VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

子を虐待してしまう私(34)核心は精神的虐待

子を虐待してしまう私(33)」からのつづき・・・

 
エイコ 虐待がエスカレートしていったなかで、
 言葉だけじゃ済まなくなって、
 手元にあったミカンを投げつけたことがあったんです。

 そうしたら、何個か投げたうちの一個が
 この胸のところにドンと当たって、……当たったけど、
 でも、泣きもしないんですよね。

 キョトンともしないんですよ。

 せめてキョトンとしてくれれば、まだアレなんだけど。

ぼそっと池井多 これまた、私が虐待された息子さんの
 代弁者になるわけにもいかないですけども、
 似たような経験は、ぼくは母親との間にさんざんあります。

 結局、母親がモノを投げて来たり、
 こちらが寝ている頭を踏んづけたり、とか
 いわゆる肉体的暴力をふるったことは年がら年中あったのです
 けども、
 後から振り返ってみると、
 そういう行為は「指摘しやすい」から
 「なぐった」の、「蹴った」の、と言いますが、
 そういうことが、こちらが受けた傷の本態ではないんですよ。

 私の場合は、肉体的な虐待は、
 精神的な虐待の副産物のようなものでした。

 いまの、エイコさんがミカンを子どもに投げつける
 というのは、まさにそれを思わせるのですが、
 ミカンが胸にあたった肉体的な痛みで
 息子さんが泣きそうになるということは、
 ほとんどないだろうと思うのですよ。

 精神的な虐待を受けて
 「なんだよー」
 となっている状態なので、
 もしかしたら肉体的な虐待の痛みは感じないかもしれない。

 「ぶった」の「蹴った」の、というのは、
 私が受けた母からの虐待の副産物のようなものに過ぎなくて、
 それよりも精神的な虐待の部分に、
 虐待そのものの核のようなものがあるんだ、
 ということなのです。

 でも、そうすると、
 「その精神的虐待とはどういうことなのか」
 という問いが次に来るでしょう。

 どういう言葉が精神的な虐待にあたるのか。

 たとえば、
 相手に「バカ」といったら、もう虐待だ、
 などといったように定式化してしまうと、
 必ずそうではない例外というのが出てくると思いますね。

 親しい関係で、
 「もう、バカだねえ、お前さんは」
 などといえば、それは虐待ではないわけで。

 それに比べて肉体的虐待というのは、
 すごくわかりやすいじゃないですか。

 虐待であるかいなかが、判別しやすい。

 だから、それが虐待の中心に置かれがちでしょう。

 児童虐待という概念がよくいわれるようになってから、
 もう20年近くたつけれども、
 まだ、肉体的虐待に、
 人々は虐待の主眼をおいて考えているような気がして
 しょうがないのです。

 やはり精神的虐待がまずありきではないのか
 と思います。

 でもエイコさんの話は、
 すごく逆の立場からよくわかります。

エイコ 私もぼそっと池井多さんが
 息子に見えてきちゃった。

……。
……。
 

 
 
・・・「子を虐待してしまう私(35)」へつづく
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