VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

自分の存在に耐えられない私(8)やりたいことがわからない

自分の存在に耐えられない私(7)」からのつづき・・・

スパゲッティの惨劇(32+)主体の剥奪と鬱の発生」からのつづく・・・
by 痴陶人
 
 
痴陶人
私は三島由紀夫の平岡家の母権の二重構造を祖母夏子と母倭文重という母性が二人いたという意味と、その母性は、父性の潜称者としての母性だという意味で用いました。(*1)


そして後者のこの父性に昭和の「容認された虐待行使者」という属性を代入すると、「子の虐待の許された母性」という意味になり、そういう人物の下で育つと、どうなるかに興味を覚えていたわけです。

そして、このように言葉を解体、再構築して出てきた「子の虐待の許された母性」とは、正しくぼそっとさんのお母様ということになります。
 
ぼそっと池井多
> もちろん、おおありでしょう。

それを例証するために、
私は彼の証言を掲載させていただいた、
といっても過言ではありません。
痴陶人
 
やはりそうでしたか。ここへ来て、私の心象風景とぼそっとさんのそれとは、また重なりつつあります。

> すべての依存症の淵源である鬱が生み出されるのです。

依存症の淵源が鬱というのには、蒙を開かれました。

> 人は、自分の主体を剥奪されていれば、
主体を行使できない。

主体を行使しないで何かやっていると、

「なんで私、こんなことやってるんだろう」

と鬱になるわけです。

私が周期的にギャンブルに依存するのは、軍資金を得たときというのが大前提ですが、思えば軍資金を得るのは、生活が安定してきた時です。

借金や生活苦を凌ぐために、仕事に没頭し、借金を返し終え、少し余裕ができた時、本来貯蓄に回すべき金を私はギャンブルに費やしてしまうわけです。

そして、この余裕ができた時の心境こそが、正しく「なんで私、こんなことやってるんだろう」なのです。

借金や生活苦を解消するために我武者羅に仕事をし、真剣ですから周りからも評価され、当てにされるわけですが、余裕ができると、「なんで私、こんなことやってるんだろう」となるわけです。

やりたいから仕事やっているわけではなく、借金を返すために仕事していることがバカらしくなるのでしょうね。

俺には他にやりたいこと、やらねばならぬことがあるんだ」と思うわけです。でもそれが何なのかがわからない。放っておいたらになる。

それでギャンブルにのめり込み、鬱を晴らすのでしょう。

> その鬱を晴らすために、
セックス、薬物ほか、さまざまな嗜癖行動へ走るのです。

正にその通りです。

私の場合は、ギャンブルとアルコールです。

> 嗜癖行動は、表層的なレベルで
「自分がやりたいこと」
だからです。

私はギャンブルは、性の、特に男性性の代償行為だと考えていますから、正に我が意を得たりです。

つまり私のギャンブル依存は、鬱に陥らない為の防衛規制であり、性に依存したいのにそれが出来ない為に起こる代償行為ということになります。

ふぅ・・・

完璧な論理、完璧な精神分析です(笑)。

今収録中の「自分の存在に耐えられない私」ですが、自分では何とつまらないと思っています。まるでだしのない味噌汁のような感じなのです。

それが性の部分を語っていないからだということを実は遠の前から気づいてはいたのです。

しかし性を書き言葉ではなく、ナラタージュするのは、恥ずかしいし、難しいし、勇気がいります。

今後、「自分の存在に耐えられない私」の補完の形で私の性を書き言葉で語らねばならないのかなと思っています。
 

ぼそっと池井多
収録中の「自分の存在に耐えられない私」がつまらない、
などとは、
収録している私はまったく思っていないですが、
補完する形でエクリテュールでも語っていくというのは、
たいへん良いお考えだと思います。
 
 
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