VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

父から逃げられない私(72)私は親のようにならない

父から逃げられない私(71)」からのつづき・・・

 
ぼそっと池井多 ナガレさんがあこがれてやまない
 サトウアイコさんという女性が、

 「わたし、お母さんみたいになりたいの

 と言った、という話は、
 私たちACというものを語るのに
 重要な分岐点でもありますね。

 そもそも私たちACが、ACであると自覚するに至ったのは、
 1980年代のアメリカの市民運動ですけども、
 それを牽引していった一冊の本が、
 『私は親のようにならない』
 というものでした。

 やはり、
 「私は、自分の親のようにはならない
 と思う人はACである可能性が強いです。

 すでにACという概念じたい、時代遅れになっていて、
 それを日本へ導入するのに大きな役割を果たした、
 塞翁先生自身、「AC」という語を嫌って、
 使わないようにしてますけども、
 だからこそ私は、
 「AC」という概念を積極的にふたたび使うわけなんですが…

 どこから先がACか、という問題は、
 ひじょうに難しいと思いますね。

 しかし、ACであるかどうかを判別する
 一つの試金石と申しますか、
 一つの指標になるのが、この
 「私は自分の親のようになりたいか」
 という問いだと思います。

 私自身は、はっきりなりたくないです。

 ナガレさん自身もなりたくないわけですよね。

 でも、サトウアイコさんは「なりたい」と言った、と。

ナガレ まあ、稀有な例なんだろうと思うけれども、
 ちがうのかな。

 痴陶人は、あの娘を最初に見たときに

 「激しい憎しみを感じた

 と。

 自分とはまったく異質の者だな

 と。

 でも、痴陶人は
 「あの娘は他の女の子たちに決して嫌われていなかった」
 と書いていたけれども、
 オレの見方はちがうのよ。

 やっぱりあの娘を、
 痴陶人と同じように、憎んだ、ねたんだ、女子
 多かったんじゃないかな。

 オレの観察の範囲では、そう感じてた。

……。
……。
 
 
・・・「父から逃げられない私(73)」へつづく
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