VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(60)自分は隠れた上級患者

父から逃げられない私(59)」からのつづき・・・

 
2016年5月収録
ナガレ もしかしたら塞翁先生は、
 「ナガレ。これはおれの本心ではないんだ。
 お前だったらわかるよな」
 と内心で思っておられたのではないかと思う。

 「今度の診察のときにじっくり話そうぜ」
 というか。

 そういう暗黙の了解がお互いに得られているのではないかな
 と期待しているんだけど。

 おれの頭の中では、
 その意味ではおれは上級患者

 で、塞翁先生にチクったやつというのは、
 下級患者。

ぼそっと池井多 ほう。

ナガレ はっきりとした言葉に出さないと
 コミュニケーションできない下級患者(*1)

*1.<後註>参照。

ぼそっと池井多 塞翁先生の塞翁療法の一つの特徴として、
 「あっちでああ言い、こっちでこう言い」
 みたいなのがあって、
 患者Aが診察に入っているときに患者Aに良い顔をして、
 患者Bが診察に入っているときに患者Bに良い顔をして、
  ということをやっているわけですよ。

 もっといえば、
 患者Aには患者Bの悪口をいい、
 患者Bには患者Aの悪口をいい
 というのが塞翁療法である、と(*2)

*2.その実態が明らかにあったのが、
 私と春日局さんとの会話の終盤であった。
 「春日局論<後篇>」参照。

 
 そういう二枚舌ならぬ「N枚舌」というものは、
 治療的にはあるていど有効なのかもしれないけれど、 
 治療共同体の運営にかかわることとか
 小さな政治としての側面をもつようになると、
 それをやられてしまうと混乱する、
 ということがあるのです。

ナガレ だから、その点においても

 「ナガレよ、お前はこれで混乱しないよな。(*3)
 これは、おれにいつもの手だよな」

 ということ。

*3.じっさいナガレさんは、私の知るかぎりでは、
ザストの幹部として運営にかかわったことはない。
実務的な問題がなければ、混乱することは少ない。

 そういうメッセージがあったのではないかな、と。

 そういうふうに思いたがるおれも
 ある種の上級患者病なのかもしれないけど。

ぼそっと はあ、それは面白いですね。

ナガレ じつは自分のことを
 隠れた上級患者だと思っている。

ぼそっと ほう。でも、それは、
 みんな、そう思ってるんじゃないですか。

ナガレ そうか。

ぼそっと 私は、下級患者はみんなそう思っているだろう、
 と思うんです。

 たとえばAC(アダルト・チャイルド)という概念じたい、
 そうでしょう。

 ほんらいみんな
 「自分はちゃんと育ってきた」
 と優越的に思いたがるところを
 あえて「自分は下級である」というと語弊があるけれども、
 「自分は育ち方に問題があった」
 と、下方修正するようなかたちで
 自己認識をもつようにすることにより、
 たどりつくアイデンティティがACであるわけでしょう。

 弱さを支えにつながるアイデンティティと申しますか。

 こういうふうに、
 ACという概念を設定することにより
 はじめて語りうる領域の話が出てきました。

 私のいう上級患者・下級患者という概念も
 それと同じことです。

 上級患者・下級患者のあいだに
 国境線のようにはっきりとした境目があるわけではありません。

 これはモデル思考にすぎないのです。

 しかし、こういうモデルを設定することによって
 はじめて、ある領域の話が語れるようになります。
 
 みんな「自分は上級患者だ」と思いたがるなかで、
 あえて「自分は下級患者です」ということによって
 はじめて見えてくる、いろいろなことがある。

 今まで塞翁療法のなかで、患者村の生活のなかで、
 語られてこなかったことが、
 こうして、はじめて語れるようになるわけです。

 たとえば本ブログで申しますと、
 で書かせていただいたような
 女性患者による院内窃盗事件のような話は、
 「自分が潜在的に上級患者である」
 などと思っているうちは、書けません。

 意識化されないからです。


 自分は、この治療空間を運営する側の人間だ
 などと思い上がっているものだから、
 そこから受ける被害については
 なかったことにしてしまうのです。

 「この被害を語ったら、
 塞翁先生は悲しむだろう」

 などと、
 自分のニーズよりも治療者のニーズを優先してしまい
 一人の独立した人間として
 正当な権利を主張することができなくなっていきます。
 
 正当な権利を主張しないように
 手なずけられていくのです。
 
 しかし、主張できないぶんだけ
 意識されない鬱屈として、それがどんどんたまっていって、
 その鬱屈感がどんどん大きくなって、
 私の場合、それが
 自分の心身を圧迫するようになってきました。

 塞翁先生の精神医療にかかわっていることで 
 心身が圧迫されるようになっていったわけです。
 そして、それは「治療抵抗」で片づけられる症状ではありませんでした。

 17年も塞翁療法にかかっていると、
 そこから受ける歪みのようなものが、
 そのくらいの大きさになるわけですよ。

 となると、これでは治療ではない。

 むしろ
 治療の名を借りた洗脳であり、反治療になっている。

 そういうわけで、私はそういう領域に
 思考を踏み出しているわけです。

 だから、そういう意味で
 ナガレさんのいまの
 「自分は隠れた上級患者だ」
 という言葉は印象的ですね。

……。
……。 

 
<後註>

「はっきりとした言葉に出さないと
コミュニケートできない、ダメな人間」

という人間観の裏返しには、

「はっきりとした言葉に出して
コミュニケートできない、ダメな人間」

という人間観が成り立つだろう。

「言わなくてもどうせわかってくれる。
わざわざはっきりした言葉に出すことはない」

というのは、ともすればただの甘えに堕する。

はっきりとした言葉に出すのには、
そうとうの努力を要する。

「はっきりとした言葉に出さないと
コミュニケートできない、ダメな人間」

というのは、
その努力をしないことを正当化する考え方である。

 
 
・・・「父から逃げられない私(61)」へつづく
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