外から見れば宗教になってますよ、
 と批評しているのです。

 批評眼を持っている精神科の患者は、
 ほんらいとても貴重なはずです。

ナガレ いまDr.塞翁ミーティングでは
 塞翁先生に反論する人がいなくなった。
 俺をふくめて、だけど
 反論する人がいないわけよ。(*1)

 反論してこそ、Dr.塞翁ミーティングではないのか。

ぼそっと そう、そう。そのとおりですよ。

……。
……。

<編集者註>

*1.治療共同体「阿坐部村」の中央広場にあたる
塞翁ミーティングで反論がなくなった
という流全次郎さんの指摘と、
軌を一にするようにして
ザスト通信への言論統制が始まった。

現在、私ぼそっと池井多が投稿するものは
村の機関誌「ザスト通信」には掲載されない。

いちおう不掲載に際しては、私の原稿が
「個人名を載せているから…」などという理由をつけられているが、他の投稿者の原稿には個人名も実名も出ていることから、
それは空虚な口実であることがわかる。

その件に関して、蓮田事務局長には
再三、説明を求めているが、
まるきり無視して通している。

こうした治療共同体のなかの言論統制は、
真子社長の姉貴分である岡村美玖ワイエフエフ事業部長が入ってきて、2015年ごろから始まった。

リカモリ制度を
「患者たちが望むものとして」
確立するという目的があるものと思われる。

 
 
・・・「父から逃げられない私(56)」へつづく
All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020