VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

子を虐待してしまう私(39)遠い国の飢えている子どもは気になるのに、足元にいる自分の子どもは虐待する母

子を虐待してしまう私(38)」からのつづき・・・

 
ぼそっと池井多 「いじめ」もそうですが、基本的に、

 「この家に虐待はない」
 「ここでは虐待なんかしていないんだ」

 「この学校にはいじめはない」

 という嘘の前提のうえに家庭を築き上げていると、
 どんどん虐待は激しくなりますよね。

 「虐待はない、ってことになっているから、
 もう、こんなことはやめよう」

 という方向では作用しない。

 「虐待はない、ってことになっているのに、
 なんであんたはそんな顔をするの」

 って言って、どんどん虐待するようになったりする。

 いじめ」にしても、「虐待」にしても、
 「ある」という前提で考えていかないと、
 なくならないと思います。

エイコ そうですね。

ぼそっと池井多 これは以前、
 このブログでも書かせていただいたのですが、

 「なぜ遠い国の飢えている子どものことは気になるのに、
 隣で寝ている自分の子どもは平気で叩いてしまうんでしょう

 みたいなお母さん…
 まあ、男でも、そういうことってあると思うんですけども、
 それは、

 「憎しみ」「憎悪」「不安感
 といったものは、
 自分にいちばん近い人へ向かって出るのが
 当たり前なわけですよ。

 遠く離れた国の人への憎悪といっても
 それはとても観念的な憎悪にすぎないでしょう。
 なぐったり、たたいたりはできないわけだから。

 遠い国まで手が届かないですからね。

 だから、虐待みたいな暴力が
 子どもとか身近な人にむかって出てしまって、
 手の届かない遠い国の人は愛することができる、と。

 それは、けっこう人間て、そういうものなのではないか、
 と思うんですよ。

 「私は遠い国の、シリアで飢えている人のことを考えるほど
 心のあたたかい人なんだから、
 近くにいる自分の子どもなんて
 虐待するはずがない。
 だから、これは虐待ではない」

 なんて考えている知的なお母さんとかいるのではないか
 と思うのですよ。

 私の母親なんて、そういうタイプでした。

 やさしい母親を対外的に演じようとするあまり、
 どんどん虐待欲求がつよまるメカニズムがありました。

 それを、
 
 「根本的なところで、人間は虐待をしてしまうものなのだ」

 と認めることにより、
 歯車を逆に回すことができたのでは、
 と思うのです。

……。
……。
 
 
・・・「子を虐待してしまう私(40)」へつづく
All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020