VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

不登校ひきこもりだった私(12)初めて自分以外のひきこもりと会ったころ

不登校ひきこもりだった私(11)」からのつづき・・・

 
ぼそっと池井多 当時はまだ「ひきこもり」という語も
 社会的にはないか、あってもまさに出始めであったころに
 他のひきこもり当事者との出会いは
 どのように果たせたのですか。

林恭子 いちばん初めは、
 朝日新聞塩倉裕さんという記者の方が
 ひきこもりの連載記事を書いていたのですね。
 1998年ごろだと思うんですけれども。

 その記事を読んでいて、

 「あ、これは私のことだ」

 と、私は思ったんですね。

 そこで初めて「ひきこもり」という語を知りました。

 言い換えれば、それまでは
 自分が何が起きているのか、
 よくわからなかったわけです。

 高校へ行かないことが「不登校」だということは
 わかっていたのですが、
 二十歳をすぎて
 もう「不登校」という齢でもないし、
 じゃあ、いまの自分の状態は
 どのように言ったらよいのだろう、と。

 学校はもう辞めているのに、
 相変わらず苦しいわけですよ。
 毎日が生きづらい。

 これはいったい何なんだろう。
 どうも病気とも思えない。

 ……そう思っていました。

 ところが、その苦しさに初めて
 「ひきこもり」
 と名前がついたのでした。

 それで、ほんとうに楽になったのですね。

 「私は、これだ」
 と思いました。

 そこで私は、その塩倉さんという記者さんに
 手紙を書いたのです。

 そうしたら電話がかかってきて、
 ちょっとお話をしました。

 その後、塩倉さんがその連載をまとめた本を出されて、

 「出版記念の講演会をやるので、
 よかったらどうぞ」

 と呼びかけられて、会場へ行きました。

 そうしたら、たまたま隣に座っていた女の方から

 「ひきこもりについて考える会
 というところへ行っているんだけど、
 いっしょにどうですか」

 とお誘いを受けて、
 そこへ行くようになって、
 そこではじめて他のひきこもり当事者の方々と
 出会ったのです。

 それがとても大きかったですね。
 1999年11月だったんですけれども。

 それから、その会(*1)が終わるまで
 一回も欠かさず行きました。

*1.現在は「新ひきこもりについて考える会」として
続いている。


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