VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

子を虐待してしまう私(35)許せないのは虐待ではなく否認

子を虐待してしまう私(34)」からのつづき・・・

ぼそっと池井多 エイコさんの話は、
 過去に虐待された息子の立場から、
 すごくよくわかります。

エイコ 私もぼそっと池井多さんが
 息子に見えてきちゃった。
 
ぼそっと池井多 そうなることが、ほんとうはいいのですね。

 そういうような会話が世の中に増えてくれば、
 ほんとうは良いのだと私は思っています。

エイコ そうですね。

ぼそっと池井多 エイコさんの素晴らしいところは、
 このように、自分が虐待をした体験というものを
 公に包み隠さず語っているし
 虐待している自分というものを否認しない
 という点にあると思っています。

 これがいちばん大事なところで、
 「ふつう虐待はしないものだ」
 という前提に立っていると、
 虐待したことが異常に悪いことに思えて、
 それを隠蔽し、おおいかくすことに
 加害者が躍起になってしまう。

 そうすると、どのような虐待がおこなわれたかを
 検証することも反省することもできないわけです。

 それよりも
 「虐待はひんぱんに起こるものなのだ。
 日常の一部なのだ」
 という前提に立っていれば、
 虐待が起こった時もそれを隠そうとしないで、
 改善することにエネルギーを使える。

 私を虐待した母親を、私が許せないのですけど、
 それは、彼女が私を虐待したからではないですよ。

 私を虐待したからではなくて、
 虐待した事実を否認しているからです。

 もし「虐待」という表現を使いたくなかったら、
 その語は使わなくてもいいけれど、
 起こった事実は起こった事実としてあつかってもらわないと
 話が進まないし、解決もない。

 「虐待はしてないかもしれないけど、
 (エイコさんの場合でいえば)
 あのときミカンを投げたでしょ。
 そのミカンがボクの胸に当たったでしょ」
 というような、
 一つ一つの小さな事実をなかったことにするのと、
 認めるのでは、
 これは決定的に大きなちがいが
 その後の母子関係に生まれることでしょう。

 虐待された側も怒りが排けないしね。

 エイコさんの息子さんは、
 私が母親に抱いているような怒りや恨みを
 末永く心に宿すことはないように思いますよ。
 だって、こういう誰もが聴いている
 インターネット上で
 「自分は息子を虐待しました」
 って言っているのだから。

……。
……。
 
 
・・・「子を虐待してしまう私(36)」へつづく
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